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18,わが身にこそ

 安全域を保ったまま、シャルベルは少し離れて見守ることにした。

 古竜の頬に寄り添いながらラウノアの目は古竜を見つめているようだ。背中しか見えないが、目的を古竜に告げているのかもしれない。古竜も時折喉の奥を鳴らして応えている。

 見つめて、視線を逸らして。空を仰いで息を吐いた。


 長いような短いような時間が経ち傍で伏せるヴァフォルがぴくりと耳を動かしたとき、シャルベルは近づいてくる足音に視線を向けた。

 古竜に報告を終えたのか、そこにいるのはラウノアだ。


「お待たせしました」


「もういいのか?」


「はい」


 静かに頷くラウノアは普段どおり。ちらりと古竜へ視線を向ければラウノアを見ていて、ゆらりと尻尾が揺れている。

 シャルベルの視線の先を見たラウノアは少し悲し気に瞳を揺らし、瞼を閉じてそれを消した。


「そろそろ戻ろう。ベルテイッド伯爵たちが大層心配しているだろう」


 隣のヴァフォルが立ち上がる。頷こうとしたラウノアは、ヴァフォルが突然翼を広げたことに口を閉ざす。

 シャルベルがすぐさまヴァフォルが睨む方向へ視線を向ければ、騎士が一人駆けてくるところだった。


「――副団長!」


「どうした」


 ヴァフォルがいるので騎士は近づきすぎない位置で足を止める。急いできたのか呼吸を落ち着かせるようにしてからシャルベルを見て、うかがうようにラウノアを見た。

 そんな騎士を見てラウノアはすぐに察し、すっと一歩足を引く。


「待っております」


「すまない」


 シャルベルが騎士のもとへ向かう。ヴァフォルはラウノアの傍に留まり乗り手の様子をじっと見ている。

 シャルベルはラウノアからあまり離れるつもりはないのだろう。耳を澄ませば会話が聞こえてしまうような距離に、ラウノアは視線を逸らした。


 古竜がまだこちらを見ている。来られなくなるということを伝えると同時に聞いておきたかったことを聞いてみたが、やはり芳しい答えは返ってこなかった。

 古竜自身は人間の問題に興味はない。だから今、ライネルやシャルベルが動き回る案件も他人事だ。


 竜はそういう生き物だ。古竜が腰を上げるのは、仲間に危害が及ぶ可能性があるときだけ。一族として動く必要性を感じたときだけ。

 人間嫌いの竜は人間に起こることに動いてくれるほど優しくはない。竜が感じるものと人間が感じるものは、異なるのだから。それを曲げることは人間にはできない。


 今の問題の解決策は、治療法。

 竜はそれを知っている。けれど竜は人間に手を差し伸べることはない。


「――世話人一名と騎士が二名、死亡しました」


 風に乗って聞こえた言葉に、呼吸を忘れた。

 拳をつくって。震えて。全身が冷える。


(ああ……。また……)


 差し出せない手。消えていく灯。

 もう――やめてくれ。


(っ、助けたいのにっ……!)


 そうしたいのに、できない。

 胸が痛くて仕方ない。涙があふれないように必死に堪えるしかない。


 隣のヴァフォルが心配するように頭を下げるのが分かる。でも、かける言葉がなにも出てこない。


 いつだってそう。いつだって保身が重要。

 知られないように動けるなら、きっと側付きたちが止めても動いている。


 流れる噂はさらにラウノアが動くことを制限させる。

 病については少しずつ王家から究明できた部分の発表がされているけれど、薬や根本的な治療はまだない。開発には何年も何十年も時間を要する。だから今はできる予防法をとるしかない。


(噂が出ている今、わたしは屋敷を出ることもままならない。大手を振って神殿や病院に行くことができれば……)


 そんな状況があれば、また少し違ったのだろうか。

 噂がなければベルテイッド伯爵も許可を出してくれただろうか。人との接触が少ない竜の区域へ行くのにも渋々許可を出してもらえたほどなのに。


「ラウノア」


 俯くラウノアにかけられた声。ラウノアはそれを聞いてはっと顔を上げた。

 眉を曇らせたシャルベルがそこにいてラウノアを見つめていた。


「大丈夫か? なにか……」


「大丈夫です」


 苦しそうな、泣きそうな表情が見えた気がしたシャルベルはラウノアを見つめる。

 ラウノアはすぐに表情を普段の微笑みに戻してしまって、さらに続けて問うても答えはないのだろうなとなんとなく分かる。


(ラウノアは、時折そういう顔をする)


 だからシャルベルは、閉ざした口をもう一度開くときには本題に入る。


「急ぎ仕事が入ってしまった。すぐに屋敷へ送ろう」


 そう言いながらヴァフォルの手綱を手に取る。乗せるために伏せるヴァフォルの背に乗ったシャルベルは、すぐにラウノアに手を伸ばす。

 しかし、ラウノアが伸ばす手はどこにもない。


「ラウノア?」


 動かないラウノアは俯いて、きゅっと両の手を握り合わせている。その表情は見えなくてシャルベルは首を傾げた。

 家族想いなラウノアだ。用が済めばすぐに帰宅するだろうと思っていたが、その挙動は少し違う。


 だからシャルベルは、ヴァフォルから降りてラウノアの前に立った。


「どうした?」


「っ……ぁ……」


 何かを言おうとして、止めて。口を開こうとして、また止める。

 気恥ずかしさからくるものではない。極度の緊張や恐怖、怯え、そういうものを感じるようで、シャルベルは真剣にラウノアを見つめた。

 なぜと考えて、もしやと思い至る。


「……先程の騎士の報告か?」


「……はい」


「君がそう気を病む必要はない。噂も、根拠のない妄言だと俺たちは解っている」


 小さく唇を噛んだように見えた。震える手がその心を表しているようで痛々しい。

 古竜の乗り手に選ばれたときは臆することなく堂々としていた。けれどきっとそれは、自分に向けられるだけで済むものだったから。


(自分のせいであるかのような噂に加え、それによる死者という他人の末路。なにも君が心を痛めることではない)


 他者を想い家族を想うラウノアが、無関係だと切り離して知らんふりできるような人でもないと解っているけれど。

 ラウノアの心になんと言葉をかけるべきなのか。迷うシャルベルの前でラウノアはゆっくりと頭を上げた。


「シャルベル様……。その方々に手を合わせることは、できますか? 世話人の方ならもしかするとお話をした方かもしれません」


「それは……できなくはないだろうが……」


 思わず思案するように顎に指をあてる。


 遺体が安置されているのは騎士病院。そこにいるのは当然騎士ばかりで、騎士団の団員もいれば近衛隊の隊員もいる。

 だからこそ必然、古竜の乗り手に選ばれ目立っているラウノアが行けば、古竜の乗り手としても病の流行原因という噂の渦中の人物としても目立つ。最悪ラウノアに危害を加えようとする者も出ないとも言い切れない。


(古竜の乗り手に選ばれたラウノアに対し、かつて古竜の乗り手であったハーウェン英雄王が怒っている。何か手を使って古竜を懐かせた天罰。竜使いがいる騎士たちの間でそれはどう受け取られるか……)


 竜使いからすれば馬鹿馬鹿しいと一蹴できる噂だ。だがそれが、ラウノアをよく思わない竜使いであったら? その人物が病にかかっているとすれば?


「危険すぎる。君に病が移る可能性もある」


「それは治療に尽力なされる医師の方々も同じです。それに……いえ。なんでもありません」


「……」


 ラウノアをじっと見つめ、シャルベルは一度視線を逸らした。ちらりと見ればラウノアも視線を下げて憂いを帯びた表情を見せる。


(今日は、いつもとは違う)


 もちろんこの状況もあるだろう。不安や恐怖もあるかもしれない。

 悲し気なのにどこか必死に見えるのは、なぜだろうか。


 ベルテイッド伯爵とは一時間と約束をしている。今から騎士病院に向かい手を合わせれば時間はぎりぎりになるだろう。


「……いや。やはり病が移る可能性がある以上、君を連れてはいけない」


 だめだと拒むシャルベルにラウノアが小さく唇を噛む。

 シャルベルの言うことはもっともなこと。そういう病に対してこれ以上食い下がれば妙に思われてしまう。


(わたしは、なにもできない……)


 知っていて。解っていて。

 他者が死んでいくのを見ているだけ。


 助けたいと思うのは心だけで、実際に動かせる手はどこにもない。

 大切だと愛おしいと心から想って、それを言葉にして、笑って、行動してきたギルヴァとは、全く違う。


「――……わたしに天罰が下ればいいのに」


 風に攫われるようにこぼれた言葉が耳に入り、シャルベルは息を呑んだ。

 わが身をどうとも思わぬようなそんな言葉をラウノアが告げると思わなかったというのもある。何より――。


 悔しそうなその声音が普段の微笑みの下に隠された心の音のように、思うまま滅茶苦茶に演奏された楽器の音色のように、泣き叫んでいるように聞こえたから。


 だから、なんと返していいものか分からない。

 二人の間に沈黙が降り、冷たさをはらむ風がすり抜けていった。






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