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28,傍にある光

 ♦*♦*




 看病にもすっかり慣れてしまった。患者が回復し、動けるようになっていく。あまりにも少ない回復者のそれを見ることができるのは嬉しいことだ。

 助けの手を差し伸べても必ず助かるとは限らない。もとより体を内側から攻撃され、弱り果てた身では回復は難しい。


 誰も彼も、この病に耐性がないのだ。

 新規患者が増えることなく死者ばかりが増える状況から、病室には空きが目立つようになっていく。

 目に見える結末に拳をつくる。ラウノアが最初に閉じ込められた病室も患者がいなくなった。


 空になったベッドを見つめ、息を吐く。四人いた患者のうち助かったのは一人だけ。ラウノアを引き込んだ青年ジェイドだけが助かった。

 そんなジェイドはすでに体力回復訓練を始めていて、今は宿舎から通って訓練を続けている。退院のときジェイドは気まずそうにラウノアを見て言った。


『……礼を言う。ずっと看病してくれたんだろ? ……分かってたんだ。あんな話ばかげてるって。だけどその……。いや。すまなかった』


 最後には頭を下げて言われた言葉に驚いて、微笑んだ。

 行き場のない感情をぶつける相手がいない。目に見えて敵を示されとった行動。褒められることではないが、冷静な状況なら噂を真に受ける者はそれほど多くはないはずだ。

 彼は、そう思わせてくれた。


「お嬢さん」


 騎士病院にも少し余裕が出てきた。

 発症も似た頃合いなら結果が出るのも似た頃合いというもので、一日の動きが忙しすぎたのだ。すでに山場を越えている状況に、シルバークもそれが分かっているからこそ微笑んだ。


「手伝ってくれてありがとう」


「いえ。当初はとてもご迷惑であったと理解しております」


「うんまあね」


 お世辞は言わないらしい。笑って出てくる言葉にラウノアは笑ってしまった。

 嫌味に聞こえないのが不思議だが、ほんわかとしたシルバークの空気のおかげかもしれない。


「それじゃあ、お迎えが来てるからもう帰ろうか」


「……はい」


 もう医員たちで対処できるとシルバークは判断した。だから「明日帰りなさい」と昨日に言われた。

 いつまでもここにいるわけにはいかない。残った患者にもできうる限りのことはした。あとは本人の回復力次第。


(伯父様とおば様に謝って。ギ―ヴァント公爵様にも婚約解消についてお話を……。古竜のことで区域へ来ても、もう、シャルベル様には会わないようにしないと)


 ここを出れば、先延ばしにしていた事がのしかかってくる。

 だけれど、それは全て、自分で決めた結果だ。だから逃げることは許されない。


「お嬢さん。ありがとう。君が来てくれてから助かる患者も増えだした。まるで君が来たことが救いになっているかのように」


 静かになった病院。空の病室でシルバークは微笑む。

 それを受け取るラウノアも、微笑んだ。


「天罰を下されたどころか、まるで、人々を救う聖女様のようにね」


「聖女、ですか……」


「はっはっは。おとぎ話すぎるかな。だけどもしかすると、君にはそんな力があって、だから古竜も君を選んだのかな、なんて思うんだ」


 冗談なのか本気なのか。出された言葉にラウノアも瞬いてしまう。

 扉で待っているイザナはシルバークが背を向けているのをいいことに誇らしげに胸を張って、アレクは普段と変わりない。


「……わたしは、患者様の症状に合わせて的確に治療を施し、加えて次々と新しい調薬を行い処方された、シルバーク様の御力の結果と思います。まるでおとぎ話の魔法です」


「はははっ。いっつもあれこれ考えてるからね。これだって確証が持てるものが見つけられなくて、王都中の患者に渡せないのはもどかしい限りだよ」


 シルバークの部屋に積み重ねられた数々の医学薬学本を思い出す。今なお努力を怠らぬ姿は医員たちの憧れだ。


 扉に向けて歩き出したシルバークは、一度振り返ってラウノアに道を譲った。

 イザナが開けた扉。光あふれるその向こうに一歩を踏み出し――息を呑んだ。


 一瞬で間合いを詰めた足音。身体に回された力強い腕。全身を包むぬくもり。

 背中に回った腕がぐっと力を籠める。――離さないというような力に、呼吸を忘れた。


 抱き締められた。自分の肩の近くに見えるのは黒い髪。

 覚えがある。こんな場所に来る人も。シルバークが言った「迎え」という意味も。やっと理解した。


「……シャ、ル…ベル…さま…」


 返事をするかのように後頭部に回った手が髪を梳いて、肩に「…ああ」とこぼれるような吐息がかかる。


(ああ……。だめ。こんなの……)


 唇を噛むしかない。視界が滲みそうで必死に堪える。

 このぬくもりが嬉しい。手放そうと決めてそうしたのに、また、離れ難くなってしまう。


 抱きしめ返しては、いけない。

 だから必死に涙を堪えた。


 そっと離れたシャルベルは、そんなラウノアを優しく見つめた。

 瞳は揺れているのに決して泣かないと決めているかのように少し眉を寄せて、きゅっと唇を噛んでいる姿は、健気で意固地で。――愛おしくて。


「ラウノア。よかった。やっと出てきてくれて」


「……ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」


「構わない。こちらがまいた種だ」


 できるだけ、なんとか、婚約者としてとっていた距離より遠くなるように意識する。

 なのに、それなのに、シャルベルの眼差しはこれまでとなにも変わらない。


(分かっているはずなのに、どうして……)


 シャルベルは婚約解消を受け入れる。そういう約束だから。きっとこちらが提示した時点で公爵夫妻にも伝えているはずだ。


(まだわたしがきちんとご説明していないから両家で話し合ってからと思っている? 解消を正式なものにしていないから体面上はこれまでどおりにするとか……)


 そういうことならば理解できる。なにせ今はどこも忙しい状況だ。


「お熱いなあ、二人とも」


「!」


 後ろからかけられた声に肩が跳ねた。

 シャルベルに手を引かれて廊下に出れば、シルバーク、イザナとアレクが病室から出てきた。シルバークとイザナは似たような笑顔だ。


「あ、いえ、そのような――」


「婚約者を置いていくことになった身にもなってください」


「そうだったそうだった。そりゃ失礼」


 視線が忙しい。そしてシルバークの笑顔を見ていられない。

 あわあわとあちらこちらへ視線を彷徨わせていたラウノアは、シャルベルの後ろに数名の騎士が控えているのを見て今度こそ言葉を失った。


(みっ、みら、見られたっ……!)


 ふと視線が合ってしまうとかなり気まずそうに逸らされる。「今なんか変な副団長見えなかった?」「幻覚…?」なんて小声の会話が聞こえるのは気のせいにしておいていいだろうか。


 顔を真っ赤にさせて俯くラウノアを見て僅か目を瞠ったシャルベルは、その口許を緩ませた。

 微笑みを絶やさない普段とは違う、町へ出かけたときのような純粋なものは、いつ見ても眩しくて心が満たされる。


 解っている。自分のこの行動がラウノアを困惑させただろうことは。

 婚約を解消することになり後は両家が了承するだけ。ラウノアはきっとそう思っている。それは間違ってはいない。


(手紙には婚約解消を望むという旨を記していたが、その理由は何も記していなかった)


 それでも予想はできた。そして今、確信した。

 抱き締めたラウノアは驚いても拒みはしなかった。今も顔を真っ赤にさせている。


(解消の理由が俺の個人的なものでないのなら……。すまない、ラウノア)


 ――この心はもう、固まってしまっているから。


 シャルベルに見つめられていることにすら気づかず言葉が出てこないラウノアを見かねたのか、シルバークが笑みを含ませて問いかけた。


「それにしてもシャルベル君。お迎えにしてはちょっと物々しいね」


 はっとラウノアも顔を上げてシャルベルを見た。向けられたシャルベルはすでに表情を引き締めている。


「これからすぐに出発ですので。……シルバーク殿も」


「そうだったそうだった。僕も後からすぐに行くよ」


「お願いします」


 言うとすぐ、ひらりと手を振ってシルバークが去っていく。その背を見送りラウノアはシャルベルへ視線を向けた。


「あの、お仕事というのは……」


「ベルテイッド伯爵夫妻が心配している。馬車を表に用意させているから行こう」


 そしてそのまま、ラウノアの手を取って歩き出す。後ろにはイザナとアレク、シャルベルとすぐに出発する騎士たちが続いている。


 シルバークも向かうという仕事。それが何であるかはある程度予想はつく。

 けれど、それを問うより先にシャルベルは遮って歩き出した。


(わたしには聞かせたくない、もしくは関わってほしくないということ……)


 騎士団の仕事だ。それは当然だろう。

 なのになぜだろう。心に穴が開いたような気持ちになってしまうのは。


(往生際が悪いわ。これじゃあ……)


 自分だってもう決めたではないか。だから、手を引くぬくもりに心揺らされてはいけない。


 唇を噛んでシャルベルの後ろを歩くラウノアを、その後ろからイザナは瞼を震わせて見つめた。

 病室で看病をしているときからずっと見ていた。シャルベルが毎日訪ねてくる時間や、ふと時間が空いたとき、そんなときのラウノアをずっと。


(お嬢様。いいんですよ、心のままで。あの方だってそうおっしゃっておられました。私たちだってお嬢様には笑っていてほしいから)


 心苦しいのは、そう言っていた本人に口止めされていることだ。

 あの人は何があろうと調子を変えず、口角を上げて言う。今回だって「気づくべきはラウノアだ。おまえらは言うな」とこの一件が始まった頃から言われている。


 イザナの主はラウノアだ。それは同時に彼でもあるということ。

 彼はラウノアの不利益になるようなことを決して命じない。最大限ラウノアを想っているからこそ、その命令には側付き全員が従う。


 全てを教えてはいけない。――()()()()()()に関して、彼はラウノアにそういった態度もとる。

 それを知っているのは側付きたちだ。


 騎士病院の表には馬車が用意されており、その周りは馬が囲んでいる。

 ラウノアはシャルベルに促されてイザナとアレクとともに馬車に、シャルベルたち騎士は馬に乗った。そして馬車は出発する。


 シャルベルに聞きたいことがある。けれど今、その距離は少し遠い。

 ベルテイッド伯爵邸に着くまでの間、ラウノアは窓の外にシャルベルの姿を探しこそりと見つめていた。






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