13,喜びと、痛みと
挨拶と一緒に少し会話を楽しんだ後、シャルベルは持ってきた紙袋をテーブルに置いた。
「ラウノア。これを」
「? これは……」
差し出されたそれを受け取る。シャルベルに断って中を見たラウノアは、中身を取り出して僅か目を瞠った。
一つは筒状の容器。綺麗な筒に入っているのは茶葉だ。
もう一つは、箱に入った小さな動物の置物。硝子細工らしいそれは触れるのも少し緊張する。硝子を使った透明なそれは、光の加減によって薄い水色や反射した色をみせる。見目からして子犬だろうそれは、愛嬌さえも表現されているように可愛らしい。
ラウノアも思わずその子犬を見つめ、口許を押さえた。
「可愛いくて綺麗……。これは……?」
「なんでも、今、令嬢たちの間で人気の雑貨らしい。動物のモチーフが多く、どれも可愛らしいのだと」
「これをわたしに……?」
「ああ。……犬は嫌いだっただろうか?」
「いえっ! とても可愛いですっ。ありがとうございます」
そっと手に乗せて眺める。今にも可愛く鳴いて尻尾を振ってくれそうで、自然と頬が緩んだ。
そんなラウノアを見てシャルベルも口許を綻ばせる。目の前のラウノアはとても喜んでくれたようだ。嬉しい。
茶葉には心身をリラックスさせる効果のあるものを選んだ。硝子雑貨は、今人気だという情報を掴んだ弟レオンから教えてもらい、ラウノアが好きそうなものを選んだ。
「シャルベル様は、動物はお好きですか?」
「あまり好みを考えたことはないな。……ああ。だが、鳥は近くに感じるかもしれない」
気まずそうに答えたシャルベルが挙げた生き物に、ラウノアは温室の外を見るように視線を向けた。その視線につられるようにシャルベルも視線を動かした。
「ヴァフォルに乗っているといつもより鳥の存在が近い。ヴァフォルに近づくこともあるから、そう思うのだと思う」
翼をもつ同士。強い竜は鳥が傍を飛ぶことを許している。どこまでも飛んでいく。そんな翼を広げて鳥は飛ぶ。
竜の傍を必死に飛ぶ鳥たちを知っている。だから自然と、思い出して頬が緩んだ。
「わたしもそんなふうに鳥を近くに感じるのが楽しみです」
「……古竜に乗るのか?」
「はい」
表情を動かさずとも物言いたげなシャルベルの様子を見て、ラウノアは小さく笑った。
その笑みにシャルベルも視線を動かし、やがて少し眉を下げた。シャルベルとて竜使い。乗り手として竜に乗るということの重要性を理解しているからこそ、ラウノアの願いを否定できない。
しかし、そう思う心とは別に、どうしても願いたいこともある。
「なら、その……乗り方は俺が教えたいんだが、それまで待ってくれるだろうか? 古竜で飛ぶなら竜の区域がいいだろう?」
「はい。ありがとうございます」
「竜に触れる世話は俺が教えたい。その都度時間をつくろう」
シャルベルがそのつもりであったことを嬉しく思う。自然と笑みが浮かんで、そのときを楽しみに待つことができる。
ラウノアの笑みにシャルベルも微笑みを返した。
なんてことない他愛ない会話。頷き合って。笑って。言い澱んで。
ラウノアとシャルベルの周りを穏やかなぬくもりが包んでいる。
現在、ラウノアは外に出て貴族に見られでもすれば指をさされることになる。だからこそ外出は城へ向かう以外はしていない。
屋敷の中だけで過ごすラウノアの気苦労と窮屈さを想っていたベルテイッド伯爵邸のメイドたちも、楽しそうにしているラウノアに安堵と喜びを抱いていた。
王都の屋敷へ来てすぐにシャルベルという婚約者を得ることになったラウノア。生家のことでいい目立ち方をせず、今度は古竜の乗り手というあまりにも大きなものを背負うことになってしまった。
そんなラウノアはきっと、婚約者に恵まれた。
申し分ない立場と実力。竜使いという、ラウノアと同じものを背負っているシャルベル。
古竜という存在に選ばれたラウノアにも、それまでとなにも変わらず、気遣って、ラウノアを想いやって、こうしてなんてことないひとときを与えてくれる。
他の者ならば、ラウノアが手にした力に妬みを向けたり、自分のために使わせようとする最悪も考えられる。そうでなくてもラウノアと距離を置いてしまうこともあるだろう。
シャルベルは微塵もそんな素振りを見せない。そしてなにより喜ばしいのは、ラウノアがそれを喜んで受けていること。特別なんてなくても、ラウノアはいつも嬉しそうに笑う。
それを見ているイザナも、今のラウノアを見て安堵と喜びに頬が緩んだ。
「――……ふふっ。では、彼が竜の区域へ入ると当分は戻ってこられないのですね」
「ああ。それを踏まえて鍛錬等の予定を組むよう伝えなければいけない。……だからというか、顔を見せない日もあったんだが、後日反動がきたらしい」
「ふふっ」
ルインと相棒竜を思い出してラウノアは笑ってしまった。かなり相棒に懐かれているルインだ。他者にない苦労が多い。
「きっと、竜を大切に想っていることが相棒竜にも伝わっているのだと思います」
「大切に、か……。行動や表情にそれを出すやつではないが、竜もそう思っているのかもしれないな」
「はい。自分を大切にして世話をしてくれない人を、竜はきっと選びません」
乗り手が自分の世話を焼くのを好ましく思うのが竜である。これまでのヴァフォルのことが頭をよぎったシャルベルも、ラウノアの言葉に納得を覚えた。
人間が逆の立場であれば、きっと、竜と同じように思うだろう。
「……納涼会以降はあまりヴァフォルの世話に向かえていないから、不機嫌にさせているかもしれない」
世話しろよ乗り手だろ、と言わんばかりのヴァフォルの不機嫌を想像して頭痛がする。一度は世話に徹した日があったのだが、それはそれだと思われているかもしれない。
深刻なシャルベルにラウノアは思わず笑ってしまった。
「では、少しの時間でよろしいので、ともに空を飛んでみてはいかがですか?」
「空を? 世話ではなく?」
「はい。竜は地上より、翼を広げる空が好きだと思いますので。それに、初めて会ったときもそうでしたが、ヴァフォルは空を飛ぶことが好きなのかと」
ラウノアと初めて会ったとき、待機を命じたヴァフォルは退屈だからと空を飛んでいた様子だった。それに竜の区域へ行ったときもヴァフォルが他の数頭と空を飛んでいるのを何度も見ている。
けれど、竜の区域で飛ぶ竜は区域上空だけしか飛ぶことができない。自由に飛ぶことができるのは乗り手がいるときだけ。
これまでのことがよぎって、シャルベルはラウノアの観察眼に驚いた。
(多くヴァフォルと過ごした時間があるわけではないが、もうそこまで解っているのか……)
ラウノアの言葉はそのとおりだとシャルベルも思っている。
ヴァフォルとの時間から知ったことをすぐに見抜くラウノアに、その目と竜への心が古竜に選ばれた理由なのだろうかと考えてしまう。
竜の意思など、人間の考えが及ぶものではないけれど。
「なら、今度ヴァフォルと古竜と、王都のはずれまで行ってみよう」
「はいっ。楽しみです」
今日のシャルベルはたくさんのこれからの約束をくれる。それがどうにも嬉しくて、頬が緩んでしまう。
嬉しそうなラウノアを見るから、シャルベルも心が満たされる。心なしか今日の菓子はとても甘い気がした。
シャルベルとの時間はいつも楽しい。初めて一緒に町へ出かけてからずっと、シャルベルはいろんなことを教えてくれる。
騎士のことも、竜のことも。シャルベル自身のことも。
嬉しくて。自然と笑みが浮かんで。――そして、痛みを感じる。
それは秘密だけであったはずだった。だけど今、古竜の乗り手になって生じた事態は、秘密とは別のものも引き寄せる。
カップを置いたラウノアを見て、シャルベルはすっと表情を変えた。
「……シャルベル様。シャルベル様は、わたしの身の置き場についての会議に参加なさったのですよね? どう、思っておられますか?」
他でもないシャルベルが、その話を強く否定したとベルテイッド伯爵に聞いた。
国の重鎮が集まる中、それも現在婚約中ともなると、はい分かりましたと了承などできないのは理解している。シャルベルが婚約を望んでくれたからこそ、その想いも疑いたくはない。
けれど、相手が相手だ。シャルベルとて重大性は認識しているはず。
だからもし、今、シャルベルに迷いがあるならば、ラウノアは今後自分でどうにかしなければいけない。
王家は拒みたい筆頭家。公爵家のほうがまだ幾分かいい。ラウノアにとって家という認識はそういうものだ。
けれど、シャルベルという人間について知ってしまったいま、出される答えによって覚悟の度合いが異なる。
――だから、ラウノアは膝の上でぎゅっと拳をつくった。
(楽しいお話の後にこんなこと、聞きたくない。だけどこれは、わたしのためのものだから……)
当初とは、あまりにも変化してしまった。
あるものは変わりゆく。よくそう口にするのは友であるギルヴァだ。
だから――……。
「殿下が相手でも、君は渡さない」
迷いなく、静かにはっきりと、紡ぎ出された言葉にラウノアは目を瞠った。
その先で、シャルベルの青い瞳がまっすぐラウノアを見つめている。
「そうしてしまえば君は標的にされる。古竜の乗り手という立場で動かされる。――そんなことはさせない。君は俺の婚約者だ。そして俺は……叶うなら、君と未来を歩みたい」
「っ……!」
最後だけは少し躊躇いがちで。そんな仕草はこれまで見たものと同じで、妙に安心してしまって。
少し前に見た、普段にないはっきりと迷いない言葉は少し慣れなかったから。
落ち着かないのか視線を彷徨わせて「あ、その……」と言葉に迷う様子を、言葉が出てこなくて見つめるしかない。
「その……俺は、ラウノアが決めるべきであり、どちらの選択肢も残しておくべきだと思っていた。だから、余計な重荷や枷になることはしないと」
「……はい」
「だが、俺が願ってしまった。――いつでも君の隣にいたいのだと。俺はいつでも君の味方であり、強い支えになりたい」
目を逸らせない。その青い瞳はあまりにもまっすぐで、逸らすことを許さないから。
身体の奥から熱が沸き上がってくる。胸が痛いのに、音がひどく煩い。
喉が渇いて。唇が震えて。言葉がなにも出てこない。
そんなラウノアを見て何を思ったのか、シャルベルは慌てたように続けた。
「それにその心配はいらない。王家は古竜を他竜同様に扱うとしているし、俺とすでに婚約しているのに横やりを入れれば生じる不信や溝もある。ライネル殿下もそんな手段には出ない。婚約者候補筆頭の公爵令嬢と裏で話が進んでいるとかいないとかと聞いている」
安心させようと、声音を柔らかくするシャルベルの言葉が耳に入る。
それを聞いて、その優しさを感じて、ラウノアは震えないようぎこちなくならないよう、笑みをつくった。
「はい。ありがとうございます。シャルベル様」
シャルベルは願ってくれた。
だけど自分は、どこまでその想いに応えられるのだろうか――……。