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25,この苦しみを知るのはあなただけ

 ♦*♦*




 朝から夜まで患者の看病に勤しむ。

 医員を手伝って他の患者の診察や看病を行うこともある。その手伝いはラウノアにとって好都合でもあった。

 そのときだけは患者に触れられる。少しずつ少しずつ、患者の魔力が入り込んでいる魔力に対抗できるくらいにラウノアの魔力で削っていく。


 患者に入り込んでいる魔力は強く、一度にすべてを取り払うには集中力と気力が必要になる。一人を治してぐたりと倒れてしまえば意味はない。

 少しずつ削っても、削り切る前に患者が力尽きることも多い。魔力を削り切っても、すでに弱り果てた体に回復力が残っていないことも多い。


 だから、本当に救える人は騎士病院全体でも数人程度だろうと、ラウノアは分かっていた。


 ラウノアにできるのはあくまで日中の些細な時間の手助けだけ。日中も夜間も医員は病院内を見回っているし、緊急時にはいつでも対応できるよう待機もしている。

 夜間にもこっそり動くことはアレクとイザナに止められ、代わりができるギルヴァにも「ちゃんと休め」と首を横に振られている。ラウノアに対するよくない噂や見つかれば言い訳が難しいこともあって、ラウノアも三人の意見には頷いた。


 最初に閉じ込められた病室の鍵は、とっくに開けた。

 イザナとアレクが来てくれて、今は一緒に看病をしてくれている。嬉しくて、安堵した。


「っ、あんたが元凶――」


「ふんっ!」


 患者の中には噂を知る者もいる。意識を取り戻してラウノアを見れば、怒りの眼差しがラウノアを射抜く。

 逸らすことなく受け止めるラウノアであるが、それに黙っていないのがイザナだ。


 患者の頭を鷲掴んで、ごんっと強烈な頭突きの衝撃をお見舞いする。

 イザナはけろりと、患者は気を失って倒れる。すでに何回も遭遇している状況に、当初は顔色を変えていた医員たちも「あー…」となんとも言えない表情をするようになった。


「あのねイザナ。そんなことしなくても……。それに病で身体が弱っているのだし……」


「体の内側は弱ってもきっと外側は丈夫ですよ。騎士なんですし!」


 止められないかとアレクを見るが、なにか問題でも? という表情でラウノアを見て首を傾げる。

 主への無礼は許さない。二人の態度に苦笑い、けれどだからこそ嬉しさがある。


 そうしていると日暮れが近づいてきて、ラウノアはすぐに最初の病室へ戻る。そのときは当然イザナとアレクも一緒だ。


「お嬢様。いらっしゃいましたよ」


 イザナが教えてくれ、ラウノアは一度ゆっくり深呼吸をしてから扉に近づいた。

 鍵は開けている。けれど開けられたことは一度もない。


 まだ閉まっていると思っているのか。それとも開いていると分かっていて開けないのか。ラウノアにはどちらなのか分からない。

 鍵を見ていると少し控えめに扉がノックされる。


「ラウノア。いるか?」


「はい」


 毎日このやりとりをしている。

 繰り返すほどにもう今日で終わりにすべきだと感じて、けれどその言葉が出てこなくなる。


(いつまでも引き伸ばしちゃいけない。いけない、のに……)


 痛みを覚えるのと同じように、安堵を覚えるようになったこの時間。他愛ない話をしている間は病の流行から感じるものを全部忘れられるようで。


「今日は古竜の飛行訓練をしたんだ。俺が顔を見せることが増えたからか、少し指示を聞いてくれやすくなっている。オルディオが世話をしているから古竜のことは心配ない。ケイリスもベルテイッド伯爵夫妻は落ち着いていると言っていた」


 毎日そうやって、ラウノアが気にしていることを報告してくれる。


 こんな状況なのに。もう来なくてもいいのに。

 シャルベルの意思に関係なく、婚約を解消したいと望んだ相手なのに。


(シャルベル様……)


 帰る前にシャルベルは必ず手紙を差し入れていく。


 本当は、来ないでくれと伝えるべきなのかもしれない。

 でも、言えない。口にしてしまえばそれが現実になって、失いたくないと心のどこかが思っているから、口にすることが恐ろしい。


 失いたくない理由に、気づいてしまったから。

 扉越しに感じる優しい音と変わらない態度。傷つけることを伝えて、なのに変わらず毎日足を運んでくれる。


 声を聞く度、涙が溢れそうになる。

 知られないように、嗚咽が漏れないように、時に唇を噛んでしまう。


 シャルベルが去ってから、ラウノアは病室に置いた椅子に座った。その手にはシャルベルからの手紙が握られている。

 ため息を吐く憂い顔。それを認めたイザナは瞼を震わせた。


 気持ちを切り替えて、ラウノアはもらった手紙を開けた。このやりとりもすでに何度も経験している。


 手紙の内容は扉越しに話したようなものではない。

 ラウノアが与えたヒントからシャルベルが調べていることに関してだ。シャルベルなりに考えていることが分かり、軌道修正が必要ならばラウノアはその都度手紙を渡すようにしている。

 伝えたかったことをシャルベルはしかと受け取ってくれている。


 ほっと安心して。

 同時に、戒めを破った己に不甲斐なさを感じるのだ。


「お嬢様。今日はゆっくり休んでくださいね。昼間の無理がたたって倒れちゃ意味ないですからね」


「うん。ありがとう」


 ソファを簡易ベッドにしてイザナと交代で休む。ベッドで寝るのが苦手なアレクにも勧めたが断られてしまった。


 胸を痛みを伝えたくて。どうすればいいのか相談したくて。――会いたいと願って、意識を手放した。






 目を覚ましたとき、そこは見慣れた草原だった。

 最近はあまり来なかった場所。久方のそこを見つめて、思わず走り出した。


 この草原はどこか懐かしい気持ちになる。胸の痛みが増して。涙がこぼれて。自分の心が制御できない心地になる。


 けれど、それでいいのだと友は言う。

 自分だってそうだからと、ギルヴァは笑う。


 ただ、走り続けた。


 草原の中には生き物がいて。少し小柄な黒い鱗の竜が降り立って。傍には銀色の髪の青年がいて。ひとときを楽しむように竜と青年と、もう一人の誰かが笑っている。

 また別の離れた場所では、数人の女性たちが集まっている。だれも同じ銀色の髪で、溌剌そうな様子や大人しそうな様子とさまざまだが仲がいいのが傍目にも分かった。


 そんな人たちの合間を抜けて、走って、走って。そして――。


「どうした、ラウノア。そんなに泣いて」


 のんびり座る、ギルヴァがいた。優しくて不敵な金色の瞳はラウノアを見つめて柔らかくなる。


 そんな瞳を見つめて。ギルヴァを見て。

 ゆっくりと歩み寄ったラウノアは地面に座り込んで、ギルヴァの背にこつんと額を当てた。


 穏やかな、静かな風が吹き抜けていく。肌を擦る髪の感触を思い出して、ギルヴァは視線を後ろへ向けた。


 泣いている。嗚咽は漏れていないけれど心がとても泣いている。

 だからなにも言わず、肩にもたれさせるようにしてとんっと優しく頭を撫でた。同時に頬に尻尾をすり寄せるのも忘れない。


 ――そうしてやると、小さな女の子は途端に笑顔になるから。


『ふわふわっ……! お兄ちゃんもっと! ぽんぽんもして!』


 太陽のような笑顔で。小さな腕を精一杯伸ばして。

 そんな姿を見ていると、胸が痛んで、愛おしくて、愛していると伝えたくなって。だから苦しくないように抱きしめて撫でてやるし尻尾も触らせる。

 幼かった少女はだんだんと成長したけれどこれだけは変わらない。変えるつもりもない。


「ギル、ヴァ…様……」


「ん? なんだ」


 小さな声が震えている。こんな声は滅多と聞かない。

 いつだっただろう。母であるルフが死んで泣いていたとき、父が変わってしまったと悲しんでいたまだ子どもだったとき。そんなとき以来だろうか。


「わたし……自分で決めた戒めを、破ってしまいました……。シャルベル様がどう思うかって、怖いと思うのに……。でも、だからもう終わりなのに、終わらせたくないってっ……そんな自分が嫌でっ……! わたしっ……」


 事情は把握している。

 ラウノアが騎士病院に泊まり込むことになった初日に顔を出してしまって、イザナとアレクに話を聞いて困ったことになったと思いつつ、こんなことなら来なければよかったと思ってしまったから。

 ラウノアが残していた手紙からも事情を理解した。


 咎めるつもりはない。

 ただ、困ってしまうだけ。


(おまえが秘密を守ろうとすると同じだけ、自分だけが知ることをどうにかしなければと、どうにかして助けたいと思うのは、俺のせいだな)


 責められるわけがない。危険は誰よりもラウノアが解っている。

 だから、近づいてしまったからこそ、すぐに身を引いた。


 肩に額を当てたままのラウノアの頭を見て、そっと撫でる。


「ん。あらかたの事情は俺も分かってる。古竜に会いにいったのも、あいつの力でこの状況をどうにかできないかって相談したかったんだろ?」


 返ってくるのは頷き。


 ラウノアの考えは間違っていない。古竜だけでなく竜たちならば一助になれる。

 だが最大の問題は、竜は乗り手以外には近づかず、触れさせないという点。加えて、何も知らない乗り手がラウノアの求めに応じるとも思えない。

 ならばと、ラウノアは古竜に相談したのだ。だが古竜の答えは望み通りとはいかなかった。だからこそ、続けて訪れた報告にラウノアは一層自分が動かなければと思ったのだろう。


「秘密がバレたら。不審を抱かせ調べられたらどうする――って言いたいところだが、俺にも分かるから、なにも言わねえよ」


「申し訳ありません……」


「謝るな。言ったろ? もしもがあっても、俺が必ず守ってやる」


 いつだって、何度だって。この言葉を伝える。伝えることには一切迷わない。

 どんなときだってそうしてみせる。そうするから伝えることにも迷わない。


 自然と当然のことのように告げるギルヴァに、ラウノアはそっと瞼を伏せた。






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