23,表裏の行動
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騎士団へ戻ったシャルベルはすぐに事をロベルトに報告した。
ロベルトも頭を抱えたが、すぐにシャルベルを見て思考を切り替えたのか覚悟を決めたように立ち上がった。
そしてその数十分後、騎士全員が屋内鍛錬場に集合した。朝一番に通達がなされていたので、「必ず」と念押しされた者たちは欠けることなく集まる。
その全員の前にシャルベルが立った。
新入りやベテラン、竜使い、世話人まで関係なく集められた全員が、普段以上に感情の読めない冷えた空気をまとうシャルベルを見つめる。
冷ややかな視線。動かない表情。
それを前に誰もが呼吸をすることさえ憚られるように呼吸音を小さくさせた。
「忙しい中での勤務をまずは労う。今は王都中がひどい有様で皆が忙しいからこそ、余計なことは言わずにおく」
そう前置きされ、そのとおりにシャルベルは続けた。
「騎士団の規律において、騎士団内での事柄や情報に関する守秘義務というものが存在するのは全員承知のとおりだ」
国の戦ともなれば、重要な国家戦力である騎士団の情報は常に機密扱いだ。
加えて、騎士団内での問題や何かしらの事態が起こったとき、当然それらが外部に出回るのはよろしくないのでそれらも同様に扱われる。
ウィンドル国の騎士団には通常機密に加えてもう一つ、竜に関する機密も存在する。
竜の数、乗り手の数、乗り手との関係性や日々の鍛錬など。ウィンドル国にのみ存在する竜に関しては、その乗り手を含めて重く扱われる。
古竜の独断行動が貴族や一般に広まらないのはそういう規律が存在するからでもあるが、空を飛べば目撃されることが多いので、シャルベルのように夜会で情報を確認することも一つの仕事である。
こういった守秘義務は騎士団に限らず城に勤める全員に共通していることでもある。
改めて基本的なことを言われ、中には顔を見合わせる騎士もいる。全員の顔が見える位置でそれを確認しながら、さらにシャルベルは続けた。
「現在王都で流行している病に関して、ハーウェン英雄王の怒りだという根も葉もない噂が流れている。加えて調べたところによると一部ではこんな噂も出回っている。――古竜の乗り手に選ばれた令嬢が何か手を使って古竜を懐かせた天罰、なのだと」
シャルベルの声音が低く、冷たさを増す。
音を出すことさえ見逃さぬというように青い瞳は鋭さを増した。
シャルベルの言わんとするところが解らない騎士は首を傾げ、仲間と顔を見合わせる。しかし反面、理解した者はその表情を硬くさせた。
「怒りという噂に対する尾ひれかとも思ったが、それにしては結び付けられにくい上、竜は懐かないという通説の中でぱっと出るような噂とも思えない。――正直に前へ出ろ。今ならまだ謹慎と減給で手を打ってやる」
静かだが冷え切った問いが、刃となって突きつけられた。
向けられるのは殺気に近い肌が総毛立つほどの怒り。声を荒げることのない声音は静かで、けれどその恐ろしさを強調させる。
恐れなのか、名乗るつもりがないのか。誰も出てこない状況にシャルベルは目を細めた。
「そうか。分かった」
「あら? どのみち規律違反は看過できないのだけど?」
シャルベルを平然と見つめて首を傾げるレリエラの隣で、ロベルトも同意の顔をしてシャルベルを見る。
二人を見ることなくシャルベルは騎士たちを見据えたまま冷ややかに答えた。
「内部情報の流出。それもラウノア嬢にわざと矛先を向けるもの。――予想はできている」
眼光に怯える者。態度を変えない者。シャルベルから視線を逸らす者。
すべてを視界に収め「解散」を告げるとシャルベルは早々に背を向けた。
その噂が耳に入るようになったのは、病が流行りだしてしばらく経ってからだったと記憶している。
耳に入った当初は『ハーウェン英雄王の怒り』という天罰の噂に尾ひれがついたのかと思った。しかし、病に対処しているうちにそれは広がり、不審に感じた。それはレリエラも同じだった様子ですぐに二人で調べることにした。
しかし、病に関する問題まで浮上した上に人手不足の中では忙しく時間がなかなかない。出てしまった噂はそう易々とは消せない。
調べ始めて数日後には、ラウノアから「古竜に会いたい」と連絡を受けた。騎士たちを集めると決めたのはそのときだった。だからロベルトに直談判をして、忙しい中を承知で動いた。
正直に出てくるならそれがもっとも穏便だった。だが、意地なのか恐れなのか、誰も出てはこなかった。
もともと、ラウノアが古竜の乗り手になったことにいい顔をする者ばかりではなかったが、起こしてくれた問題はただ怒りが沸き起こる。
早々に副団長執務室に戻り、シャルベルはともに戻ったレリエラに仕事を配った。
「名簿は?」
「疑わしいのがまだ数名残ってるわ。ルイン君にもちょっと協力してもらって調査中。……その間に名乗り出てきたらどうするの?」
「どうもしない。団長の判断で処分を与える。――俺はもう機会は与えた」
情けは終わったと切り捨てるシャルベルに「あらあら」とレリエラは微笑みを崩さない。
規律違反は見逃せない。たとえそれが「古竜が懐いている」というものだとしても、これは立派な違反だ。
竜はもともと人間に懐くことはない。そんなことはあまりにも稀で、だからこそ守らなければいけない。
だから竜に関しては特に重く情報が扱われる。
「ラウノアさんのこと、どうするの?」
「シルバーク殿に任せてあるし、ラウノアの側付きが向かってくれた。俺は早々にすべてを片付けてラウノアを迎えにいく」
「ふふっ。じゃあ私も頑張らないと」
足取り軽くレリエラが仕事部屋を出ていく。それを見送って、シャルベルは上着のポケットに手を入れた。
取り出すのは、ラウノアにもらった手紙。
普段ならこれは屋敷へ戻れば届いていて、自室で開封する。
けれど今、無性にこの手紙が気になって仕方ない。
(渡すつもりで持っていたんだろうか……。俺が忙しいから直接と……)
くしゃりと皺のついた封筒を伸ばす。
宛名と差出人を記す見慣れた文字は、心を突いて仕方ない。
古竜に会いにいっただけだったのに。
報告を受けて、共に行くと言い出して。
扉を隔ててラウノアが出てこなくなった。
短時間の怒涛を思い出して、自嘲的に口角が歪んだ。額に手を当て項垂れる。
冷静さを失いそうになって、それを落ち着かせるのが忙しい。けれどどうしてもラウノアが浮かんで。胸が痛んで仕方がない。
(こんなことなら、古竜に話をしてすぐに彼女を屋敷へ帰すんだった……)
後悔など、後から浮かんでくるばかり。
古竜に駆け寄ったラウノアを思い出して、ため息が出て――思い出した。
(そもそもラウノアはなぜ古竜のもとに……? ラウノアが古竜に会いにきたいと思ったことには彼女なりの理由があったはずだ。何かを話していたし、古竜も首を横に振ったり鳴いたり……)
何を話しているのかは聞こえなかった。
けれど今の状況で、ベルテイッド伯爵夫妻も外出には難色を示すだろうこのときに、ラウノアは願ったのだ。
(それに、ラウノアはこの病は感染しないと知っていた)
理由は知らない。聞かない。
知らないことが多い状況に、シャルベルは頭を冷やすために息を吐いてから手紙の封を開けた。これからしばらく忙しくなる。読む暇もないかもしれないが、返事を考える穏やかなひと時があってもいいはずだ。
普段なら屋敷へ戻ってからとる行動に、どうしようもなく口許が歪んだ。
この行動は正解だったと、シャルベルは開封からすぐに悟った。
すぐに席を立ち、急用を片付けるために仕事部屋を飛び出した。
しばらく屋敷へ戻ることはない。そう思っていたシャルベルはしかし、その日の夕方には屋敷へ帰宅した。
急ぎ足で帰宅した子息を出迎えた執事キリクは、どこか落ち着きないシャルベルに内心で怪訝とした。
「レオンは帰っているか?」
「はい。旦那様と奥様と談話室に」
聞くや否やシャルベルは足早に談話室へ向かう。普段なら自室でまず着替えるシャルベルの、その様子のない行動にキリクも何かを感じとりつつ同じ速度で後ろを続く。
談話室の扉を開けシャルベルが足を踏み入れれば、寛ぐ両親と弟の姿。帰宅そのままの姿のシャルベルに公爵夫妻は首を傾げた。
「おかえり。シャルベル。どうしたんだい急いで」
「失礼します。――レオン。少しいいか」
「はい」
騎士団で仕事をするときには少し鋭く斬れそうな空気をまとうこともあるシャルベルは、屋敷でそんな空気はまとわない。声音は穏やかで、周囲への気配りもできる。
しかし今、そんなシャルベルが見せるのは仕事のときと変わらぬ鋭く冷たさもある空気。
そんな様子を見たレオンはすぐに立ち上がると、シャルベルとともに談話室を出た。
普段と違うシャルベルの様子から、使用人たちも大事ななにかだと察して距離をとる。優秀な使用人たちの気の利いた行動に感謝しながら、シャルベルは談話室から離れた上でさらに声を潜めた。
「調べてほしいことがある」
「はい。分かりました」
「……安請け合いをするな」
「兄上ですから」
そう言ってもらえるのはありがたいことなのだが、少々心配になる。弟の微笑みはどこかレリエラに通じるものがあって、助けられているからこそ言い返す言葉も出てこない。
レオンに頼みごとをしたシャルベルは、まだ終わっていない話をするために両親のもとへ向かった。
レオンを加え家族四人が揃った談話室には普段にない緊張が漂う。それを感じる使用人たちも息を潜め、主人一家を見守った。
シャルベルが帰宅して降り注いだ言い知れない緊張を感じる公爵夫人は夫の腕にそっと触れる。それを感じつつ公爵は悠然とシャルベルに問うた。
「シャルベル。何かあったのか?」
「詳細は言えません。ただ……ラウノアから婚約を解消したいと言われました」
威勢と鋭さを失った、自信なく彷徨うような声音が室内に沁みた。