8,お世話、始めます
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翌日。ラウノアは再び竜の区域へ赴くことにした。
男性騎士のようにとはいかないが、動きやすく汚れてもいいように初めてパンツスタイルで身支度を整える。髪は邪魔にならないよう首の後ろでひとつに結ぶ。
騎士団へは令嬢らしい服装などでは向かえない。乗り手として竜の世話をするならば泥まみれになるだろうことくらい想定しなければ。それに、格好のひとつも満足にできなければ、やっぱり令嬢だ…という言葉が出かねない。
そう思いながら支度を整えたラウノアは、よしっと気を引き締めてベルテイッド伯爵邸を後にした。
今日はベルテイッド伯爵は一緒ではない。同行するのはアレクだけだ。
馬車に乗りこみ騎士団へ向かう。その道中も緊張を覚えつつも、ラウノアは自然と口許が緩んだ。
『ラウノア。今日は竜の区域に行く? 俺も時間できたら時々行くから。あ、昼飯は? 一緒に食べよう』
『おまえは自分の仕事に集中しろ。ラウノアに心配させるようなことはするなよ』
『しませんーっ!』
仲良く言い合っていた兄たち。そんな息子たちを見て笑っていた伯父。心配そうながらも手を振って見送ってくれた伯爵夫人。見守りつつも気にかけてくれる祖父。
大丈夫。伯父が言ってくれたように、自分には家族がいてくれる。
(感謝してもしきれない)
だから、守らなければ。
――いらぬものを背負わせないように。知られないように。
胸にくれるぬくもりは、カチェット伯爵家を出ることになったあのときは想像もしていなかった。
ただ絶望を感じてどうしようもなくて。余計な迷惑をかけたことが心苦しくて。
そうではないと教えてくれたのは、この家族だ。
考えているとすぐに騎士団に着いて、ラウノアは馬車を降りた。
そのままアレクとともに竜の区域へ向かう。区域への入り口では門番とルインがいた。
「ルイン様。おはようございます」
「おはようございます。んじゃ行きますか」
竜の区域へ入れば、途端にここが騎士団の敷地内であるということを忘れてしまいそうになる。
広々とした自然の中。行き交う人も外ほどに多くない。
そんな中をラウノアはルインに付き添われて歩く。
ルインの同行はあくまでラウノアが落ち着いて竜の区域へ来られるようになるまでだ。ずっと付き添ってもらうわけにはいかないが、知らないことも多くあるので付き添ってもらえるのは心強い。
「今朝、出勤早々ケイリスに言われたんですよ。ほんっとラウノアのこと頼むから! 俺も行ければいくらでも行くけどほんっとお願い! って」
「ふふっ。わたしも今朝は、時間があれば行くからと。昼食は一緒に摂ろうと言っていただきました」
「あいつなあ……。俺に頼まないでそういうの副団長に頼んでほしいんだけど」
なんで俺に。と言うルインにラウノアも眉を下げる。
シャルベルなりにすでにケイリスと何か話をしているのかもしれないし、ルインがラウノアの案内役についていると知っているからかもしれない。
どちらにしろ、兄に気苦労をかけてしまうのは少々申し訳ない。
「おい。それはこっちだ。これをあっちの竜舎に――……あ。ルインさん」
「お、どーも。お連れさんです」
「お疲れさまです。そちらは、もしかして古竜の……」
「ラウノア・ベルテイッドと申します」
服装からして竜舎の世話人らしい男性がルインに気づいた。隣にいるラウノアに視線を向け、ラウノアも臆することなく名乗れば、わずかにその目が瞠られる。
それをルインもラウノアも見逃すことはなく、けれど特段に反応を返さない。
「さっき別の竜舎の何か言ってたけど……担当でした?」
「いえ。まあ、朝だからってのもありますけど。ほら。最近体調崩す奴出てるでしょ? 季節の変わり目で朝夕涼しくなってきてるからなのか、俺らもてんやわんやで」
「あー、いますよね。騎士でもちらほらいますし、なにか手伝えることあれば言ってください。俺、しばらくは出入り多いんで」
「助かります。んじゃ、遠慮なく」
気心知れた仲なのかルインと世話人は軽く笑い合っている。そんな二人や、世話人の男性が出てきた竜舎の様子などをちらちらと見ていたラウノアは、男性の視線が自分に向いたので視線を固定した。
「えーっと、その、古竜の世話は大変だと思いますけど、頑張ってください」
「はい。皆さまには及ばずとも精一杯努めさせていただきます」
男性は忙しいのか、すぐにルインに手を振って場を去っていく。それを見送ってから再びラウノアとルインも歩き出した。
ラウノアの隣を歩きながら、世間話をするようにルインは教えた。
「今のは世話人で、あの竜舎を担当してる一人です。あそこは複数竜舎だから世話人が他にも何人かいて、乗り手はいない竜ばっか」
「では、竜の世話も大変ですね」
「ですねー。ラウノア様は基本的他の竜舎の世話することはないと思いますけど、乗り手のいない竜の竜舎は気をつけてください」
「分かりました。……ルイン様。わたしのことはラウノアとお呼びください。お話ししやすい言葉遣いで結構ですし、騎士団内では身分より実力重視なのですよね?」
「そうですけど誰にでもそうとは……。あー、んじゃ、ラウノアさんで。俺のこともルインでいいです。平民ですし」
竜舎の周囲は世話人や鍛錬をするのか竜使いたちの姿も見られる。ラウノアはまだ他の竜使いや世話人に詳しくない。なのでルインがラウノアに教えながら足を進める。
そんな中では気軽に声をかけてくる者もいたりする。
「お、ルイン。そっちは古竜の? 見た見た昨日の。古竜のあれ!」
「はいはい。こちらはラウノア・ベルテイッド伯爵令嬢」
「初めまして。俺も竜使いなんで、何か分からないこととかあったらなんでも聞いてください!」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
気さくな笑顔に迎えられることもあれば、そうでないこともある。
「今日も来た。……そういやおまえ見た? 昨日の古竜」
「あんなのルインの竜以外で見ねえよ。なんで古竜が……」
離れて感じる視線と舌打ちの様子。ルインも気にしないように歩くのでラウノアも同じようにするが、牙を剥きそうなアレクを宥めることは忘れない。
目立たないようにすることはいつもと同じ。関わってこないならラウノアから構う必要はない。
視線を感じつつも足を止めることなく、ラウノアは古竜の竜舎に着いた。
古竜の竜舎は、古竜が誰にも威嚇するためか他の竜よりも少し離れて建っている。竜の区域へ入ってからずっと歩くので、これからの世話も加えて体力が必要だとラウノアは密かに体力作りを決意する。
そして今日も古竜の竜舎では世話人オルディオが忙しそうに動いている。その姿が見えたところでルインは足を止め、どうぞとラウノアに促した。それを受けたラウノアは頷き、ルインに見守られながら急ぎ足で向かう。
「オルディオ様。おはようございます」
「ラウノア様。おはようございます」
大柄だが圧を感じないオルディオの温和な笑みに迎えられ、ラウノアは改めて礼をした。
「本日より、オルディオ様から古竜の世話の仕方を学ばせていただきます。ご教授よろしくお願いします」
「こちらこそ。一緒にやっていきましょう」
ラウノアの護衛であるアレクはなるべくラウノアから離れずも、ラウノアの邪魔にならないように。ルインはアレクより離れつつも視界には必ずラウノアを入れて。
二人に見守られながら、ラウノアの学びは始まった。
「朝はまず、竜舎の窓と大扉を開けます。そして檻を開けて、古竜が好きなときに外に出られるようにします」
朝からの動きをオルディオが説明してくれる。ラウノアもその動きを頭に入れ、実際に行ってみる。
窓を開けるのは存外難しく、大扉は重そうに見えたがなんとかラウノアの力で開けられた。木の檻は回転するように開く仕組みで、鍵を開ければ竜自身が開けることも可能であるらしい。
「朝、古竜が出ていけば、そのタイミングで食事の準備をします。乗り手がいる竜ならば朝起きてすぐに食事を用意することも可能なのですが、竜全体から見ても、それをしている竜は非常に少ないです」
乗り手である竜使いも朝から駆け足でやってくるのは忙しいだろう。竜使い自身の朝の鍛錬もある。
朝の準備は主に世話人が担っているのだと理解しながら、ラウノアもオルディオとともに竜舎の周りを歩く。。
「古竜は毎日、檻を開ければすぐに出ていきます。そしてしばらくして戻ってくるので、それまでに食事を用意するんです。朝の食事はもう終えたので、昼の準備は一緒にお願いできますか?」
「もちろんです」
「食事を終えればまた出ていきます。それからは広場で過ごすことがほとんどです」
古竜の日中の動きを聞きながら、ラウノアは古竜にとっての竜の区域を想った。
竜は、人間には威嚇しても決して危害を加えるようなことはしない。とはいえ、世話人が周りでいそいそと動く竜舎はあまり好まないのかもしれない。それならば広場で他の竜たちを見ていたいだろう。
古竜にとって、この竜の区域は不自由な空間だ。
「ではまず、古竜の部屋でもある区画の藁を敷き直しましょう」
「はい!」
竜が快適に過ごせるように、固い地面とじかに接触しないよう整えるのが藁の床。ソファのようなベッドのような役割を持つそれは、身体の大きな竜がごろごろと転がればすぐにくたびれてしまう。
なので、それを交換するのも世話人の仕事。
替えの藁は舎内に保管されている。それを深い荷車に乗せて区画へ入り、古い藁と交換する。
「交換の頻度や量はどのようにしているのですか?」
「古竜は食事か眠るときくらいしか区画には入らないので、全てを入れ替えるのは数日に一度というところです。ですが敷きっぱなしということはしませんよ。適度に古い藁と新しい藁を混ぜたり、空気を含ませるように混ぜ直したり。体の大きな古竜はまあ区画全体に藁が必要なくらいです」
それだけの労力もかかるのだろう。最後には肩を竦めるオルディオだが、それを嫌に思っていないのはその笑みから感じられた。
藁の交換は体力の必要な仕事だ。舎内とはいえ荷車を何往復もして交換し、古い藁も集めておく。
さらに舎外には大きな袋に入った藁が保管されており、なくなればそこからも補充するようになっている。
オルディオが教えてくれながら仕事を進めるので手が止まってしまうことがありつつも、ラウノアは熱心にその言葉に耳を傾けていた。
動き続けていれば汗が滲んでくる。竜の世話という仕事のたいへんさを身をもって感じながら、ラウノアは服や髪に藁をつけながら仕事を進めた。