10,あなたを呼ぶ
午前のうちはオルディオから世話の仕方を学び、古竜が昼食を終えてからラウノアもアレクとオルディオ、ルインとともに食堂へ向かった。
食堂の開放時間の間に騎士たちも食事を摂る。しかしやはり男性が多く、女性の姿はまばらだ。それにシャルベルやレリエラ、ロベルトの姿は確認できない。
並んで食事を受け取ったラウノアたちはそのまま空いているテーブルを探して席についた。
しかしやはりというか、見慣れない人物というのは目立つもの。食堂中からの視線にラウノアも困ってしまう。
当然のように多くの視線を集めながらの食事となり、ルインは周りに視線だけを向けつつ変わらぬ調子で提案を出した。
「飯、これから運ばせます? 客室とかなら団長も用意してくれると思いますけど」
「大丈夫です。次第に慣れていくと思うので。……ルインさんやオルディオ様こそ、こんなときくらいわたしから離れたほうが……」
「自分は大丈夫です」
「俺も。一応時間あるときは護衛もあるんで。とくに気にしないんで。んじゃ、いただきまーす!」
自分のペースで食事に手をつけ始めるルインを見て少し頬が緩む。ラウノアも同じように食べようとした矢先「ラウノアー!」と大きな声が聞こえて視線を向けた。
その声量と呼んでいる相手のせいか、周囲の騎士たちの視線も自然と声の方へ向いている。
「いたいた! 俺も混ぜて」
「ケイリス様。お仕事ご苦労さまです」
今朝の宣言どおりにやってきたケイリスだ。ラウノアの隣にはアレクが座っているので、反対側に座って「いただきます」と手を合わせる。
そしてすぐ、その目は不満そうに同僚に向いた。
「ルイン。待っててくれればよかったのに」
「いやいや。おまえが居残り鍛錬課せられ、間違えた。自己鍛錬してるかなあと」
「いや隠せてないから。ってかさせられてないし!」
ケイリスが言っていたとおり仲がいい様子。それを見るラウノアも笑みが浮かびながら、周りの視線を気にせず食事を始めることができた。
時折雑談を交えながら食事をしていたとき、ふと食堂が騒めいた気がしてラウノアたちも視線を向けた。
「あ」
前に座るルインがこぼす声。ラウノアも微かに目を瞠る中、その人物はルインの隣に座る。
「ラウノア。同席してもかまわないだろか?」
「それはもちろん……」
「副団長珍しい。だいたい部屋に運ばせてるのに」
「たまにはな」
シャルベルは普段食堂では食事していないのか…なんて頭の片隅で思いつつ、周囲の騒めきの理由がそこにもあるのかと理解した。
ざわめく周囲など関係なし。シャルベルは食事をしつつも平然と会話を続けた。
「大変だろう。世話人の仕事は」
「はい。ですが、オルディオ様が分かりやすく丁寧に教えてくださるので、とても感謝しています」
「そうか。経験も知識の人一倍だからな。遠慮なく頼るといい」
「副団長にそこまで言っていただけるとは恐悦です」
古竜の世話を任されるオルディオをシャルベルも信頼しているのだろう。ラウノアも自然と頬が緩む。
「そういえば副団長。この前ヴァフォルの身体磨いてましたよね。世話しろってヴァフォルに言われたとか」
「……よく知っているな。誰からだ?」
「内緒です」
「竜の身体を洗うのですか?」
「ああ。屋敷ではできないから、竜の区域でたまに」
せっせとヴァフォルを洗うシャルベルを想像し、それは重労働だと思いつつも自分が古竜にそれをする姿を想像する。……できるのだろうか。ただでさえ古竜は他竜よりも大きいのに。
「オルディオ様はそういう世話は……?」
「できません。乗り手以外が触れるなんてとても」
「そうですね……」
自分がやるとなるとかなり大変そうだ。想像しても考え込んでしまう。
シャルベルの言うように屋敷でそういったことをするのは大変だ。設備も必要になるだろうからそれが揃っている竜の区域で行うべきだろう。なにより乗り手以外が触れられないとなると、当然手伝える人がいない。しかも竜は乗り手以外には威嚇する。屋敷へ連れ帰っても使用人たちも驚いて困るだろうし、古竜も威嚇を続けるだろう。
となると、やはり自分も竜の区域でそういったことをするしかない。オルディオにはできない世話だがさて誰に教えてもらおうか……。
もんもんと考えるラウノアから何かを感じ取ったのか、隣に座るケイリスがそっと声をかけた。
「……ラウノア。いきなり一人でやろうとかしないでね。せめてほら、ルインとか副団長に教えてもらって。俺も一緒にやりたいけど俺は竜使いじゃないしなあ」
「やるときは俺が教える。……少し先になるだろうが」
「はい。ありがとうございます」
竜に関して教えてくれる人が周囲には多い。それに感謝して、教えてもらうそのときを少し楽しみに思う。
「そういや副団長。何かご用件ですか? 違うなら邪魔者な俺らは退散しますけど」
「仕事場でそんなことはしなくていい。俺も用があって来たんだ」
すぐにでもトレイを手に移動しようとしたルインに鋭い一瞥を向けつつ、シャルベルはその視線を和らげラウノアに向けた。
食事の手を止め、ラウノアもシャルベルを見つめる。
「ラウノア。午後、古竜の呼び笛を見つけようと思うのだが、時間をもらってもかまわないだろうか?」
「はい。承知しました」
「オルディオ。少し時間をもらう」
心得たオルディオも頷き、シャルベルは食事の手を再開させた。それを見つつラウノアも食事を再開させた。
午後。古竜の竜舎へ戻れば、昼休憩に出る前と変わらずそこに古竜がいた。待っていたように伏せていて、ラウノアが来れば視線を向ける。
そんな古竜を見遣り、安全域を保ったままシャルベルは持ってきた箱を地面に置いた。
オルディオは古竜に近づきすぎないよう世話人の仕事に向かったが、ルインは竜使いとしてシャルベルに同行。
竜使い二人と新米竜使い一人で、竜の呼び笛を吟味する。
シャルベルが開けた箱には、綺麗に笛が並べられていた。
「竜の笛は全て違う音が出るように宮廷楽師とも協力して作られている。この中から古竜が反応する音を探してほしい」
「分かりました」
まずは手近にある笛を手に取る。細長いそれは金属製だが軽い。
試しに軽く吹いてみる。――が、古竜の反応はない。
「吹いた音に他の竜が反応することはないのですか?」
「乗り手がいる竜しか音には反応しないから、乗り手のいない竜は無反応だ。それだけ竜も乗り手という存在を重視しているということなのだろうと言われている」
「吹くのは乗り手だけですから。笛も乗り手が持ってますし」
乗り手の指示に従う竜だ。乗り手がいない、乗り手でもない者が吹く音は雑音と判断されるのだろう。
竜と乗り手の関係を考えながらラウノアはまた別の笛を手に吹く。しかしそれにもまた古竜の反応はなく、それを何度か繰り返した。
吹き進める中、何度目に手にしたそれを吹いたとき、古竜が身を起こした。
「お。これか?」
身を起こした古竜がじっとラウノアを見る。
笛が見つかり古竜が動いたことに感心するルインを後ろに、シャルベルはラウノアの傍で自身の笛を取り出して教えた。
「音は強弱によって竜にも伝わり方は違うんだ。強く鋭く吹けば、竜も緊急だと判断することが多い」
「納涼会でのようなときですね。では、普段呼ぶときはそれほど強くなくても?」
「ああ。空気を含ませるように吹いても問題ない。竜の耳で拾える範囲ならばどこにいても竜には届く」
納涼会では会場から森の中までの距離があったが、ヴァフォルは問題なく音を拾っていた。その距離を考えながらラウノアは古竜を見た。
試しに、もう一度軽く吹いてみる。音に釣られるように古竜は一歩足を踏み出した。
まるで、何か用事? とでも問うてくるような目にラウノアは軽く首を横に振る。
「わたしがこの音であなたを呼んだら、そのときは来てくれますか?」
ひとつ肯定の声が発される。それを受けてラウノアも頷いた。
竜の呼び笛はその竜の乗り手が所持するもの。ラウノアもシャルベルの許可をもらい、古竜の呼び笛を所持することになった。
紐を通して首から下げると、もともと下げている指輪もあって少し違和感がある。けれど、どちらも身から離すことはできない大事なものだ。
「これでラウノアも乗り手の一員だな」
「……わたしと皆さまでは違いますので」
「違わない。どんな立場でも、竜が選べば乗り手だろう?」
これまで騎士だけを選んできた竜。その中に生まれた異分子。
それでもシャルベルが少し表情を柔らかくさせて見つめてくるので、ラウノアは謙遜しつつも視線を逸らした。
普段から忙しいシャルベルだ。納涼会ではライネル王太子の暗殺未遂事案まで起こっているからその多忙さは想像に易いが、まだ立ち去る気配はない。
ちらりと隣を見上げれば、その視線はラウノアの傍で伏せる古竜に向いていた。
「ここまで古竜が近いというのは滅多にないな……。ラウノアがいればあまり他者には見向きもないということか……」
「……そうかもしれません。ヴァフォルは違いますか?」
「苛立ちを見せることもあれば、自分から去ろうとすることもある。視線がいろいろと向いているのだと思うが、鍛錬ではそういうところはなくて助かっている」
周囲をきょろきょろするヴァフォルを想像して小さく笑ってしまった。緊張も強張りもない、時に見せる笑みを見てシャルベルも口許が綻んだ。
古竜の傍でそのまま軽い竜話を始める二人を見て、ルインはやれやれと肩を竦めて少し離れた。