12,暖かな緑の中で
♦*♦*
「それは騎士に問題があるな。まあ、そういう騎士を竜が選ぶ可能性は最初から低いが」
「そうなのですが……」
古竜の乗り手に選ばれて以降は手紙のやりとりが多かったギルヴァと久方に会ったラウノアは、手紙に書き記したことと今日のことを合わせてギルヴァに報告した。
黙って聞いていたギルヴァだが、古竜が騎士を威嚇したことには肩を竦める。
ラウノア以前に古竜の乗り手であったギルヴァは、ラウノアよりも、騎士団の誰よりも、古竜のことをよく知っている。予想される行動も性格もすべて。
ギルヴァも古竜の行動に怒るつもりはないらしいと察しラウノアは眉を下げた。
「まあいいだろ。それだけ古竜が――ラーファンが、おまえを乗り手として以上に大事にしてるってことだ」
「はい。それはとても感じます」
「ラーファンももっとおまえのことを知りたいんだろう。たまにはゆっくり話し相手になってやれ。あいつなら、喋る心配はない」
ちらりとラウノアを見るギルヴァは、迷いを見せるラウノアの目に小さく笑った。
竜は喋らない。言葉を持たない。騎士たちも他の者たちも竜の意思を細かく読み取れる者はいない。そんなことはギルヴァにもできない。
けれどだれよりも、竜の感情を細かく感じ取ることはできる。それだけの違いが大きな違いだ。
(ラウノアがそうなれるかは本人次第だな)
今でも充分だと思う。もっと深めてほしいとも思う。
自分の心が入ってしまって、ギルヴァは自嘲的に口角を上げた。
「古竜が懐いたことでもさらに目立ってしまって……」
「それはまあ、そうなるだろうな。竜に懐かれるのはかなり珍しく、今は一人だけなんだろう?」
「はい。赤い鱗の竜を相棒にもつルイン様です」
「赤……そりゃまた」
出てきた色に思わず笑ってしまったギルヴァにラウノアもなんとも言えなくなってしまった。
「竜に選ばれるだけでも珍しいことだが、赤となるとさらに珍しいな。ってか、そんな奴がいたことに驚きだ」
ギルヴァの言葉にラウノアも内心で深く同意した。
古竜の世話のため竜の区域に出入りするようになって、分かったことがある。
普段から竜の広場で集団生活を送っている竜は、ラウノアが知る竜よりもずっと序列が意識されづらいということだ。
竜たちには明確な序列がある。しかしそれは、区域での集団生活、人間を乗せること、人間の役職に重きが置かれること。それらによって人間側に合わせざるを得なくなっている。
しかし、竜の序列が完全に消えることはない。だからこそ古竜は王であり、その道を他竜は阻まない。
「竜は人間嫌いだからな。その生活の中で本能を失うことを本能的に避けるし、危機感を覚える。その習性も在りようも変わることはないだろう。竜には竜の在り方がある」
「はい。だからこそ、それを乱す者を竜は選ばない、ですよね」
「人間が竜に敵うと思ってるなら、それこそ大間違いだってのにな」
遠慮なく笑うギルヴァにラウノアも眉を下げつつも頷いた。
だれよりも竜を知るギルヴァは、だからこそ、竜の序列も竜がどういう人間を乗り手に選ぶのかもある程度解っている。だからこそ昼間のことを話せば喉を震わせ、ルインのことを話せば関心を向ける。
喉を震わせていたギルヴァはその金色の視線をラウノアに向けた。
「で、どうだ。ラーファンの世話は慣れたか?」
「はい。世話人であるオルディオ様や気にかけてくださる皆さまのおかげで。……ギルヴァ様は、ラーファンに会おうとは考えていらっしゃいますか?」
「ラーファンの心が定まった今ならたまには会ってやってもいいかなとは思ってるが、まあしばらく先だな。今はおまえも忙しそうだ。休めるときにはちゃんと休め」
「はい。ありがとうございます」
言って、ぽんっと頭に手を置く。そのぬくもりにラウノアは自然と微笑んだ。
それを見て少し頬を緩めつつも、ギルヴァは手を離してラウノアをまっすぐ見つめた。
「ラウノア。ラーファンのことでも大変なのは分かるが……そろそろ、あれが来るだろう」
真剣な眼差しと声音にラウノアも気を引き締め直して頷いた。ぎゅっと膝の上で拳をつくる。
「……はい」
「とはいえ、だから何ができるってものでもない。犠牲者が少ないことを祈るくらいしかできないが……」
眉根を寄せ沈痛の面持ちのギルヴァにラウノアも同じ想いを抱いた。
ギルヴァの言ったとおり、事が起こっても何かができるわけではない。見守るしかできない。事前にそれを阻止することも、もうできない。
ギルヴァの表情も険しく、遠くを見て怒りを瞳に乗せているようにも見受けられる。
「充分に注意しろ」
「はい」
これはギルヴァの予見だ。その確証に確かなものがあるからこそ、ラウノアもその忠告に重く頷いた。
「さてと。じゃあ今日も訓練始めるか」
「はい!」
♦*♦*
いつもどおりの朝。
ベルテイッド伯爵邸の朝食時間。話題はラウノアの古竜の世話について。
しかしこの話題において、ベルテイッド伯爵夫妻やココルザード、クラウも深くは問わない。「慣れたか?」「休むことも考えなさい」などと他愛もない程度に触れるのは、竜使いには守秘義務があり、その情報も口外してはならないから。
だからケイリスも仕事について詳細を家族に語ることはない。
ただベルテイッド伯爵たちの心配は、ラウノアがちゃんとやれているか、ではなく……。
「で、他の騎士は何か言ってるのか?」
「ま、一部はね。古竜に乗りたいって思ってた奴とか、古竜が選んだ乗り手が令嬢ってことに不満がある奴とか。受け入れてるこっちが言い返せば火に油だからって、団長たちもある程度は聞き流してひどいやつは止めてるって感じかな」
「時間の問題というのもあるんだろう。今はまだ騒がしさがあるからな」
「そうそう。それに不満がある奴ってさ、結局誰が乗り手になっても不満なんだよ。古竜を神聖視してるとこもあるから」
パンをちぎって食べながらケイリスはクラウの言葉に頷く。それを聞きながらラウノアも二人に同意した。
もともと国内では竜を神聖視するところがある。その理由の大きなところが古竜にある。
建国の折から存在し、初代国王を背に乗せたのではないかとさえ言われる天からの使い。だからこそその乗り手は貴重で、王家に入れるのがよいのでは…という言葉も出るのだ。
「竜使いの方や世話人の方の中には快くしてくださる方もいらっしゃいますので、大丈夫です」
「世話人も分かれるけど、ラウノアの先生は他の竜使いも信頼する人だから」
「それほどの人物なのか?」
世話人だれもが一目置く人物であると、ラウノアも共にして感じる。
通常の古竜の世話、世話人全体の雑事や乗り手のサポート、あるときは別の竜舎での問題に加わって解決し、竜一頭ずつの様子もよく見ている。古竜の世話を任されつつもその目は竜全体に向いている。
オルディオの姿勢からラウノアも多くを学んでいる。
「すごい人だよ。そもそも竜の世話ってそれだけの経験と知識も必要だし、いざってときには身を守れることとか、竜の状態もちゃんと把握できないとだめだからさ。とくに古竜は失敗が許されないっていうのもあるし」
「責任が大きいがそれに応えられる逸材ということだね。ラウノアはいい先生に巡り合えたわけだ」
「はい」
笑うココルザードにラウノアも頷いた。
ココルザードが言うように、ラウノアにとってオルディオは先生にあたる。そしてそんな頼もしい先生は、ラウノアが乗り手に選ばれたからといってお役御免になることはない。
ラウノアとともに古竜の世話をする。竜は乗り手だけが世話するわけではなく、乗り手と世話人の二人が必要だ。
「まあ、騎士団に問題は起こらなさそうだが、他にも懸念はいろいろあるからな」
「そうだよなあ。……あ。ラウノア、今日は副団長に会うんだっけ?」
「はい。午後はシャルベル様がいらっしゃる予定です」
「楽しんで。日頃のいろいろは忘れて!」
笑顔で後押ししてくれるケイリスにラウノアも笑って頷いた。
今日は久方にゆっくりとシャルベルに会える日だ。
現在なにかと目立つラウノアは社交の場にも出ていない。時にはベルテイッド伯爵夫人が個人の茶会や小規模のそれに参加し、さりげなく情報を集めてくれている。それにはギ―ヴァント公爵夫人も加わっているようで、情報交換も行っているそうだ。
母たちに守られつつ、婚約者との逢瀬の時間を得るためにシャルベルもまた気にかけるラウノアのもとに通う。
今日も、そういった日だ。
午後。ベルテイッド伯爵邸に訪れたシャルベルはまずベルテイッド伯爵夫妻に挨拶と情報交換を行い、それからラウノアのもとへやってきた。
今日はゆっくりと茶を楽しむことになっている。温室の一角で豊かで静かな緑を眺めながらの時間だ。
ベルテイッド伯爵邸の庭は華やかさよりも落ち着きと静けさを漂わせるが、それは温室も同じ。自邸との違いを見つめつつ、シャルベルは案内されるまま温室へ向かった。
すでに冬の気配が迫っている中、温室は温度が一定に保たれていて過ごしやすい。色鮮やかな夏の花はすでになく、落ち着きを感じさせる秋の花も終わりを迎えつつある
庭と同じように花と緑が合わさった温室の一角に、ラウノアはいた。
「シャルベル様。ようこそおいでくださいました」
立って待っていたラウノアはシャルベルを見て、スカートを少し持ち上げ、片足を少し下げてもう片足の膝を少し曲げ、腰を落とす。慎ましくも乱れることのないしかとした礼を見つめ、シャルベルもラウノアの前に立った。
「待たせてしまっただろうか?」
「いえ。どうぞ。お座りください」
促され、ラウノアの正面に用意された椅子に座る。すればすぐにメイドがテーブルにカップを置き、紅茶を注いでくれた。
テーブルの上にはティーセット。静かなひと時を邪魔しないようにか、用意を行ったメイドたちもすぐに礼をして下がる。
会話が聞こえない距離まで下がったメイドたち。その中にはイザナやアレクの姿もあり、シャルベルもその姿を認めた。
「ベルテイッド伯爵の領地であるモルト領は緑が豊かだが、その光景はこの温室や庭にも表れているんだな。我が家の庭とまた違って、風の音がまで心地いい」
「ギ―ヴァント公爵邸のお庭も素晴らしいです。どこから見ても美しく設計されていますし、珍しい花もありますよね?」
「ああ。何代か前の当主が植えたと聞いている。よく見ているな」
「ふふっ。実は、珍しい花図鑑を読んでいたことがありまして。育てるのが難しかったり種がなかったりと、本の中でだけ眺めていました」
「実物を見せられて光栄だ」
笑い合う二人を遠くから見つめるイザナも嬉しそうに笑みを浮かべた。
何を話しているのか耳が良いイザナは集中すればその音を拾うことができるが、意識して二人の会話から自然の音へ耳を澄ませた。