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19,君に捧げる

 どれほどそうしていたか。シャルベルは近づく音に視線を向けた。


 ラウノアの後ろにいて、心配そうにラウノアに頬を寄せるのは古竜だ。ラウノアは微笑んで「大丈夫です」と安心させるように告げている。

 それを見ていると、古竜の黒い瞳はシャルベルを睨み、ひとつ鳴いた。それを聞けばヴァフォルまでシャルベルに視線を向ける。


 まるで、「言うとおりにしろ」とでも言うように。

 竜には解ることがあるのか。乗り手として以上に好ましく想うラウノアのためであるなら、それは懐いているという行動以上の意味があるようにさえ感じさせる。


 そんなことを思ってしまって、シャルベルは相棒を見た。


「ラウノアを連れていくべきだと言うのか?」


 返ってきたのは了承の声だった。当然だとでも言うように息を吐いて。

 行動次第でヴァフォルの不機嫌を買うことになるのは分かったが、それでもやはり迷う。


 竜の意思はラウノアと同じ。それが分かって頭をよぎる、ラウノアの表情。

 だから思わずラウノアを見て、拳をつくって、問いかけた。


「――……君は、現状で何か知っていることがあるのだろうか?」


 広い竜の広場には誰もいない。傍にいるのは乗り手と互いの相棒竜だけ。

 風が吹いてすべてをさらっていく。このまま自分も飛んでいければと、撫でる風にそう思ってしまう。


 シャルベルの瞳はまっすぐで、少し揺れている。

 苦悩や葛藤、それでも伸ばそうとする手を感じる。


 知ろうとしてくれる。不器用に、誠実に。

 そんなシャルベルを知っている。ずっと見てきた。躊躇いがあって迷って、慣れていないさまはとても好ましくて微笑ましくて。

 いつだってそんな彼がいたから笑顔になれて、ただ心が嬉しくて。


 ――だけど今、その手を掴むことは、できない。


 伸ばしたいと涙とともに抱く気持ちと、伸ばしてはいけないと戒める気持ちは、どちらもラウノアのもので。

 知られてはいけないと唇を引き結ぶのは、ラウノアの意思で。

 引き裂かれそうなほどに心がぐちゃぐちゃだと感じるのは、ラウノアの感情で。


(わたしは――……)


 目の前でシャルベルが膝を折る動きがゆっくりと視界に映り、下がった視界は迷いを払ったシャルベルの瞳を映し出した。


「今ここに、誓う」


 その声が、耳にはっきりと届く。他の音など入れないというように耳が働いて、目はシャルベルに引き寄せられる。


「肯定も否定も、君がここでとる行動も言葉も、俺は決して他言しない。俺の胸に生涯秘する。騎士として、婚約者として、君の悩みを、苦しみを、ともに背負わせてほしい」


 胸に拳を。言葉に決意を。心臓に刃を。

 誓いの言葉は、果たす意志とともに彼女に捧げる。


 揺るぎない覚悟で放った誓いに返されたのは、音のない世界と頬を流れる一筋の雫。


 一瞬動揺して、なんとか抑えて。そっと手を伸ばして雫を拭う。こんなふうにラウノアに触れるのは初めてだ。

 涙を見るのも、初めてだ。ラウノアはいつも微笑んでいるから。


 古竜とヴァフォルが心配そうにラウノアを見つめている中で、ラウノアは涙を見られないようにするように顔を覆った。

 その肩が震えている。きゅっと唇が引き結ばれている。たくさん苦悩しているのだと分かるから、シャルベルは何も言わずに待ち続けた。


(なんだっていい。俺は、君にそんな顔をしてほしくはない。笑ってくれ。楽しむように喜ぶように、純粋に。そのためなら、君の手を掴むことができるなら、俺は――……)


 自分の心を落ち着かせることにラウノアは必死だった。

 戒めている心を解き放ってしまいそうで。甘えてしまいそうで。――そんな自分が怖い。


(でも、知ってる。知ってるの。シャルベル様はわたしが竜に懐かれると、未だに口を噤んでおられるから)


 だから誰も、古竜が懐いてる、と話題にしても他の竜の話など出さない。それを知っているのはシャルベルだけだから。

 あのときはただ、その推測をラウノアが望まないならという理由だけで胸にしまうと決めたシャルベル。誓いなんて立てていない。


 その意味を、解ってしまうから。


(信じたい。信じてしまう。でもっ……)


 怖いのは自分だ。怖いのはシャルベルだ。

 返答を後日とできるものならそうしたい。大事なことはギルヴァにも相談して、そうして――……。


『守ることは大切だ。だが同時に、守りきれなくなったときのことも考えておけ』


 思い出した。


(ギルヴァ様の予測はシャルベル様に対して……? わたしがこうなることも、逆にシャルベル様から漏れることも、考えておられる?)


 それよりもずっと大きなことに対してもあるだろう。

 けれど同時に、以前ギルヴァが言っていたことを思い出した。あれはラウノアの婚約が決まった頃だった。


『ああ、そうだ。ラウノア。おまえに一つ伝えておくことがある』


『なんでしょう?』


『おまえの心が手を伸ばしたいと強く感じた相手がいたとき、そしてそれがもしおまえの婚約者だったなら、伸ばしてみろ』


 なぜと問うたラウノアにギルヴァは笑って「勘」と言った。あのときはそんなことがあるのかと疑問であったが、今、そのときがきた。


 伸ばしてみろとギルヴァは言った。秘密を守れなくなることを考えろともギルヴァは言った。

 正反対だ。だけどギルヴァが言うことには意味がある。


 判断はできるはずだ。

 だってラウノアは、少なくとも婚約を結んだ当初よりもシャルベルという人物を知ったのだから。


「シャルベル様……」


「うん」


 まだ、怖い。この恐怖はきっとずっと消えない。秘密に伴うものは一生背負っていくのだ。


 シャルベルを見つめる。シャルベルは膝をついてラウノアを見上げていた。

 揺るがない姿勢と眼差しはまた、ラウノアの心を強く揺るがす。


 唇が震える。拳が痛い。


(だけど、もしかしたら。もしかしたら、シャルベル様とこの現状を打破できるかもしれない)


 何も語れない自分をシャルベルはどこまで信じてくれるだろう。聞かずにいてくれるだろう。なんて、都合のいいことを考えるのだろう。

 そう思うから、愚かな自分に内心で笑うのだ。


 ――自分はいつだって、シャルベルを利用する。

 そう考えれば少し頭は冷えてきた。だから小さく長く息を吐く。


「……この病は……感染しません」


「分かった」


 震える口から紡いだ言葉にあまりにもあっさりとした即答が返ってきて、ラウノアは思わずシャルベルを見つめた。

 その目はさきほどまでと同じ、まっすぐとしたものだ。


「……信じるのですか…?」


「ああ」


「同行したいわたしが嘘を言ったと、思わないのですか……?」


「今の君から出る言葉なら、俺は信じる」


 なぜかシャルベルの傍でヴァフォルが自慢げな表情をしている。乗り手の態度に満足しているらしい。そういうシャルベルをヴァフォルも好ましく思っているのだろう。

 ラウノアが唖然とする前でシャルベルは「しかし…」と思案に戻った。


「行けば謗りを受けるだろう。それでも行くか?」


「はい」


 心配そうなシャルベルを見て、ラウノアも表情を引き締める。

 告げると同時に覚悟を決めたのだ。いまさら後戻りするつもりはない。


 ラウノアの顔つきにシャルベルもふっと表情を緩めた。


「分かった。行こう」






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