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3,その場所に、この身が

 ♢*♢*




 ぐいぐいと少し強い力が手を押してくる。これでも加減をしているのは分かるのだがそれでも強いと思いつつ、苦笑して「はいはい」と了承を出した。

 押してきたその存在の背に乗ると大きな翼が広げられる。


 空へ、黒い竜が飛び立つ。のびのびと自由に翼を広げて、雄大な姿で飛ぶ。


 そんな姿をその背中から見つめる。硬い鱗に覆われた背中はまだ小さく、成竜に比べれば子どもだということが分かる。野生の竜はどの個体も体が大きいのだ。

 小さな背中だが人を乗せるには充分で、今日もまた一緒に空を飛ぶ。命綱もなく乗っても問題はない。落とされても身を守ることくらいは容易いのだから。


 同じように空を飛ぶ鳥がいる。大きな竜の傍で飛ぶとその存在はとても小さくて、竜の翼が起こす風に負けまいと頑張っているのが分かって、思わず手を差し出したくなってしまうのだ。

 地上は随分下方にあって、けれど体に負担はない。見下ろす景色はどこも自然が豊かで、遠くには険しい岩山も見える。

 豊かな緑の合間には生活区域があって、そこだけは自然の中でも色が違うからよく分かる。


 それを見つめて、自然と口許が綻ぶ。

 視線を前方に戻し、翼を動かす友へ話しかけた。


「そろそろ戻るか」


 言えば、不満そうな声が返ってくる。それにすら乗っているその人は笑った。


「そう言うな。そろそろ時間だ」


 そう言う背中の友に、黒い竜は大人しく従って地上を目指す。

 飛び立つ場所も降り立つ場所もいつも同じ。そこは約束の場所。


 地上へと向かっていけばだんだんとその景色は鮮明になる。

 広がる草原。敷き詰められるように咲く小さな花々。近くにある森と流れる小川。長閑で穏やかでとても落ち着く、友と過ごす場所。


 そこに降り立つと竜の背に乗っていたその人は軽々と飛び下り、そして竜を見た。

 竜の黒い瞳にその人の姿が映る。自然と太陽に愛された輝く銀色の髪と不敵な金色の目。その髪色と同じ耳と尻尾さえ、友の堂々たる風格のひとつ。


「俺もおまえみたいに好きに飛べる翼が欲しいわ。……次はいつになるか――おいこら。服を噛むな」


 怒られた。なので大人しく服を放すと友が呆れたようにため息を吐いた。

 そんな不満げな黒い竜を見て友は困ったように肩を竦ませる。


「分かったよ。できるだけ早く時間をつくれるようにする。 代わりにおまえも竜族の次期王としてしゃんとしろよ。それなら文句ねえだろ。ラーファン」


 少し不満があるけれど仕方なし。

 よかろうと言うかのような竜の鼻息にその友は笑った。






 ♢*♢*




 ゆっくりと意識が浮上して、ラウノアは目を覚ました。


 窓の外からは熱が和らいだ日射しが入り、天蓋の薄布がそれを優しく眠り人に届ける。

 身体を包み込む柔らかなベッド。そのシーツに頬を沈め、まだぼんやりとした頭と薄く開いた瞼、寝ぼけの残る頭を動かした。


(夢……。古竜とギルヴァ様の……)


 心地よい、懐かしい夢だった。まだその心地に浸っていたい。

 そう思ってもう一度瞼を閉じる。


(古竜はギルヴァ様が大好きで……ギルヴァ様も同じで……。仲良しなのに喧嘩も多くて)


 だから古竜がとんでもない仲直り方法をとるのだけれど。思い出して口許が緩む。

 なにより、その古竜のとんでも方法にさらされるのがギルヴァで、本人にその話をすると口をへの字に曲げてしまうのだ。


『喧嘩なんざしたことねえよ。あいつが勝手に拗ねて勝手に俺を放り出すだけだ』


 その表情どおりに尻尾をばしばし地面に打ちつけるギルヴァにはどうしてか笑ってしまって。笑うと余計に意固地になって。

 仲がいい両者の昔話を聞くのは楽しい。親しいのが、心を許し合っているのがよく分かるから。


(それでも古竜は今、わたしを選んだ。だからこそ報いないと)


 今もきっと大好きだろうギルヴァを心に想い、それでも今を選んだ古竜のために。


 古竜に選ばれたことや納涼会での件はすでに全てギルヴァに伝えてある。時に会って、時に手紙で、伝えた内容には古竜を想う言葉もあった。


『あいつが自分でおまえを選んだのならもう大丈夫だろう。あいつの意思は竜の誇りと同じで揺らがない。俺が出ていってもおまえを優先し、おまえのために動く。それが乗り手を選ぶ竜の意思だ』


 だから、古竜の乗り手として堂々としていろと、そう教えられた。


 思考を続けていれば頭も冴えてきて、ラウノアはベッドの上で身を起こした。そのままベッドを下りて机の前に置かれた椅子に座る。

 机の上は綺麗に整えられており、代わりにラウノアは引き出しを開けた。


 その中に折りたたまれた一通に便箋が入れられている。

 そっとそれを手に取ったラウノアは折り目を開いた。内容を読み、頭に入れる。


 そうした直後、私室の扉がノックされた。


「どうぞ」


「失礼いたします」


 入ってきたのは侍女のマイヤだ。すぐに姿を見せるとラウノアを見て微笑む。


「おはよう、マイヤ」


「おはようございます、お嬢さま。さあ、朝の支度をしましょう」


 すぐにてきぱきと動くマイヤの動きを感じながらラウノアは便箋をもう一度読み、丸印を加えてから引き出しにしまった。


「お嬢様。本日のご衣裳はどうされますか?」


「朝はいつものようにして、騎士団へ行く前に着替えるわ。騎士団へ着ていける服は……町へ出かけるようなものしかないから、今日はそれで行くとして。古竜の世話をするとなるとやっぱり汚れるでしょうから、これからは騎士の皆さまのような上下分かれた服装がいいわね。動きやすいでしょうし」


「承知いたしました。ではすぐに旦那様とご相談させていただきご用意いたします」


「ありがとう」


 ベルテイッド伯爵から会議の結果を聞き、騎士団へも連絡をとってもらって早数日。

 今日はいよいよ騎士団へ赴く日だ。今後について騎士団長と話し合いをし、その後竜の区域を案内してもらい古竜の様子を見にいくことになっている。


 会議の結果についてはその日の夜、ギルヴァに会って伝えた。これからに関してはギルヴァとも話し合いをすることができてラウノアも少しほっとしている。


「かの方は心配無用と仰せられたのですが、私は心配です……。同行はアレクのみでよろしいのですか?」


「ふふっ。大丈夫。わたしも相談してみたけれど、古竜だってばかじゃないんだから他の竜の統率くらいとれるって言っておられたから。それに、乗り手を決めて乗せもしたのにわたしが行かないと、また屋敷に来るかもしれないし」


「あれは心臓に悪うございました」


 今思い出しても……と胸を押さえるマイヤにラウノアも同感だ。あれがあったからこそ、乗り手かもしれないという疑念を王家も抱くことになったのだから。


(だけど、あれは結果としてよかったかもしれない。納涼会でいきなり前触れなく乗り手が決まれば王家だって混乱したでしょうし)


 それに王家も古竜の乗り手という存在を積極的に囲いこもうとはしない。他竜の乗り手と同様に扱い、一時流れる噂と混乱を時間とともにやり過ごすつもりだろうと思われる。

 今日の予定と今後のことを考えるラウノアは、髪を梳くマイヤを鏡越しに見てふと視線を向けた。


「イザナはどうしたの?」


「昨夜は夜更かしでしたから、まだ眠っているようです」


「あ、そうね。ゆっくり休ませてあげて」


 先程まで読んでいた便箋の内容を思い出して小さく笑うラウノアに、マイヤも「はい」と笑って頷いた。


 それからベルテイッド伯爵邸のメイドがやってきてラウノアの身支度を手伝う。そんなメイドともマイヤを交えてお喋りを楽しみ、笑いながら朝の準備を行う。

 ラウノアの身の回りのことは基本的に侍女であるマイヤとイザナが担うが、二人だけで毎日ということはなく屋敷のメイドたちも加わる。マイヤやイザナも屋敷のメイドたちとともに同様の仕事をするので両者の関係は良好だ。だからこそ、ラウノアもメイドたちに頼み事などもしやすい。

 そうして身支度を終えたラウノアは、いつものように家族の食卓へと向かった。


 午前のうちに、ガナフとマイヤを交えてベルテイッド伯爵に古竜世話用の服の購入をお願いし、ベルテイッド伯爵とともにベルテイッド伯爵家の立ち位置と今後のラウノアの希望を確認、竜についてケイリスが教えてくれたことを復習し、ラウノアは騎士団へ行くまでの時間を過ごした。

 午後、町へ出かけるときのような動きやすい服装に着替え直したラウノアは、ベルテイッド伯爵とともに馬車に乗りこみ騎士団へ向け出発した。


 からからと回る車輪は寄り道などしない。いつもなら余裕をもって楽しめる景色も今は少し違う。

 徐々に近づく王城にラウノアはふっと小さく息を吐いた。


「緊張しているかい?」


「……やはり、一介の娘が乗り手として赴くというのは、少し」


「竜よりも人か……ふふっ。そうかもしれないな」


 今回の同行者はベルテイッド伯爵とアレクだけだ。多く人を連れていくには現在目立ちすぎている。


 屋敷や馬車の中でならいいが、外に出れば今度は全く別の視線に晒されるだろう。少し緊張を見せるラウノアとは違いベルテイッド伯爵は普段どおりの余裕を崩さない。


「大丈夫。いつだって、どんなときだって、私たちが味方だ」


「はい。ありがとうございます、伯父様」


「クラウが安心していたよ。やっとラウノアが遠慮を見せなくなってきたと。嬉しいと思っているのは私もロイリスも同じだけれどね」


 笑みを混ぜて言われてラウノアは気恥ずかしさに微笑む。


 クラウはラウノアがベルテイッド伯爵家に入ることになってからずっとそうだった。迷惑も遠慮も気にするなと何度言われたか知れない。伯爵夫人も同じだ。最初から娘だと歓迎して、心配もしてくれる。

 ベルテイッド伯爵一家。そこにあるのはいつも優しい想いだった。


「賢いおまえのことだ。本当はもっと前……古竜が我が家に降り立ったときには、乗り手の可能性に気づいていたんだろう?」


「……はい。あのときは正直、迷っていました。伯父様や皆さまにご迷惑をおかけするだろうと……。ですが、竜の意思は止められません。わたしの覚悟が一番なのだと、古竜に教えられました」


「覚悟、か……。そうだね。おまえだけじゃなく、私もそうだろう。――大丈夫。私も、ギ―ヴァント公爵閣下もね」


 そう言って変わらない笑みを見せる伯父にラウノアは頷いた。

 これまで何度もベルテイッド伯爵家の面々には迷惑をかけてきた。それを何度も叱ってくれたのはクラウで、待ってくれたのはベルテイッド伯爵で、包んでくれたのは伯爵夫人で、静かに寄り添ってくれたのはココルザードで、手を引いてくれたのはケイリスだ。


 家族としてありたいと。家族なのだと。――もう、この心はとうに決まっている。


 ラウノアを安心させたベルテイッド伯爵だが、誰にも聞かれないのを幸いとラウノアを見て少しだけ真剣に告げた。


「ラウノア。先日も言った会議での件だが……」


「……わたしの身の置き場について、ですね」


「シャルベル様に解消の意思はないというのははっきりした。この婚約は私たちも承知で結んで、おまえの意思で決めるものだ。もし仮にそう決めたとしても、他者の声でおまえを王宮に入れるつもりはない。今の殿下の周りはその立場を狙う争いの渦中だ。そうはさせないから安心しなさい」


 強気なベルテイッド伯爵にラウノアも頷いた。

 ただの伯爵家にそこまでの力はない。高位の貴族に圧をかけられれば正直、どこまで耐えられるか分からない。けれどベルテイッド伯爵は屈するつもりはない。


(本来なら他家でも殿下のお傍に娘を据えたい者は多いはず。だけどわたしという者が現れた。本当に殿下のお傍へわたしを据えなくても、可能性を潰したい貴族たちが何かを起こせばそこを叩ける、という狙いを持つ家もあるはず。それに、国や王家のためにといい案を出して、それに対してベルテイッド伯爵家やギ―ヴァント公爵家が渋い顔をすれば微妙な立場へ追いやれる。……救いは、王家が古竜の乗り手を他竜の乗り手同様に扱うとしているところ。古竜の乗り手だからという理由を王家は簡単には受け付けない)


 立場として少々弱いベルテイッド伯爵家だが、現在は国家有数の名家ギ―ヴァント公爵家と結びつきがある。王家も他家も動きは慎重になるだろう。


「それに、ラウノアの意思で相手を決めると、私はトルクと約束した。義妹の想いもあるなら尚更そこは譲れない。だから心配しなくていい」


「……はい。ありがとうございます」


 実父トルクにも話は通っているのだろうか。もし知っていれば何を思わせているだろう。

 考えて、少し寂しくなる。


(父様に会いに古竜で向かったら、きっと父様、腰を抜かしちゃうわ)


 恐がりな父だから。想像して小さく頬が緩んだ。






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