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29,家族と親子

 守られた馬車は貴族街にあるベルテイッド伯爵邸に到着する。

 馬車が止まったそのときには、扉からベルテイッド伯爵夫妻、それにクラウとココルザードが飛び出してきた。ガナフとマイヤの姿も見つけてラウノアはほっと息を吐く。


 シャルベルの手を借りて馬車を降りたラウノアは、そのまま伯爵夫人に抱き締められた。


「おば様……」


「ラウノアっ……とっても心配したのよっ……! 本当にもう…」


「はい。申し訳ありません」


 きゅっと優しい力が抱きしめてくれて、そっと離れれば涙に濡れる瞳が見える。

 申し訳ない気持ちでいっぱいで、ちゃんと大丈夫だと伝えたくて、強く頷いた。


「伯父様。おば様。クラウ様。おじい様。ご心配をおかけしまして、申し訳ありませんでした」


「まったくだ、ラウノア」


 そう言うベルテイッド伯爵の表情は柔らかで、ラウノアは少し口許が緩んでしまった。

 そんなところで頭にこつんと重みを感じ、顔を上げる。


「クラウ様……」


「二度と籠城するな。各方面に多大な迷惑をかけているのは解っているだろう。せめてこちらにも一言寄越せ。しないならするな」


 声音は厳しい。その目はまっすぐラウノアを見つめて、言い聞かせるように放つ。

 傍で聞けば怒っているととれるだろうその音に、ラウノアは深々と頭を下げた。


「申し訳ありませんでした。以後は皆さまにもご相談するようにします」


「まったくおまえは……」


 やれやれとため息を吐くクラウを見て、ココルザードも喉を震わせる。


 ラウノアが元気であることを伯爵夫人も確認し、ココルザードもイザナとアレクを労う中、ベルテイッド伯爵はシャルベルに向き直った。


「シャルベル様。ラウノアを送り届けていただき感謝します」


「当然のことです。――今回のことは騎士団としても謝罪申し上げます。誠に申し訳ありませんでした」


 その言葉に合わせて後ろに控える騎士たちも頭を下げる。

 ベルテイッド伯爵の隣に立ってそれを受け取ったラウノアは、そっとベルテイッド伯爵を見つめる。堂々とその謝罪を受け取ったベルテイッド伯爵は鷹揚に頷いた。


「受け取りました。しかと対応をお願いします」


「もちろんです。では失礼します」


 言うとすぐさまシャルベルは馬に跨る。騎士たちもそれに続く中、ラウノアははっとシャルベルに駆け寄った。

 すぐに気づくシャルベルの視線もラウノアに向くが、その瞳は少し困ったように揺れていた。


「シャルベル様。これから神殿に向かわれるのですか?」


「致し方なかったとはいえ、君には充分力になってもらった。ありがとう」


「あ、待っ――……!」


 シャルベルが乗った馬が、騎士たちが、走り出して去っていく。その姿を見えなくなるまで見つめるラウノアは唇を噛んだ。


 神殿へ行くのならばともに行きたかった。シャルベルはそれを見越していたからなにも言わなかったのだろう。


(感染しない、ではなく、わたしが治せると伝えるべきだった? いえ。それはだめ。あまりにも抱かせる疑念と不審が大きすぎる。だけど……)


 騎士病院の患者には僅かだが回復者も出た。それと同じことを神殿でもできれば助かる者は少し増えるだろう。

 そうするために一番動きやすいのは、シャルベルに連れていってもらうことだった。


(シャルベル様が、わたしが治せるかもと気づいてくだされば――……なにをばかなことを考えているの。それはだめじゃない)


 内心の自嘲で力が抜けて冷静になれた。


 騎士病院でできたことが嬉しくて、安堵して、普段の自分を忘れてしまいそうになってしまった。それではいけないのだと戒めて、けれど――思ってしまう。


 見上げた空は高く、曇り空である心とは違って晴れ渡る。

 憎らしい。羨ましい。――小さく息を吐いて、ラウノアはベルテイッド伯爵に向き直った。


 ラウノアの視線を受けてベルテイッド伯爵の視線が動く。少し眉を下げて、伏せがちの瞳でラウノアを見つめた。


「伯父様。騎士病院での経験を活かし、神殿でお手伝いをしてきても、よろしいですか?」


 見つめあう二人から醸し出されるのは、穏やかだが真剣な空気。

 唇を引き結ぶ伯爵夫人は不安げにベルテイッド伯爵を見つめ、クラウは険しい表情を向けるが口を出さぬまま見守った。


 やめろと、そう言われても仕方がない。普段の自分ならば絶対にしない。


(分かってる。だけど、これ以上見捨てられない)


 一度手を出してしまった。もう少し伸ばしたいと、願ってしまう。

 解っている。これはいけない思考の方向だとも。


 静かに控える側付きたちの中、ガナフはラウノアを見つめて瞼を震わせた。

 守らなければならない秘密がある。だからこそこっそりと、目立たぬままでいた。これからもずっと、カチェット伯爵家を出たからこそ、一層に気を配って。


(お嬢様には、代々のカチェット伯爵たちと同じ御心がある)


 だからこそ、その手を伸ばしたいと強く感じてしまうのだ。

 ルフがアレクを引き取ったように。ずっと昔のカチェット伯爵がガナフの先祖を傍に置いたように。


 受け継がれてきたそれはラウノアで途絶えてしまうとしても、どこまでも色褪せない、なによりの至宝。


 長いような見つめ合い。

 風の音だけが耳に入る中でラウノアは背筋を伸ばしてベルテイッド伯爵を見つめ続ける。父としての心配や尊重してあげたい葛藤を抱きながらラウノアを見つめるベルテイッド伯爵。


「ラウノア。私たちが心配するのは伝染の危険だけじゃない。……神殿や町の病院には患者も多く、助かる者などまずいない状況だ。どんな光景が待っているか、分かるな?」


「はい。闘病の甲斐なくということも。家族を失い涙する方々も。途切れることはないのでしょう」


「そこにはすでに尽力してくださっている人もいる。余計な手出しはかえって邪魔になることもある」


「伯父様。この病はわたしのせいなのです」


 胸に手をあて告げられた言葉に、ベルテイッド伯爵が険しく眉を寄せた。


 そんなばかな話はない。それは家族そろって一致している。ラウノアだって同じだとそう思っている。

 自分のせいだと、あまりにも堂々と告げる姿に開けかけた口を閉ざした。


「ならばこそ、わたしが行かねばなりません。大した力はなくとも、ただ閉じこもっていては己の弱さを示すだけ。わたしは、わたしの責任を取らなければいけないのです」


 責任なんてないのに。強い眼差しがベルテイッド伯爵を見つめる。


「わたしは、もうどこにもない貴族であった母と父の娘です。ベルテイッド伯爵家の家族です。その誇りに懸けて、民の声を受け取りに参ります」


 喉の奥が絡まって、言葉がどうにも出てこない。

 そのまっすぐな目に重なってしまう姿が、ああそうだなと思わせる。


 行ってしまうのだ。何を言っても、止めようとしても。

 だからせめて。伸ばした手は優しくラウノアを抱きしめて、ラウノアは小さく息を呑んだ。


「……無理はしないこと。泊まり込みもしないこと。ちゃんと――帰ってくること」


「っ、はいっ……!」


 喉を圧迫されるような息苦しさ。それはきっと視界が滲んでしまうせい。

 だけど見せられないから、せめてと強く、頷いた。






「あなた。よかったのですか? やはり今からでも呼び戻して……」


 ラウノアを乗せた馬車が出発したあと、その姿をずっと見送っていたベルテイッド伯爵の傍に不安げな伯爵夫人が寄り添って声をかけた。


 ラウノアを引き取ってからずっと心は母のつもりだ。心配もするし不安にもなる。その心が傷ついてしまうようなことは、できるならばさせたくない。

 けれど、いつまでも言い聞かせるほど子どもではないとも解っている。その意思が道を外れぬものならば応援もしたい。


「ロイリス。さっきのラウノアを見て思ったよ。……あの子は、トルクの子なんだな」


「? はい」


「大人しくて、気弱で。知らないうちに強くなっていた。まっすぐな目をしていた」


 そう話す夫の表情は柔らかで穏やかだ。

 それを見つめた伯爵夫人は少しだけ目を瞠って、けれどすぐに視線を下げてから、目を細めてもう見えない馬車へと視線を向けた。


 気弱だった義弟。微笑みを絶やさない静かな義妹。二人は一緒にいるときはよく笑っていて、羨ましいほどに幸せそうだった。

 思い出して、もう会えることもないのだと思って胸が痛んで、そっと目尻に指を添えた。


「はい。責任感も強くて、自分もと行動する子で少し驚くこともありますが、ルフさんとトルクさんから託されたあの子を、私たちも見守っていきましょう?」


「そうだな。……取り急ぎは、例の件かな」


「あなた。分かっておられますね?」


「分かってる分かってる」


 途端にきりっと母の顔をする妻にベルテイッド伯爵も苦笑いで何度も頷く。この話となると妻はずっとこうなのだ。


 自分たちにできるのは見守ること。ラウノアが家族だと言ってくれる喜びも、ラウノアの帰る家である嬉しさも、全てを胸に待っている。

 屋敷の中へ戻る伯爵夫妻に使用人たちも淡い笑みを向けていた。






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