20,観察と思考からの結論
騎士団や近衛隊の騎士には、鍛錬での負傷や戦での重症傷などを診てくれる専用の病院がある。それが騎士用病院であり、医務室としても使われている。
日頃なら怪我の手当て程度に騎士が出入りするその場所も、現在は緊張が張りつめている。
現在の入院患者のほとんどは騎士宿舎で生活している者たちだ。通いで勤める者たちの中には街の病院に入院している者もいる。
見舞いも制限され、死亡連絡はすぐに騎士団長や近衛隊長に伝えられ、遺体の引き取りや入院中の詳細について報告がなされることになっている。
王城の研究室と連携して病の解明に挑んでいる病院でもあり、研究者の姿もちらほらと見受けられる。
そんな中、ラウノアはシャルベルとともに騎士用病院へ足を踏み入れた。
一階フロアには同僚を案じて居ても立ってもいられない騎士や、死亡を聞きつけ駆けつけた騎士の姿がある。
「副団長!」
シャルベルに気づいた騎士が声をあげれば、視線はすぐに集まった。
同時にそれはラウノアに対しても同じ。驚きや不信、突き刺さる視線にラウノアは少し身体が強張った。
「副団長、その人は――」
何かを言いかけた騎士をシャルベルは手を挙げて制する。一同を見渡し、息を吐いて静かに告げた。
「ばかげた噂が流れているのは知っている。根拠のない、不安を煽るだけのそれを、俺は騎士団副団長としても竜使いとしても許すつもりはない。――ラウノア。そうだな?」
その青い瞳が見つめる。強くて揺るがない瞳が。
「――はい。そもそもにその噂には致命的な矛盾があります」
「矛盾……?」
「なぜ、天罰がわたしに下っていないのですか? 噂のとおりならば、怒りを向けられているわたしにまず下るものではないですか」
見てのとおりにラウノアは元気だ。その堂々とした姿から告げられる言葉に騎士たちも顔を見合わせる。
それを見たシャルベルは、長居はしないというようにすぐに切り替えた。
「全員。心配になる気持ちは解るが、各々まだすべきことがあるはずだ。仕事が残る者は持ち場へ戻れ。そうでない者は感染対策には厳重注意しろ。それから、分かっていると思うが、後で全体へ話がある。その場には必ず出るように」
視線を下げ俯く騎士たちから視線を動かしシャルベルはラウノアの手を引いた。「行こう」と言われると同時に足は進み、一階の奥へと進んでいく。背中に刺さるような視線を確かにラウノアは感じていた。
奥まで進んだシャルベルは勝手知ったる様子で一室の扉をノックして入室した。
一階の奥にある一室で待っていたのは騎士病院の医師の一人。白い髪の年配医師は緊張している病院の空気とは逆に、とてもほんわかとした柔らかな空気をまとっていた。
口許に髭を蓄えた小柄な男性医師は、シャルベルとともに入ってきたラウノアを見てとんっと椅子から降りた。
「あれ、お客さん? 茶でも出そうかな。ちょっと待ってね」
「シルバーク殿。結構ですから報告を」
「まあまあ。一杯って大事だよ」
ほわほわとマイペースな医師はのんびりお茶の準備を始めてしまう。止めようにも止まらないと解っているのか、シャルベルはため息を吐いてシルバークからラウノアに視線を変えた。
「ラウノア。彼はシルバーク。ここの医者で、病や薬の研究者でもある」
「初めまして。ラウノア・ベルテイッドと申します」
シルバークの部屋らしいこの部屋は、どこもかしこも書物の山。うず高く積み上げられた書物は少し触れれば崩してしまいそうだ。床は足の踏み場こそあれど、その床はシルバークの仕事机に向かうようだけ空いている。
ラウノアの挨拶に微笑んだシルバークは仕事机の前の定位置に腰を落ち着け、「どうぞ」とラウノアとシャルベルを傍のソファに促した。
「僕はシルバーク。君のことは知ってるよ。シャルベル君が一目惚れした古竜の乗り手のお嬢さんだってね。あ。お菓子もいる?」
「あ、ありがとうございます」
シルバークの部屋の乱雑さ。その中に似合わない質の良いティーセットとお菓子。
不思議な組み合わせに戸惑いつつも、ラウノアは素直にそれをいただいた。美味しい。
「シルバーク殿。前置きはいいので手短にお願いします」
「世間話もなし?」
「なしでお願いします」
「もー。君はせっかちだな。身体と脳の回復はちゃんとしてあげないと」
カップから一口飲んでほっと息を吐くシルバーク。そしてぱくっと菓子を食べてやっと、シャルベルが求める本題を始めた。
「病気ってね、身体のどこかに異状が出るんだ。それを正常に戻すために手助けをして、治療していく。身体に異常は当然のものだけど、今回の病は違う」
ことりとカップがソーサーに戻される。その音はやけに室内に大きく響き、ラウノアもシャルベルも目を逸らさずシルバークを見つめた。
「異状がないんだ」
「……どういうことです?」
「そのまま。身体は悪くないのに身体が弱り果てていく。何か大きな症状が出るわけでもなく、出るのは風邪と同じような症状ばかり。だから原因が分からない。原因が分からないと薬の処方もしようがない」
お手上げと言わんばかりに肩を竦めるシルバークにシャルベルも眉根を寄せる。
「目に見えない原因があると?」
「風邪とかならいんだよ? 熱さましも効くし、ちゃんと休むっていう一番の薬もある。だけどこれにはそれが効かない。これだけの規模なら集団的な感染要因があると思って王都を調べてもいるけど、いい収穫はない」
困り果てたというようにため息を吐くシルバークに、シャルベルも顎に指をそえる。
医師でも研究者でもないシャルベルには解ることは少ない。しかし、風邪を引くようなものとは全く違うことも、原因や対処に対する知識も少しは現状で知った。
現在は症状に対する薬を飲ませ、本人の回復力に頼るところが大きい。しかし、頼れない程に回復力は乏しいのが現状だ。だんだんと弱っていく。
(原因は必ずあるはずだ。人々が知らない感染原因が。だからこそこれだけ広まって……いや。ラウノアは人には感染しないと言った。つまり現在の状況も人のものが移ったのではなく、個人が持っていたものということになる)
これだけの規模で? 考えて眉間に皺が寄る。
そんなシャルベルの前で、シルバークは机に置いてあった紙を一枚手に取った。
「それから、症状は個人でいろいろ。熱が出て動くのも億劫って感じで数日数週間もつ人もいれば、昨日まで元気だったけど突然ぽっくりって人も。性別に差はないけどちょっと男性が多いかな。年齢層は二十代からが多いけど、女性には十代もいるらしい。ここ騎士病院だからほとんど男ばっかりだけど」
「症状が長く続く人とそうでない人に違いはありましたか?」
「うーん……。あ、そうそう。竜使いは持ちこたえる人が多かったかな。それからね……」
その単語にシャルベルは視線をシルバークに向ける。シャルベルの隣でラウノアは口を挟まずじっと聞いている。
資料から目を外したシルバークは、シャルベルとラウノアを見て緊張に合わない安心させるような笑みを浮かべた。
「この病、人には移らないんじゃないかなあ」
「……確証が?」
ラウノアと同じ言葉が出てきたことに驚きつつも、それを表情に出すことはなくシルバークに問う。
その問いを受けたシルバークはほんわかしか空気をまといつつも、やはり研究者としての顔をする。「えっとね」と前置きゆっくりと話し始めた。
「実際に看病してて倒れた人もいるよ。ただ、それまで患者を担当しなかった人が、看病を始めて次の日に倒れたなんてこともある。こうなると感染じゃなく、もともと原因を持っていた線が濃い」
王都にはさまざまな人がいる。何かの原因により感染者が発生、それが人に移っていけば瞬く間に王都は感染者で溢れる。
もちろん、うがいや手洗いなどの予防法もある。それでも一気に感染者が増えたのが現状だ。
そしてそれは、あるときから一定数で止まっている。
「これだけの規模なら感染力がかなり強いことが予想される。だけどここ最近、新規患者の報告がないんだ。これが伝染について考えた一つの要因でもあるんだけど。予防をしてても罹る人は罹るしね。でも今はその報告がない」
「では、原因を持っていた人々が一斉に発病した、と?」
「そういうこと。そう思う一つの根拠は――この病、王都以外では報告されてないんだ」
「!」
驚くシャルベルにシルバークはふわりと微笑む。「不思議だよねえ」と出された言葉に、シャルベルは口許に手をあてた。
(王都には行商人も多い。だというのに、決まったように患者は王都にだけとなると、人から人への伝染は確かに疑わしい)
人と接する機会が多い行商人が感染していない。浮かぶ疑問は病を知る手がかりになるかもしれない。
「陛下に報告は?」
「さっきしたばかり。伝染の有無が分かれば安心だけど、根本的なところが難しいから」
どうしても行き詰まるのはそこなのだ。それを解決する手はシャルベルにはない。
眉根を寄せるシャルベルの前で、シルバークはラウノアへ視線を変えた。
「お嬢さん。一つ聞いてもいい?」
「はい」
「中には、君への天罰なんて声もあるけれど、どう思う?」
その笑みから出たのは興味本位の質問だ。それを聞いたシャルベルはシルバークを止めようとしたが、それをラウノアに制される。大丈夫だという目がシャルベルを見てひとつ頷いた。
引いてくれたシャルベルに胸があたたかくなりながら、ラウノアは目の前のシルバークを見つめる。
「そうだとするなら、真っ先に天罰が下るのはわたしでしょう」
「君を苦しめたいのかも」
「でしたら、ベルテイッド伯爵家の方々やシャルベル様を病にかけるのが最も効果的です」
「現状は天罰にもならない?」
「現状に胸を痛めないわけではありませんが、やり方は効果的ではありません。伝染の危険は低いとシルバーク様はおっしゃられました。……わたしに天罰を与えたいなら、どういう方法がもっとも効果的であるか、自分がよく解っております」
「古竜に懐かれてるって、本当?」
その質問にだけは曖昧に微笑んで誤魔化す。騎士病院の医師相手とはいえ言っていいものか分からない内容だ。
問いと答えが交互に交わされる。過ぎるようならば止めに入ろうと思っていたシャルベルだが、その必要はなくシルバークは満足そうに微笑んで頷いた。むしろ「古竜ってどんな様子なの?」とさらに興味津々な様子だ。
普段の古竜の様子に興味があるのか、シルバークはさらに質問を続けようとする。それを耳に入れながらもシャルベルはすぐに止めに入った。
「シルバーク殿。あまり長居もできませんので」
「あ、そうか。そうだね。じゃあ行こうか」
当初の目的などすっかり忘れていたかのようなシルバークに困りつつも、一同は席を立って部屋を後にした。
案内役のシルバークが歩く後ろで、シャルベルは声を潜めてラウノアを見る。
「大丈夫か? その、最後の応酬は……」
「大丈夫です。シルバーク様も噂を信じておられるわけではないのでしょう。現状と数字、事実を見ておられる方のようですから。それに……どちらかというと、古竜について聞きたかったのではないかと」
「ああ……」
竜使いが少々病に強かったからなのか、それとも個人的に知りたいのか。古竜について少々前のめりだったように思う。
それが古竜だからなのか、それとも噂を含めてラウノアという乗り手が現れたからなのか。
シルバークは医師だ。だからこそ、根も葉もない噂に惑わされることはない。しかし、そうはいかないこともある。
すでに王都の警戒巡回中にも耳に入っている。――「古竜の乗り手だって貴族令嬢が原因なんだろ!? そいつをとっ捕まえて責任取らせろよ!」そんな声に毎度怒りを覚え、冷静であることを意識してそうではないと否定する。けれど明確な原因を提示できなければ意味がない。
それでももう、限界だ。
だからロベルトに願い出た。ロベルトもシャルベルを見てため息をつきつつも承諾をくれた。
(今朝召集はかけたが……。もう悠長なことはしていられない)
シャルベルが表情を変え思案するように口許に指をそえたのを見てラウノアは首を傾げるが、シャルベルが何かを言うことはなく二人で黙って歩き続けた。
人も少なくなりやがていなくなるような奥に、亡骸を安置する場所がある。その一室へ来るとシルバークが扉を開けた。
どことなくひんやりとした空気が肌を撫でる。肌寒さを覚えてしまう室内は重いほどの沈黙に占められ、三つある台の上に白い布がかけられていた。
人の形に盛り上がった布。問うまでもなく理解した。
シルバークが顔にだけかけられた布を除ける。知らない顔ばかりが並んでいた。
けれど、こうして対してしまえば嫌でも感じる。痛みばかりが胸を衝く。
自分が早く手を打てば。その存在にもっと早く気づいていれば。――解っている。そう思うことも分かっていて何もしなかった。
痛みは際限を知らない。溢れて溢れて止まらない。
深く、深く、敬意と沈痛の想いで頭を下げることしかできなかった。