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26,震える恐れ

 頭を撫でる優しい手。そのぬくもりは子どもの頃から変わらない。

 いつだって優しくて、あたたかくて。世界中が敵になってもこの人だけは味方なのだと分かっているから、安心する。


 そう思って――思い出してしまう別のぬくもりがあって、胸が痛い。

 唇を噛んで頭を上げれば、ギルヴァのまっすぐな目がラウノアを見つめていた。


「おまえのことだ。今は院内の患者の助けになってるんだろ。全快させるよりも自力回復を助ける方向で動けばいい。状況からして回復見込みがあるやつは少ないが、それでもやるんだろう?」


 厳しい言葉だ。けれど分かるからこそラウノアも頷いた。


 今、ラウノアは騎士病院で患者たちを助ける方向で一人動いている。それを知るのは側付きであるイザナとアレクだけ。


 ラウノアはこの病の治療法を知っている。知っているけれど、それはつまり、誰もが元気に回復すること、ではない。ラウノアにできるのはあくまで自力回復できる程度まで回復を助けることなのだから。

 例え助けたとしても、弱り切った体がもつかどうかは本人次第。ラウノアの助けによって気力を振り絞って回復する体もあれば、助けの手を差し伸べても弱り切った体に力が残っていない場合もある。


 全てを助けることは、誰にもできない。

 そして、すでに重傷者だらけの状況では回復できる者が圧倒的に少ない。


「婚約者には病は感染しないと伝えたらしいが、医者も同じ見解ならそっちが重視される。婚約者は何か言ってたか?」


「いえ……。信じると、ただ、それだけ。医師よりもわたしのほうが先にお伝えしたのですが、誰にも言わないと」


「お前はそれを、信じられると思ったんだろう?」


「はい」


 後悔は、苦しみは、いつまでもきっと変わらない。ただ唯一、そんな中でも確信が持てるもの。

 ラウノアの頷きにギルヴァはふっと微笑んだ。


「ならいい」


 直接話をして落ち着いてきたラウノアは、それでもきゅと膝の上で拳をつくった。慰めるように拳に触れるギルヴァの尻尾が柔らかくて思わずそっと撫でてしまう。


「シャルベル様に、婚約の解消をお伝えしました」


 他の音のない自然の中で、ラウノアの声はしかと耳に入った。

 それを告げるラウノアの目は悲し気に揺れていて、小さな声音はその心を表している。


 それに関してもすでにラウノアの手紙で知っていた。あれから数日経つはずだが、それでもラウノアの心は変わらないのだろう。

 だからギルヴァはそれを聞いて、真剣にラウノアを見つめた。


(ラウノア。おまえは勘違いをしてる)


 今のラウノアはいっぱいいっぱいで、きっと考えることが難しいだろう。だからまだ、伝えない。


「おまえの心がそう決めたのなら、俺はなにも言わない。……いいのか?」


「……はい」


「そうか。俺もおまえの婚約者の顔を拝んでみたかったんだけどなあ」


 笑って寝転ぶギルヴァを見て、ラウノアは力なさげに微笑んだ。

 ラウノアが決めたことならギルヴァは強くは言わないだろうと思っていたが、やはりそのとおりだ。


 秘密の重さを知るのはギルヴァも同じ。秘密に近づかれたなら、近づけてしまったなら、すぐに離れなければいけない。

 ラウノア自身のために。その人のために。


 寝転ぶギルヴァはラウノアの決定にそれ以上を言わない。

 けれどどこか懐かしそうに。心にある記憶を思い出すようなギルヴァの目はまっすぐ青い空を向いている。


 沈黙の中、ふとギルヴァの声が優しく流れた。


「口にするのは……怖い。口にした瞬間、それはそうなると決まったかのような現実として目の前に迫ってくる。自分がそうなのだと認識する。……名前を呼んでそうだと知ることも同じだ。想いを口にすることも同じだ。口にすることで認識する喜びよりも、恐怖のほうが大きい」


 伸ばされた手は空を掴む。本当に掴みたいものはもう掴めない。

 口許に微かな笑みを湛え、ギルヴァは目を閉じた。


 ギルヴァが何を見ているのかラウノアには分かった。

 同じものを視たことがある。もう何度も視たそれを、きっとギルヴァも思い出しているのだろう。


(怖い……。わたしも、怖い)


 口にすればそれは急激に現実となって進みそうで。心がきっと追いつかなくて。

 だけど、そうするべきだとも思っていて。


 どう想われるのか、何を言われるのか――怖いから、逃げた。

 扉越しという好機を利用して。いずれは両家を交えて話をすることになるのに、悪あがきをしてずるずる引き摺って。


(だってもう、分かってる。――わたしは臆病で、情けない)


 自分が辛いから、シャルベルも苦しめた。


「ラウノア」


「はい……」


「後悔すると思うなら、せめてもう一度だけでもちゃんと話をして、納得して婚約を解消しろ。――自分の幸せを、簡単に手放すな」


 優しくて厳しい声は、空を見たまま放たれた。

 重たいその言葉に拳を握って、けれどまだ了解は返せなかった。






 ♦*♦*




 騎士用病院も他の病院と同じく圧倒的に死者が多い。しかし新たな患者が増えることはなく、圧倒的に死者が多い入院患者の中には、ほんの数人の回復者も出始めた。


 回復患者があまりにも少ないこの病に回復の様子を見せる者がいることに病院全体が歓喜し、さらなる治療や看病を行う。もちろん、その中にはラウノアもいた。こまごまと動きながらさりげなく患者全体のもとを回り、少しずつ回復への助けを施していく。

 回復した患者もいきなり復帰とはいかないが、少しずつ落ちた筋力や体力を回復するトレーニングを始めている。


 少しだけ息を吐ける状況になってきたとき、騎士団棟に訪れた客にシャルベルが呼ばれた。


「レオン」


 騎士団棟の外で待っていたのは近衛隊の制服に身を包んだレオンだ。

 きちりとした制服をまとっていてもまとう柔らかな空気は普段と変わらない。その目はシャルベルを見てふわりと笑みをつくった。


「お忙しい中すみません」


「お互いさまだ。……例のことか?」


 軽く労いつつ、シャルベルが潜めた言葉にはレオンも表情を引き締め頷いた。


 しばらく前にレオンにある頼みごとをした。ラウノアからヒントをもらっての頼みごとは、正直に言えば「どうしてそんなことを?」と問われるのを覚悟した内容だったが、レオンは何も聞かずに聞いてくれた。


「殿下の周りのご令嬢方で話題にのぼるようになってからは私も聞き知っていました。それを聞いた殿下はすぐに入手したとのことです。ご令嬢方も同様であると証言がとれました」


「グレイシア殿下は好奇心が強いからな……。毒見役は?」


「同じ症状で倒れ、数日前に……」


「そうか」


 目を閉じ、冥福を祈る。

 瞼を開けたシャルベルの眼光を見つめ、レオンは報告を続けた。


「それから、近衛隊の中でも調べてみました。全体ではないのですが、少なくとも私がいる隊では兄上のお考えを裏付ける結果になっています」


「ありがとう。……やはり、原因は()()か」


「そのようですが……。ですが、これは真逆の評判だったのでは……?」


 レオンも怪訝と首を傾げているが、シャルベルもその答えは持っていない。

 しかし今、これ以外に元凶は浮かばない。


「研究室で再度調べ直してもらいますか?」


「頼んではいるんだが、あちらも忙しいからかまだ返答がない」


 一度調べたとはいえ、あのときとは調べる中身が違う。見逃したということならば対処も簡単かもしれない。

 しかし、シャルベルの頭が警鐘を鳴らす。


(そんな単純なことならばラウノアがここまで単独で動く必要があるのか……? それになぜラウノアは分かっていた?)


 なにかあるはずだと思うのに、その何かが浮かばない。

 もどかしい自分に苛立ちながらシャルベルはレオンを見た。


「殿下の容態にもしもがあればすぐに教えてくれ」


「分かりました」


 しかと頷いたレオンが仕事へ戻っていく。それを見送ったシャルベルはすぐさま副団長仕事部屋に戻った。

 部屋ではレリエラが仕事中。鍛錬や巡回のスケジュール管理に加え、町での諸々騒動に関して上がってくる報告書にも目を通している様子。


 同じ仕事をする者としてその多忙は理解している。が、手を止めさせるのを承知でシャルベルはレリエラの前に立った。


「レリエラ殿。話がある」


「あら。改まっちゃって。どうしたの?」


「病の原因が判明したかもしれない」


 前置きのない端的な内容にレリエラはすぐに表情を真剣なものに変えてシャルベルを見た。

 その手は書類を取るのをやめ、無言で続きを促す。したがってシャルベルも話を進めた。


 音のない仕事部屋の中に落ちるシャルベルの声。口を挟むことなく聞き手に回ったレリエラはシャルベルの口が閉じられると視線を合わせ、立ち上がった。






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