夜語りの、夢の向こうに
宿の広縁に差し込んだ月光が、部屋の家具をまろやかに撫でる。
室内には健やかな寝息。
滅多に飲まないお酒を飲んで、銀花は眠ってしまっていた。
(疲れと緊張もあったんだろうな)
晩酌に付き合った片割れは、広縁の椅子に腰掛け、障子向こうに眠る銀花を見つめていた。
と。
ふいに窓枠が風を報せ、部屋の空気が微かに揺れる。
対面に視線を移すと、こじんまりとしたテーブルを挟んだもうひとつの椅子に、人影が増えていた。
綽綽とした佇まいは、幾年も重ねた老人であった。
「やれ、すっかり遅うなってしもうた。待たせたかの、槻どの」
突如としてあらわれた相手に驚きもせず、ツキノキと呼ばれた男は、静かに頭を下げる。
「祭りで若衆が引き上げぬでな。儂も離れるわけにはいかなんだ。ほれ、誰ぞ、祈って来るやも知れんからの」
長い白鬚を上下させ、老人が朗らかに頬を緩ませる。
「いえ。先ほどまで銀花も起きておりましたので。楡様にお待ちいただく事にならず、何よりでした」
楡、と言われれば、神社の神木がその木であったと気付く者もいたかもしれない。同時にツキノキがケヤキの古名であることも。
銀花の連れ合いは、人間だ。
人間だが、月明かりを受けた彼は何か別の神霊を宿しているかのように、幻想的な気配を纏っていた。
ニレと呼ばれた老人は、機嫌良く室内に目を遣る。
「ふぅむ。幼き頃のような、あどけない良き寝顔じゃ。現在の暮らしが伸びやかなのであろう。我が地で生まれた愛し子を、どうぞよしなに頼みますぞ。離れはしても、可愛い子での」
「承知しております」
槻の返答に、好々爺の如く老人は頷くと、その語調を変えた。一段、声が低くなる。
「つづらの家は、その歴史を畳むことになったようじゃな」
「──はい。銀花の意思で、終わらせることになりました」
「うむ。やむを得まい。栄えた家が取り込んだ土地の中には、様々なモノがある。妬み嫉みといった他者の念も。それらを避ける魔除けの松、柊、南天……、いたずらに置き換えて、結界を破ったのは当の屋敷の者たちじゃ。先々代は鬼門を守る銀木犀を伐り倒した。災いを阻む力が落ち、家運が衰退するのは仕方ない」
「屋敷に施された結界配置など、時が経てば子孫は忘れるものでございます。──銀花は、"銀木犀を見たことがない"と、そう言っていました」
「あの家に人間として生まれ落ちた時に記憶は消えておる。それでも家を守ろうと、残っておったが……」
「金穂が、それを良しとしなかったのですね」
槻の言葉に、楡が頷く。
「銀木犀の古木が伐り倒された折に、大層怒っておったからのう。つづらの家を終わらせる、と勢い込んで転生してみれば、銀花が追いかけて生まれて来るとは、思いも寄らなかったのじゃろう。報われぬ銀花をあの手この手で解放しようと、ついには強硬手段に出てしまったようじゃ」
──"銀花を傷つけてしまった"と、境内で深く泣いておったわ。
遠い過去を眺めて、楡が嘆息する。
「浮気男は銀花には相応しくないし、自分もつき合いたくないからと早々に追い出しておったが」
北東の銀木犀、対なる位置の金木犀。
つづら家は代々、大地の力に支えられて繁栄してきた家であった。
人に降りた神霊が、土地を盛り立てるために配した様々な樹木、植物。共に栄えることを願って、力を貸し合って来た。
しかし代を重ね、傲慢に育った人の心が、過去を忘れて屋敷の護りを裸にした時。
これまでに向けられた周囲からの恨みや邪気が、即座に家門を侵食した。
事故、病気、離心。崩壊が始まれば、後は早かった。
屋敷の庭木は長年の負荷に力を失い、抜け殻のような形を保つのみ。
銀花は知らず知らずのうちに、彼らを自然に還すよう望んだ。
そんな銀花をはじめとする娘ふたりは、すでに別の姓を名乗っている。
金穂は名を変え、居を遠くに移しているようだ。
銀花は伴侶の姓を選び、つづらの家は潰えた。
「"つづら"がなくなれば、一族にかけられた"呪"も消え去る。つづらの家人が、かつて他家の子を手にかけ、刻まれた"呪"が。──今後は、子も自然に授かるようになるじゃろう」
その言葉に槻が頷いた時、寝ぼけまなこな声がかかった。
「う……ん……? 話し声……? 斉槻さん、そこに誰かいるの……?」
目をこする銀花に、笑声が応えた。
「誰も。銀花さん、酔っぱらって、夢でもみた?」
広縁には、ひとりだけ。布団から半身を起こした銀花には、心を許した恋しい相手だけが見えた。いつもの優しい目で、自分を見ている。
「夢? 夢かなぁ?」
「うん。どう? 素敵な夢だった?」
「素敵……。……素敵かも。私にも赤ちゃん出来るかもって」
「それはぜひ叶えたいね。そっち行ってもいい?」
「っつ。もちろん。だって斉槻さんのお布団、隣に敷いてあるもの」
「じゃあ、一緒に寝なきゃだね」
「待って。どうして私のお布団に入るの?」
「だって、銀花さんの布団の方があたたかいだろう?」
ほんのり紅潮する頬は、酔いの酒が残っているのか。
早打ちする鼓動に体温を重ね、銀花は故郷の秋を、甘美な夜に塗り替えたのだった。
お読みいただき、有難うございました!!(*´▽`*)/
金穂にはまた別の設定があったり、ツキノキとの馴れ初めとかも語れていませんが、連載形式にしましたので、いつか増やすことが出来るといいなぁ♪
ちょっとわかりにくかったぞ、という場合はご容赦くださいませ。
ツキノキ。ニレ科ケヤキ属。現在は槻とされていますが、"強い木"からの名前のようなので、つよつよ設定で。広がる枝葉が人の両手を広げた姿に、樹影が遠く届く様も神秘な木とされているようです。なんかそれっぽい異能とかあれば萌える…(´艸`*) けやけき木こと「けやけし」には際立って目立つ、尊く秀でるの意味もあり、古代には神の依り代ともされたとか。木って奥深い。
月と関係する木という説も、どこかで見たような。
お話では鬼門に銀木犀、裏鬼門に金木犀の風水を採用しましたが、諸説あるようです。
各所でいただきましたご感想に
・銀花のパートナーは人外では?
・銀花さん子ども得られるのかなぁ?
と、疑問をいただきましたので、そのあたりを補完いたしました。ふわっとしててすみません~。
松とか、杉とか、他にもいろいろ出したかったなぁ(;´∀`) 写真は金木犀です。銀木犀見てみたい!
楠結衣様(ID:1670471)から雰囲気抜群の表紙をいただきました!