9,乗り手と世話人
全部を敷き終えれば、今度は古い藁の処分と新しい藁の補充。もちろんラウノアはそれらにも同行した。
藁の交換は各竜舎でも同じような時間で行うのか、廃棄と補充に向かえば各竜舎の世話人がいて、ラウノアはどうしても視線を集めた。
「あ……あの、オルディオ様。古い藁は集められた後はどうするのですか?」
「回収されて、城内外問わず新しく活用されていきます。そういう面では竜の糞も同じですね」
「無駄なく肥やしにされているのですね」
「オルディオさんじゃないですか」
聞こえた声にオルディオとラウノアの視線が向くと、世話人の服装に身を包んだ青年がそこにいた。
竜の世話人は各竜舎で担当が決まっているが、知識と情報の共有から見知った者たちばかりだ。相談しやすい関係である。
そんな中の一人なのだろう青年は、オルディオの隣に立つラウノアを見て僅か眉をしかめた。
自分に向けられる視線。それを感じて一歩下がるラウノアの傍にアレクが立つ。
「ああ。レアーノ。どうした?」
「心配してたんですよ。尊敬する先輩がいいように使われてないかって」
「なに言ってんだ」
オルディオは冗談話を受けるかのように軽く、対するレアーノは軽く言っていても視線は鋭い。
無意識に、ラウノアはきゅっと拳をつくった。
「古竜の世話人に選ばれるってことがどんなにすごいことか。俺らはちゃんと知ってますよ。だから――……」
「やめろ、レアーノ」
その視線がラウノアに鋭い一瞥を向ける前に、オルディオが荒げるでもなく静かに遮った。
いつの間にか、周囲にいた世話人たちの視線もオルディオとレアーノ、そしてラウノアに向いている。
「レアーノ。それに皆も。知ってるはずだ。……乗り手を選ばない竜が、その翼を広げることなく在り続ける寂しさを」
「……」
「だから俺は、古竜が乗り手を決めてよかったと、そう思う。外に出られず死んでいく竜は、あまりにも悲しい」
世話をしているからこそ、より近くで竜を見て、知っている。
古竜の世話人に選ばれるということはいろいろな経験を積んでいるのだろう。その言葉に、ラウノアも瞼を震わせた。
「さて。じゃあラウノア様。そろそろ戻って古竜の飯の準備をしましょうか」
「は、はいっ!」
歩き出すオルディオの後ろを慌ててラウノアはついていく。その後ろにたくさんの視線を受けて、けれどラウノアの足は重たくなることはなかった。
それでも見つめてしまう。考えてしまう。
(わたしが乗り手に選ばれ出入りすることになれば当然、これまで古竜の世話をしていた世話人の立場を危うくさせる。解っていたのに……)
オルディオがあまりにも温和で、すっかり頭から抜けてしまったのは自分の責任だ。
だからラウノアは、それでも意を決してオルディオに謝罪した。
「オルディオ様。申し訳ありません。わたしのせいで、オルディオ様がこれまで築かれたものを……」
「なぜ謝るんですか。それはなにもラウノア様のせいではありません」
「ですがっ……」
竜の傍で竜を見る者。竜使いたちも信頼して相棒を任せる者。竜使いよりも竜について詳しい者。
それが竜の世話人だ。それだけの矜持がある。
足を止め、頭を下げるラウノアを見つめ、オルディオは優しく眼差しを和らげた。
「先にも言ったとおり、古竜が乗り手を選んだこと、俺は喜ばしいことだと思ってます。いろいろ言う奴はいますがね」
「これまで世話をされていても、ですか?」
「世話人が乗り手を邪魔するようなことは、それこそしてはならないことです。乗り手とともに竜を世話する。それが世話人であり、乗り手のように竜に許しをもらえる立場ではない。それは世話人誰もが教えられることです」
竜と乗り手は相棒だ。いざとなれば命を預け、戦場に立つ。
けれど世話人は違う。どれほど親身に世話をしても竜にとっては乗り手ではない者たちと一括り。見知った相手になれてもそれは威嚇されない程度の話であり、特別な情はない。
竜の世話ができるほどになるまで年数もかかるだろう。特別な竜の世話ともなればそこに憧憬の情も向けられる。
騎士も世話人も、その存在に憧れる。携わりたいと願う。
その想いが強いほど、認めたくない気持ちが生まれる。
胸が痛みつつも、ラウノアはオルディオを見上げた。
「前の古竜の世話人が言っていました。古竜の世話を任されるだけでも光栄だ。もしそこに乗り手という存在が現れれば、なお、身に余る光栄だ、と。俺もそう思うんです」
嬉しそうに笑みを浮かべるオルディオを、目を瞠って見つめる。
乗り手のいない竜。世話をする世話人。
そこに加わる乗り手という存在は、どれほど大きく、どういったものになるのだろう。
考えてもまだ、答えは出そうにはない。だけど――……。
「オルディオ様が胸を張って世話をなさる古竜の乗り手として、わたしも相応しくあれるよう頑張ります」
「お互いに」
そのための一歩を踏み出す。そろって力強い一歩を踏み出して古竜の竜舎へ戻る。
土や草を踏んでいた足は不意に、前を行くオルディオが止めたことで止められた。
「どうされましたか?」
「それが……」
言い澱み、向かっていた先を示す。オルディオの陰から前方を覗いたラウノアも、オルディオの戸惑いを理解した。
「お。戻ってきたきた」
一人のんびりなのはルインだ。藁敷きの途中で「一度鍛錬に戻ります」と言って騎士団の方へ戻ったが、昼近くになり再び戻ってきたらしい。
そんなルインは古竜の竜舎から少し離れて立っている。
その前方、竜舎の前に、黒い鱗の竜がいた。鱗と同じ黒い瞳が戻ってきたラウノアを見つめる。
ラウノアとオルディオはゆっくりと竜舎に近づき、オルディオは竜舎の傍にある藁置き場へ、ラウノアは古竜の前に立つ。首を下げて視線を合わせようとする古竜にラウノアは首を傾げた。
(オルディオ様のご様子を見る限り、これは普段とは違う行動だと思うのだけど……)
となると、お腹が減って戻ってきたとは考えづらい。つまり――……
「会いにきてくれたんですか? ラーファン」
するりと鱗が肌に触れる。肯定の証だと思うと自然と頬が緩んだ。
ラウノアの魔力の『質』をとうに詳細に知っている古竜だ。区域内ならば魔力を感知して、ラウノアが来ているかどうかをすぐに知ることができる。しかし、すぐに飛んでこないのはラウノアの意思を知っているからだろうか。
ヴァフォルと違って触れてと訴えて甘える遠慮がないのは、乗り手であるからだろう。
「もうすぐご飯なので、すぐに準備しますね。待っていてください」
分かった。その了承の返事を受けてラウノアはすぐにオルディオのもとへ走った。そんな背中を古竜は見つめ、そしてのんびり待つのか地面に伏せる。
それを見ていたルインは、古竜からラウノアへ視線を向けた。
(大事に想ってる。見てればそれは分かるし、だから古竜も懐くのかと思うけど、だとしたらなんで俺の相棒は俺に懐くかな……。大事なんて俺はそこまで思ってないし)
竜使いになるつもりなんてなかった。騎士になればそれなりに給料がもらえて、家族へも仕送りができる。だからその道を選んだ。
それだけ。――だから、竜に興味はなかった。
(べつに、他に興味もないけど……)
人付き合いというものは大変だから、そこだけ少し苦労して、なんとか今の形を見つけられた。
今は慣れたものだけど、中身が成長しているわけではない。
「俺が竜を大切に想ってるとか、とんだ勘違いだわ……」