14,暗雲
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「しないから安心しろ。想い合う婚約者同士を引き裂いた王子! なんて悪者はごめんだ。そして俺は古竜もギ―ヴァント公爵もベルテイッド伯爵も敵に回したくない」
「そうですか。殿下が何かしらをお考えならばどうしようかと」
「どうするつもりだったんだおい。蹴られるだけで済まないよなそれは?」
王城、王太子執務室。
呼び出されたシャルベルは執務に勤しむライネルと机を挟んで正面に立ち淡々と応じた。扉の傍に控えるゼオが苦笑い、カーランも困ったような顔をしている。
「まあ、どうしてもそういう話は出るだろう。ラウノア嬢にもいらぬ気苦労をさせてしまったな」
「殿下。寄り道もそろそろ……」
「あーあー! 言うなあ!」
机に突っ伏して聞きたくないアピールをする子供じみた王子に、シャルベルは内心でため息をついた。
寄り道好きのライネルだ。これまでものらりくらりとその話題を避けてきた。
シャルベルも婚約者がいないという話題にされることは少なからずあったが、ラウノアという婚約者を得てその話題も消えた。……消えた分、ライネルに話題が向いている。
現王にも兄弟がおらず、ライネルにも妹がいても兄弟がいない。血筋の心配をされるのは必然。
ただでさえ王族は血筋を綱渡りのように残している。周りが気を病むのも仕方ない。しかし、そろそろ限界である。
「婚約したとしても寄り道は生涯なさるのでしょう? あまり変わらないのでは?」
「変わる。婚約者との時間も必要になる上、相手がちらりと顔を見せにきたときにいなかったとなると……」
「カーラン。ゼオ。これまで以上に見張りを」
「おいそこ。護衛と言え」
机を叩くライネルの言葉も聞こえぬふり。「はい」と頷く己の護衛にライネルは苦虫をかみつぶしたような顔をする。
「おまえが近衛に入っていたらと思うとぞっとする」
「入るなと殿下がおっしゃったのではないですか。ですから、このとおり」
懐かしい学生生活卒業前の話だ。思い出しつつもライネルは表情を変えず、しかし心底シャルベルが近衛隊に入らなくてよかったと思っているのだろうと理解でき、シャルベルも何も言わずライネルに向き直る。
「そろそろ妃殿下も動かれているとのことですので、それはひとまず置いておきましょう」
「心の友の人生最重要にして重大事項の扱いが軽い」
気の置けない相手だからだろうか、ライネルが拗ねたような顔をしてシャルベルをねめつける。意に介した風もないシャルベルは平然としていて、ライネルはふんっと窓の方へ視線を向けた。
と、子どものようだったその目が何かに気づいたように僅かに瞠られる。おもむろに立ち上がろうとしたライネルを怪訝と見るシャルベルの傍を、心得たようにゼオが通り抜けた。
そのまま窓へ近づいたゼオが窓を開ければ、肌寒さを感じる風が室内へ入り込む。
すぐに窓から少し離れたゼオの行動を見ていたかのように、翼を羽ばたかせ一羽の鳥が執務室へ入り込んだ。慌てることはなく冷静で、上空を旋回すると窓枠へと降り立つ。
大きさは鴉ほど。目の周りは白く、頭や背中は黒色をしていて腹は茶色、少し長い尾が伸びている。その目がこてんと首を傾げるようにシャルベルを見て、ライネルを見る。
そんな鳥を見つめたライネルは少し自慢げにシャルベルを見た。
「鳥でも俺の人生重要事項を認識しているように飛び込んできてくれたぞ」
「……飛び込んでくると、分かっていて?」
「いつだったか王宮で出会った鳥でな。俺に懐いてくれたらしい」
ライネルが鳥を飼っているなどとは出回っていない。つまり、懐いて周囲を飛び回っているだけということだ。
執務室にまで飛び込んでくるほどの懐き加減には自分がよく知る似たものが頭をよぎり、シャルベルは窓枠で羽を休める鳥を意識から追い出しライネルに向き合った。
「それで、お呼びの用件は?」
同僚である騎士たちには気が短いと言われるシャルベルは、ライネル相手には情が見られないほど淡々としている。
感情的に言い返すようなことがあれば面白がるのがライネルだ。学生時代からの経験あってこそなのだが「心の友が冷たい」とライネルは少々拗ね気味である。
ただライネルと世間話をするために来たわけではないシャルベルは現在勤務中であるし、それはライネルも同じ。
呼び出されて開口一番ラウノアと古竜のことを聞かれたので流れ上付き合っていた話をひとまず打ちきり、シャルベルは背筋を伸ばす。
そんなシャルベルを前に、ライネルも「仕方ないな」と言いつつも子供じみた表情を消してシャルベルを見た。その顔つきの変化はがらりと印象を変えるものであり、だからこそシャルベルも誠心誠意仕えている。
「納涼会での一件、進捗は?」
「全員が息絶え、火薬の線からも調査しましたが入手経路は不明です」
「行き詰ったか……。人相からの聞き込みは?」
「表ではありませんでしたが、裏で数人は。しかし、単独での行動だったようで相手の詳細は分からないままです」
シャルベルの報告にライネルもひとつ息を吐いた。
人々が暮らす表の社会と、その裏。
武具や薬物、暗殺者などは裏ではよく知られるものだが、やはり簡単に足を掴ませてくれないらしい。こういう相手は慎重に調べなければ捕えることすら難しい。
「諜報からの報告も似たようなものだ。相手はなかなかに人数がいたがうまくばらけて動いていたんだろうな。素人でないのは確かだが、そうなると組織が大きいとも思えない。裏はとかく、新しい顔には敏感だ」
「調査はまだ続けますが――」
「それだと長引く。それに、残党がいるかどうかも分からない。いるとするならまた俺を狙ってきたときに捕まえるのが手っ取り早い。……生きて捕まってくれればな」
そのために賭けるものが大きすぎる。渋る表情を見せるシャルベルやゼオに、ライネルは分かっていると言いたげに頷いた。
「どのみち、見つからぬものを探すよりは俺の警護を固めるほうがいいだろう」
「それはもちろん」
とんっとライネルの指が机を打つ。その音が執務室内にいやに大きく響き、シャルベルは口を開かずライネルを見た。カーランやゼオも緊張をもってライネルを真剣に見つめている。
「実行犯が全員死んだ以上、あるかも分からないそれ以外の人間を探すのは現在の調査で終わりにさせる。以降は、他に不審を与えぬ範囲で俺の警備、それにグレイシアの警備も固める。王家にこういう手合いはつきものだ」
「承知しました。陛下には……」
「俺から伝える。……これも大事だが、どうやら他に急がなければいけない事が起こりそうだ」
疲労を滲ませるように呟いたライネルにシャルベルは眉を動かす。
王族の身よりも大事。ライネルがそう言うのはただ一つ。
「――殿下」
「最近、王都の中で原因不明の病が流行の兆しをみせていること、知ってるか?」
「いえ。私の耳にはまだ……」
「これも諜報からの報告だからそれも無理はないか……。症状や程度は人によってばらばら。薬は効かず、命を落とす者が多いようだ」
悪い知らせにシャルベルも険しさを見せる。
ラウノアと古竜のこと、ライネル暗殺に関する調査。それらに忙殺されていたがまさかそんな問題も起こっていたとは。しかもかなり厄介だ。
「……最近、騎士団でも不調で欠席する者が増えています」
「城内でも出ている。急ぎ薬室や研究室に調べさせているが時間がかかるだろう。おまえも気をつけろ」
「はい。殿下も、くれぐれも」
「分かってる」
ライネルに一礼し、シャルベルは王太子執務室を後にする。それを見送った鳥もまた、窓辺から空へと飛び立った。
数日後。貴族社会を激震が走った。
その内容が耳に入り、シャルベルはすぐにライネルのもとへ急いだ。かつかつといつもよりも足早に城内を歩いていれば、城内でも陰で囁く声や慌ただしさも目立つ。
それらを横目に見つつライネルの執務室へ急いだ。
控える侍従にライネルと繋ぎをとってもらい、許可を得てすぐに執務室に入る。
いつものように扉の傍にカーランとゼオが控える中、執務机を前にさすがに参ったと疲弊を見せるライネルがいた。
「おはよう、シャルベル。おまえも例の話を聞いたか?」
「おはようございます、殿下。早々に私の耳にも入りましたので少々気になりまして」
「そうだな。本当になんの前触れもなかった。つい先日も顔合わせをしたところだぞ。とても突然訃報に変わるなど思わなかった」
力なく笑うライネルにシャルベルも言葉に迷った。
ライネル第二王子の婚約者として発表されるまで秒読みだと思われていた、ローヘルハイト公爵令嬢の突然の訃報。
婚約者筆頭候補者として見据えていた部分もあったのだろう。ライネルにとっても大きな衝撃だと察することができる。
「公爵からの報告によると、昨晩は何もなく元気だったそうだ。しかし朝には冷たくなっていたと」
「……原因は不明、となると」
「ああ。出回っている病だろうな。諜報の報告からすぐ研究室に調べさせているがまだ成果がない」
ローヘルハイト公爵令嬢の突然の訃報。原因も分からないとなると貴族社会でも大きな動揺となる。加えて現在は町でも同じ病が流行の兆しを見せ始めている。
事が大きくなるのは目に見えている。
「これが風邪のように人に伝染するものなら余計に厄介だ。原因の解明と治療薬の製作は急ぎたいところだが、どちらも途方もなく時間がかかるからな……」
「どうされますか?」
「民には知らせて予防対策をとらせる。患者の正確な数を報告させ、診察する医師から報告書をもらう。それを踏まえて研究室で究明。王家として医師の手配、病院や神殿の解放、非常物資の手配も考えておかなければな」
「騎士団においてなせることがあればいくらでも」
申し出るシャルベルにライネルも当然のように頷く。そして手元の資料をかき集めると手早く手に持った。
「緊急の会議があるから出る。シャルベル。忙しくなるが頼むぞ」
「もちろんです」
執務室を出るライネルに続き出たシャルベルは、ライネルを見送ってすぐに騎士団棟へ向かった。
騎士団でもすでに体調不良として欠席者が相次いでいる。これもまた原因不明の病のせいかもしれない。
宿舎で暮らしている騎士は時折騎士たちも見舞いに行っているはずだ。騎士団や近衛隊には専用の病院もあるから、そこに移したほうがいいかもしれない。
考えつつ騎士団棟へ着いたシャルベルは、すぐさまロベルトのいる騎士団長執務室へ駆けこんだ。
「団長。お話が――」
「欠席者はまとめておいた。そのうえで厄介そうな奴は騎士用の病院へ入れることにした。竜使いでも何人か出てるだろ。相棒竜の世話に関する調整はレリエラと頼むぞ」
「はい」
ロベルトもすでに動いている。その速さを流石と感じつつ、シャルベルはロベルトに渡された資料を捲った。
軽微症状で宿舎や生家で療養している者、騎士用の病院に念のため運び込まれた中等以上の症状の者。思っていたよりも患者数は多いようだ。
(問題は欠席者の多さもあるが、世話人にも欠席者が出ているのは厄介だな……。面子を変えれば竜が警戒してしまう)
竜の世話人になるための道は決して簡単ではない。竜が威嚇しないよう世話人はなるべく顔を変えないようにしているし、大勢が出入りしすぎる状況は人間を容易に認めない竜のストレスにもなる。
(しばらくは複数竜舎の乗り手に同舎竜の世話を任せるか。世話人が少なくとも世話を半端にはできない)
そう考え浮かぶのは、古竜の世話人オルディオだ。
経験も長く竜の知識もある。世話人たちをまとめ上手く配置してもらいつつ、彼にも少し仕事を増やすことになるだろう。
そうなると懸念となるのは、ラウノアだ。
今以上に病の流行が顕著になれば、ベルテイッド伯爵もしばらくは竜の区域へ行くことを止めるかもしれない。そうなれば古竜の世話はオルディオが担うことになる。
「レリエラ殿と協議し、すぐに対処します」
「おう。任せた」
すぐにロベルトのもとを辞し、シャルベルは速度を上げて副団長仕事部屋へと急いだ。