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22,伸ばしても、もう…

 無意識なのか意識的なのか。いきなり動いたジェイドはすでに寝息を立てている。容態に変化はないから安堵の息を吐いた。


(わたしのせいという病。伝染しないというシルバーク様の言葉。病の完治法、原因。ベルテイッド伯爵家とギ―ヴァント公爵家に与える影響。そして――今、起こっていること)


 苦しそうな患者たち。ジェイドの他にも患者は並んでいる。そんな顔を見てラウノアは息を吐いた。

 垂れ布を越え扉の前に立つ。――鍵は、開けない。


「シャルベル様」


「ラウノア。すぐにそこから出て――」


「いいえ。――わたしはここに残ります」


 意思と覚悟に満ちた、あまりにも静かな声音。耳に入ったシャルベルの頭は途端に真っ白になった。

 扉が開く気配はない。扉の向こうに人の気配はあるのに、出てきてくれない。極めつけに――今、なんと言った。


「ラウノア……? 何を言っている?」


「伝染の危険がないとはいえ、医員の皆さまには不安もあるでしょう。病院も人手不足のはずです」


「だとしても君が残る必要などない」


「シャルベル様。わたしのせいだと言うではないですか。この病は」


「っ、そんな馬鹿な話があるか! 頼むからっ、出てきてくれ……。来ないなら壊してでも迎えにいく」


 シャルベルの傍で医員たちも息を呑んで見守る。一階に集まっていた中で残っていた騎士もいたのだろう、シャルベルの怒声を聞いて何事かと様子を見にくる者もいる。

 けれど、そんなことはどうでもよかった。ただ扉の向こうの彼女が出てきてくれればそれでいい。


 扉を叩く音は思いの外弱々しくて、声は悲痛で。

 胸が痛んで、けれど、嬉しかった。


「移りませんから。大丈夫です」


「そういう問題ではない! ラウノアっ――」


「シャルベル様。お願いします。――わたしの最後の我儘です」


 声が震えないように気をつけて、そっと扉の下から廊下へ向けて手紙を渡した。半分も出せばすぐに気づいたシャルベルが引き抜いていく。


 ほっと安心して。

 胸が痛んで。

 視界が滲まないように。声が震えないように。気をつけて。

 己の軟弱な意思を、嘲って。

 側付きたちやギルヴァに、謝って。


「お忙しそうでしたのでなかなかお渡しできなかったいつもの手紙です。今を逃せばまだしばらくお渡しできないので」


 見えなくてもせめて笑って。頬を流れるものに気づかれなくてよかったと。

 扉に、背を向けた。


 扉を壊してしまうのは簡単だ。病室一つを使えなくする意味も理解している。後で書かなければいけない提出書類が増えようが、どうでもいい。

 そう思うのに、力が入らない。


 聞こえた彼女の声音には覚えがあった。これまでに何度も聞いた。

 きっと彼女はその音を発するとき、あの、覚悟に満ちた目をしていたのだろう。そういうときの彼女は、頑固なほどに自分の意思を通してしまう。

 非難を受けようが、心配させていると解っていようが、行ってしまうのだ。


(そうやって独りで……)


 いつからか感じるようになった。

 ラウノアとの距離は縮まっているはずなのに、時折遠くなる彼女との距離。今はもう、互いの間に扉が隔てるほどに遠ざかっている。


 扉を壊して強行突破しても、きっと彼女はここに残ると言い張るのだろう。

 その隣に居たい。傍に在りたい。伸ばせばそうできるのに、そうしてしまえばきっとまた、彼女はさらに一歩引く。


 受け取った手紙にくしゃりと皺が寄った。いつも大切に大切に扱っているのに、こんなことは初めてだ。


(どうしてこんなことをする。それとも最初から残るつもりだったのか? そんなことをしてどうする)


 伝染の危険はないとラウノアは言った。そうなのだろう。意を決して伝えてくれた言葉に嘘はなく、シルバークの推測で迷いを消してしまったのだろうか。


「あ、あの、シャルベル様……」


 困惑している医員たちがいるが、何も答える気力などない。

 どうにかしたいけれど、どうするべきかが、今の自分には分からない。


 これが敵の籠城であるならばいくらでも策を考え行動するのに。対峙しているのがラウノアというだけで、自分はこんなにも何もできない人間になるのだ。

 自覚して、自嘲した。


「なんだか騒がしいなと思って来てみれば、なにやってるのかな」


「シルバーク先生!」


「それがっ」


 救世主だと医員たちがシルバークに説明を始める。途中から見ていた騎士たちもその話を聞き、呆れる者や困惑を見せる者、眉根を寄せる者もいる。

 一通りの話を聞いたシルバークは「なるほどね」と頷いた。


「そこまで元気になったならまずよかったよかった」


「あ、いえ……そうかもしれませんが……」


「お嬢さんがそうすると言ったならそうしてもらうといいよ。そのつもりがないと言いはしないだろうしねえ。シャルベル君」


 医員たちの前でシルバークに声をかけられたシャルベルがふらりと頭を上げる。息を潜めた医員たちはシャルベルを見つめた。騎士たちでさえ、普段見ないシャルベルの様子に声もない。

 重いほどの沈黙の中で平然としているのはシルバークだけ。


「……しばらく、彼女をお願いできますか」


「うん、いいよ。だけどベルテイッド伯爵にはご説明をね」


「ええ。私が行きます」


 誰の顔を見ることもなく、シャルベルはその場から立ち去った。






 ラウノアが屋敷を出発してから約束の時間が経過した。それでもラウノアは帰ってこない。

 やきもきとラウノアの帰宅を待っていたベルテイッド伯爵夫妻は、屋敷の執事が告げた竜の来訪に居ても立ってもいられず外へ出た。


 しかし、そこにいたのは娘の姿ではなくその婚約者の姿一人だけ。――そしてベルテイッド伯爵夫妻は、竜の区域から騎士病院で起こった顛末を聞かされた。


「っ、どうしてそんなっ、そんなことになるのですかっ!? あなたがついていながらそのような!」


「落ち着きなさい、ロイリス」


「だけどあなた! シャルベル様がご一緒ならと、そう信じて許したのです! なのにっ……!」


 顔を覆って嗚咽を漏らす夫人をベルテイッド伯爵は抱きしめた。その瞳もまた心配に揺れている。


 何を言われてもそれを受けとめる責任がある。

 だからシャルベルは「申し訳ありません」とただ、それだけを告げる。


「騎士病院の医師で研究者でもあるシルバーク医師によると、この病に伝染の危険はかぎりなく低いそうです」


「まさか……。これだけの感染者が出ているのですよ?」


「その数が現在増えていないことと、王都以外で感染者が出ていないことが、根拠として挙げられるようです。現在の患者は皆が共通して原因を取り込み、発症したのではないかと」


 それだけ広まるような原因。示唆されたことにベルテイッド伯爵も思案の表情を見せる。

 ベルテイッド伯爵の胸の中で、夫人は涙に濡れた瞳でシャルベルを見た。


「伝染しないとは本当ですか? ラウノアは……」


「少なくとも、患者から病が移ることはありません」


 そう、ラウノアが言ったのだ。

 ラウノアが言ったことを二人に伝えることはできない。ベルテイッド伯爵夫妻に根拠として出せるのはシルバークの名前と彼が言っていたことだけ。


 いくら研究者の推測でも現状ではとても信じられる言葉ではない。しかし、シャルベルの言葉には確信がある。

 それを感じた夫妻は顔を見合わせ困惑を露にした。


「旦那様」


 話のひと段落を待っていたように声をかけたのは、ラウノアの執事であるガナフ。シャルベルとベルテイッド伯爵が視線を向ければ、そこにはラウノアの側付き四人がそろっていた。

 意思と覚悟を見せるそれぞれの眼差しにシャルベルはラウノアに見るものとの共通を感じ、ベルテイッド伯爵はなんとなく彼らが望むものが理解できた。


「行くんだな。ラウノアのもとに」


 ガナフは微かに口角を上げると、恭しく胸に手をあて、まっすぐな目をしてベルテイッド伯爵を見つめた。


「はい。私たちはラウノアお嬢様の側付きですので」


「おまえたちはカチェット伯爵家からラウノアについてきてくれたんだ。私に止める権利はない」


「痛み入ります。アレクとイザナを向かわせます。お嬢様のご様子などの言伝を私とマイヤが受け取り、お知らせいたします」


 四人全員が行くのかと思っていたベルテイッド伯爵は別行動に驚いた顔をした。そんなベルテイッド伯爵を見てガナフは微笑む。


 いつだってラウノアが一番の最優先。けれど知っている。

 ラウノアはたくさんのものを大切にして、大事にしている。だからこそ手が出せないことに悩み苦しんでいた。


(お嬢さまの御心はあの方たちと同じ)


 側付きなら誰もが知っている。ラウノアと同じようにたくさんのものを大切にしている人を。

 ラウノアとは違う不敵な笑みも。ラウノアと同じ優しい微笑みも。


 ガナフの後ろでは、普段とは違い表情を引き締めたイザナと少し険しさを見せるアレクがすぐに駆け出した。ラウノアのもとへ向かう二人を見送りつつシャルベルも内心で少し安堵した。

 ラウノアの側に誰かがいるならそれがいい。信頼できる側付きならラウノアも安心だろう。


「シャルベル様」


 イザナとアレクが向かったことでベルテイッド伯爵夫妻も少し冷静になれたのだろう、落ち着いた声がシャルベルの耳に入る。

 向けられる瞳はまっすぐで、揺れている。


「ラウノアを、お願いします」


 その言葉を紡ぐ心は、どれほどのものだろうか。

 信じてもらっていて、それを無下にして。信じられないと罵られて仕方ないのに。

 守ると言って、守れなくて。


 それでも分かるのは、自分の心は変わらないということ。


「――はい」






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