【読切】覆面作家ライカ・ドマ令嬢は、無口で残酷な雷帝を愛読者にできるのか?
なんてこった。
「さて、ライカ・ドマ子爵令嬢、なぜこの場に連れて来られたのか理解していらっしゃいますか」
口調ばかりは礼儀正しく、優しい声音で玉座の隣に控える宰相閣下が問いかけて来た。
「…………さ、さぁ……な、なんのことか」
たらり、と私は内心の動揺を何とか表に出さないよう必死に表情を取り繕う。
煌びやか、絢爛たる王都ドゥルッセの王宮は“選ばれし存在”のみ立ち入ることの許された青薔薇の宮にて、明らかに私は場違いだった。
壁側に立つメイド一人にしたって、私より身分のある名門貴族の御令嬢。
一言一句、その動作の一つ一つが完璧に洗練された者だけが皇帝陛下の御前に存在することを許される、はずではないのか???
「……」
私は只管頭を下げたまま、押し黙った。
黙っているのは無礼、だというのはわかる。けれど子爵令嬢とは名ばかり……十年前に金で身分を買っただけの、商人あがりのドマ子爵家。
娘を『貴族の令嬢にしよう』と父が心血を注いでいるのは十五歳の妹のミシャルだけ。
十八歳になる長女の私はまともな貴族教育を受けていない。
え?いや、その件につきましては別にいいんです。既に八歳で色々自我が強く出てて、街に出ては男の子たちに混ざって殴り合いの喧嘩をして遊び暮らしていた私が今更淑女教育を受けたところでモノにはならんでしょう。
それなら大人しくて物わかりの良いミシャルに資産全力投球してどこに出しても恥ずかしくないレディにしようと試みるだろう。お父様がんばって。と、応援した八歳の私に、お父様は「たまには我がまま言ってくれないとパパ寂しいー!」と駄々を捏ねたのは良い思い出だ。
まぁ、今はそれはいいとして。
そういうわけで、私、ライカ・ドマは一応金に物を言わせた美しいドレスを纏ってはいるものの、口を開けば宮中に全く相応しくない口調と言葉選びをしてしまうことは明白。
けれど黙っている無礼と余計なことを言っての不敬罪、どちらが酷いか、それもわからないので、身動きが取れなかった。
「……これが何かわかるか?」
さて、どうしたものかと困惑していると、目の前に本がいくつか、置かれた。
一冊一冊は、それなりの厚さ。
センスのよい装丁。
これが何か?えぇ、わかりますね。なんならとっても見覚えがあります。
「……は、流行の……しょ、小説、ですね」
「えぇ、そうです。流行、といっても随分と長いですね。もう七年ほどになりますか。半年から一年ごとに一冊。大衆小説の割りには息が長い作家ですね。名は、ほう、ジェーン・ドゥ。覆面作家が決まって使う名だ」
宰相殿はわざわざ一言一句、丁寧に区切って発語され、その言い回しは芝居がかっていて胡散臭い。
「あ、あはははは」
私は俯いたまま愛想笑いを浮かべるしかない。
ジェーン・ドゥは“作者不明”にしておきたい女流作家が使う名ですね
文筆業で名を残そうとはしない、あるいは立場上できない者。文学史上は、どこぞの王妃様もこの名を使って詩を残されたとか。
女が物を書くことを良しとされない風潮のあるこの世界では、そういう抜け道、あるいは習慣があった。
「……そ、そうですかねぇ……ど、どこにでもいる作家じゃありませんか、ハ、ハハハ。な、内容も、どこにでもあるような、平凡なものだって評判じゃないですか……」
私は転がる本から目を逸らし、床の絨毯の模様だけを見つめ続ける。ダラダラと冷や汗が堪えきれずに流れ出す。
「だ、そうでございます。皇帝陛下」
「そうか」
さて、先ほどから私は声の主の方に絶対に視線を向けない。顔を上げられない、というのが正しいか。
絶対に顔を上げずにいる理由。自分の目の前にいるのは、平民上がりのライカ・ドマがこんなに間近で見ることなど一生ないだろうと思っていた……この国で最も恐ろしい存在。
親兄弟、親族、王位継承を持つ王族を全て殺し、玉座についた血塗れ狂王。
この国、ヴィラーマの皇帝、イドラ陛下。
拝見した姿絵では、褐色の肌に黒髪、黄金の瞳を持つ大変美しい容姿をされているという。ちらり、と、ここに連れてこられた時に見た姿は姿絵以上に整っていたので、絵師の腕でも描き切れない造形をしているのだろう。
恐ろしくも、まだ若い皇帝は私を見つめ続けている。先ほどから宰相閣下ばかりがあれこれ話しかけてくるが、その間にも陛下の視線がじぃっと、頭に穴が開くのではないかと思うほど向けられていて、私はさすがに悟った。
宰相閣下のこのもったいぶった言い回し。
そして無言を貫く皇帝陛下。
なぜだか知らないが、この皇帝は……私に白状させたいのだ。
「……」
私が皇帝の望みの言葉を吐くまで、いつまでも待っているだろう。そういう確信があった。
このまま黙秘し続ければ、その間だけでも生きていられる……か?いや、名前だけの成り上がり子爵家の女の命など、皇帝陛下の前では吹けば飛ぶ程軽いだろう。
……ぐぅ。
「……こ、この、本の著者は、私です」
観念して私は認めた。
*
さて、皇帝陛下の首切りショーの助手担当になる覚悟はキマっていない私、ライカ・ドマ。
ジェーン・ドゥの名で出版される本は数多くある。けれど皇帝が私の目の前に落とした物は全て、同一人物に書かれた本で、そしてその作者こそ、私である。
さっきは自分で貶したけど、人気作家だよ!これでも!!
さて、黙って親の言うことを聞いていれば良い暮らしが約束されているライカ・ドマであるのに、なんだってこんな「女の身で文筆業なんて」ことをしているのか。お金目的?名声?
いやいや、そんな御大層なことはない。
単純に、私には前世の記憶がありました。
え、そんなさらりと言って当り前のような感じにって?前世の記憶があるのはそう珍しくない、わけではないのだけれど、私の感覚では「まぁ、よくあることだよな」です。
ここではない、どこか違う世界。文化や言葉が全く違う不思議な世界で、私は生きていた。
そこには多くの「漫画」「アニメ」「小説」「映画」「ゲーム」「演劇」と言った、物語が溢れていた。
前世の私も自分で作品を生み出し、まぁ、そこでもただの趣味、何を得ようというわけでもなく、ただ、様々なものを読んで知り、自分の頭の中に浮かぶ冒険や物語を吐き出して形に残したかったというだけ。
その「私」がこうして、前世の記憶と自意識をしっかり持って今生に生きてしまっていると、もう、どうにもやっぱり、生きながら「書く」しかない。
成金の商人、ドマ家の長女に生まれてしまって、高価な本や紙を手に入れることのできる環境だったのもよくなかった。
物書きというものはそういう性分らしいので、これはもう仕方ない。
そうして、私。ライカ・ドマは裕福な家の財産に支えられ、国内外へ旅行も行けて見聞も広げ、好き勝手に得た知識で「これはフィクションです」と宮中の恋愛、身分違いの恋、政略結婚からの愛情の芽生えなど、様々な物語を書き続けた。
ライカの文章を読んだ理解のある父親が「これは世に広めるべきでは??」と、覆面作家として完璧な環境を用意してくださったのも大変素晴らしい。
まぁ、その結果、貴族の間でも、とりわけ若い令嬢の間で“恋愛”を夢見る者が出て来たりしたのは……。
「…………………さすがに、そろそろ……何らかの、取り締まりがあるだろうな………とは、思って……おりました」
「……」
無表情の皇帝陛下の無言の視線を受けて、私はぐぬぅ、と唸りつつ、必死に言い訳をする。
「も、もちろん、私も理解しております。貴族のご令嬢の“責務”は家の為の結婚です。何よりも大切な、守るべきことですよね!?父親の決めた相手に従順であれ、嫁いだ家門の良き妻、良き母であれという美徳!大変素晴らしいことだと思います!!」
帝国の模範的な淑女のありかたについて、私は必死に「きちんと理解してます!反骨精神なんて持ってません!」とアピールする。
「などと仰っておりますが、陛下」
「そうか」
あっ、信じてくれてない!これっぽっちも響いてない!
無表情の皇帝陛下と、なんだか呆れているっぽい宰相閣下。
いやしかし、こうして、正体がバレてしまった以上、もう私だけの問題だけではない。なぜ私の著書が皇帝陛下と宰相閣下に危険視されるほどのブツになってしまったのかはわからないが、こうして御前に引きずり出されたのは……お裁きのため以外に理由などあろうはずもない。態々皇帝陛下が裁かれるほど問題になっている……実家ももちろんバレていて、一族連座で処罰されるかもしれない……つまり、人生が詰みかけている、ということだ。
愛すべき家族……良い感じに淑女教育が終わり、デビュタントを迎える妹ミシャルは花の妖精のように愛らしい子だ。「捕まえるなら公爵家か王族」と宣言しているその子が社交界をどうひっかきまわしてくれるのか、大変楽しみにしている……。
お父さまも、成り上がりと蔑まれながら十年、爵位を維持し続けて、なんならその辺の……名前が昔からあるだけの貧乏貴族に金を貸しまくって良い感じに皆そろそろ首が回らなくなってきているだろう、どんな結末を迎えるのか楽しみだ……。
あぁ、後妻のお母さま。先妻の子の私を我が子のように大切に育ててくださって、「うちは僅かな失敗で没落する可能性の高い家なのですから、何事も慢心してはいけませんよ」と常々言い聞かせてくださったのに……覆面作家として順調だった私は、慢心していたのかもしれません。
「けして……けして、悪気があったわけでは……!」
ゴンッ、と、私は床に額を押し付けた。
「っ!?」
さすがに貴族令嬢が優雅なお辞儀ではなくなりふり構わない土下座をキメるとは思わなかったのだろうか、皇帝陛下がちょっと驚いた気配がする。
「……ライカ・ドマ令嬢」
「皇帝陛下は、貴方の著書の数々を大変お気にされております」
「……ゾーリャ」
「このままでは埒があきませんので」
「……」
ゾーリャ、というのは宰相様のお名前だろう。ご家名はアウレア家、公爵様のはず。お若くして公爵家を継ぎ、宰相となられた方は皇帝陛下の幼馴染だと聞いている。
「ドマ子爵令嬢、あなたの著書は社交界、市井問わず影響力があります」
「……」
「このままでは神聖ルドヴィカの教義に反すると、異端審問にかけられる可能性すら出てきました」
「……ひえっ……」
神聖ルドヴィカというのは、この大陸で最も信者の多い宗教だ。人間種はほぼ信者であると言ってもいい。
「き、禁書扱いになるほど……ッ!?」
「“自由”“平等”“女性の権利”……逆に、これだけ好き勝手に書き散らしてきて、よく無事でしたね」
「そこはほら、あの、「この物語は架空・空想であり、実在の権利・団体・思想とは一切関係ありません」っていう注意書きがあるので……」
前書きって大事ですよね。と、私が力説すると、なぜか宰相閣下が皇帝陛下に視線をやった。
「……」
「……」
無言で見つめ合う二人が何を考えていらっしゃるのか私にはわからない……。
「つまり……」
暫くして、皇帝陛下がゆっくりと口を開いた。威圧感。ただ声を発しただけなのに、私は空気が重く感じ、全身が寒さと恐怖から震え始めた。
「このままでは君は魔女として火炙りにされる可能性が大変高いが……俺であれば君を守ることができる」
「……は?」
「署名を」
皇帝陛下が短く言うと、ささっと、私の前に真っ白い紙が持ってこられた。何も書かれていない、白紙だ。
……こ、ここに、サインしたら……上に文章が沢山追加されて……なんか悪用されるってことか!!
私は自分の、覆面作家としての自分の価値をなんとか算出しようと試みる。これでも商家の娘だ。損得勘定はできる。私程度の頭脳で、国を動かす二人の思惑をどこまで考察できるのか不安でしかないが……。
……私の価値は、その、作家としての価値は……著書。影響力。
……私を、作家を王家で好きにできるようにして……何の得が?例えば、王家に都合のよい物語をかき上げて、それを流行させる……言っては何だが、皇帝陛下はただ「恐ろしい」というイメージが強い。そこを払拭できるものを書け、とかそういうことか……?
「たいした手間ではないはずだが?」
黙って硬直してしまう私を、皇帝陛下がじろりと睨む。早く署名しろ、という圧だ……。
「あのっ、陛下……!!おそれながら……どうか、家族だけは……家族の命だけは……!!あ、家族というくくりには使用人たちも含まれてます!うちは領地はないですけど、商家なので、関係者一同も家族扱いで……!家族の命だけは、お助けいただけないでしょうか!!それでしたら、ここに署名致しますので……!!」
「……それは無論、君が望むのなら良いように取り計らうが」
「ありがとうございます!」
私は急いでペンを取り、右下の方にライカ・ドマと署名した。
乾くのを確認して、秘書官らしい方がそれを陛下に恭しく差し出す。
「……小さいな。それに、こちらの名で良かったのか?まぁ、君が良いのならそれでいいのだが」
「よかったですねぇ、陛下」
私の命を売り渡す署名が終わったのだが、玉座の方はなぜか楽しそうだ。
「わ、私は……家に帰れるんでしょうか……このまま(ここに軟禁されて)執筆することに……?」
王家に呼び出されたので、家は大騒ぎになってるはずだ。
こんなことになるのなら、家族にちゃんとお別れを言ってくるのだった……あと、今月末の締め切りについて考えると、あれどうなるんだろうとか……。
「せめて……せめて、連載中の作品だけは……構想通りのまま……完結させて頂けると……」
おろおろ、と、命乞いをする。
ここで王家の思想が入って、当初と全く異なる展開になるのは……読者の方々に申し訳ない。
「今夜、完成原稿ができたら必ず俺に見せるように」
氷のように冷たい表情で、皇帝陛下はそう冷酷に命じられた。
他の仕事は今日限りで終わらせて……その上、内容は必ず検閲させろってことですね……!
*
(この娘はなぜこんなに怯えているのだろうか?)
玉座から憧れの作家殿を見下ろして、ヴィラーマの皇帝、イドラは不思議に思った。といっても、その表情に一切の変化はない。
父母に「感情を捨てて魔力を授かった」と言われるほど、感情の変化に乏しい男。それが表面に出るものとなればほぼ皆無で、幼馴染の宰相ゾーリャ以外はイドラのことを冷酷で残忍な男であると信じて疑わなかった。
「……」
七年程前から市井で流行り始めた覆面作家の著書を、イドラはとても気に入っていた。男女の恋愛の機微については全くわからないが、その作家の書く世界は、世に一切の期待も希望も抱けていないイドラの心を震わせた。
食べ物の描写、風景の書き方、他人が内面で抱える感情の起伏についての事細かな描写の数々は、イドラの黄金の目に映っている景色とはまるで違った。
こんな風に世界を見ることができるのかと、自分には見えない世界に、美しさに、ただひたすら憧れた。
一体どんな人物が、この素晴らしい世界を作り出しているのかと、ただただそれだけが気になった。
冷遇され「化け物」「怪物」「悪魔の子」と蔑まれてきたイドラにとって、その覆面作家だけが「興味のあること」だった。
『皇帝になれば、国家権力でその覆面作家の正体がわかるんじゃないですか?』
ふと、何気なしにゾーリャが言った言葉。
成程、そうか、と、イドラは頷いて、そして玉座についた。
人は欲しい物のためならなんだってできる、というのはその覆面作家の物語にもあり、イドラは「それなら自分も、やってやれないことはないだろう」と思って、実際にそうした。
しかし、国家権力を得て、覆面作家の正体を知れる、という立場になると……それはそれで恐ろしかった。
……その覆面作家が女性であることは、ジェーン・ドゥの名で明らかだ。男があえてその名を使うのは、禁忌である。これまでの女性作家たちへの侮辱ともなり、男性が使うことはありえない。それゆえ、ジェーン・ドゥ、イドラの憧れる覆面作家は女性で間違いなく、だからこそイドラは戸惑った。
憧れている。尊敬さえしているその女性を前にしたら、自分はどう振る舞えるのだろうか。
男として立派に振る舞えるのか自信がない。その覆面作家はどんな姿をしているのか、美しい世界を見る瞳は何色なのか、想像するだけでイドラは……王位奪還を図ろうとする王族を蹴散らしながら、胸が躍った。
そうして連れて来られた作家殿。ライカ・ドマ子爵令嬢殿。
……美しかった。
赤い燃えるような髪に、深い青の瞳は太陽と海のようだと、自分にそんな詩人のような思いが抱けるものかと、イドラは驚きで、そして、新鮮だった。
そのライカ嬢は震えて控えていた。
寒いのだろうかと心配になったが、そういえば女性は冷え性だということが本には書かれていて、自分としたことが、気遣えなかったとイドラは反省する。
「あのっ、陛下……!!おそれながら……どうか、家族だけは……家族の命だけは……!!あ、家族というくくりには使用人たちも含まれてます!うちは領地はないですけど、商家なので、関係者一同も家族扱いで……!家族の命だけは、お助けいただけないでしょうか!!それでしたら、ここに署名致しますので……!!」
「それは無論、君が望むのなら良いように取り計らうが」
「ありがとうございます!」
しかし、昨今彼女の著書が神聖ルドヴィカで問題視されていることは、著者である彼女も知っていて、それをきっと憂いているだろう。そこで、皇帝である自分が彼女の後ろ盾となって、その権利を守ると約束すれば、彼女は寒さも感じないほど安心してくれるはずだ。
折角なのでサインも欲しい。
できれば本に書いて貰いたいが、一冊だけ選べと言われると、どの作品もイドラは愛しているので選べない。
なので、最高級の紙を用意した。劣化することない、魔法も織り込まれており、どんな火を受けても燃えることがない最高位のものだ。王族の公的書類に使われる物の中でも最も良い物を用意して、ライカ嬢にサインを頼むと、憧れの作家殿は快くサインを書いてくれた。
「……小さいな。それに、こちらの名で良かったのか?」
紙の右下の方に小さく書かれたのはライカ・ドマの名。
ジェーン・ドゥより、こちらの方が美しい。大変満足だが、そこでイドラは「無理に書かせたから彼女は怒っているのではないか」と、だから字が小さい、それは彼女の奥ゆかしい細やかな反論かと察した。
なので「君が良いのならそれでいいのだが」と、彼女が反抗したことを理解し、反省しているという意味で言葉を続ける。なぜか彼女はまた震えた。
「わ、私は……家に帰れるんでしょうか……このまま、執筆することに……?」
そこでイドラは自分と彼女が何か食い違いをしているのではないか、と気付いた。
ゾーリャに視線をやると「もしかして、専属契約を結んだことになっているのでは?」と、幼馴染はイドラと同じことを考える。
成程、後ろ盾になる代わりに……自分は彼女の物語の読者一号に、常になれる、というわけか。
その方が安全だろうと、イドラは考える。
神聖ルドヴィカが彼女の著書を有害だと判断しているのなら、彼女をこの王宮から一歩も出さず守り、そこで王家の許可の元、本を出し続ければ良い。最悪ルドヴィカとの交戦もあるだろうが、イドラにとってルドヴィカの教本の文章など何の価値もない。
直ぐに彼女が快適に過ごせる離宮を用意させ、彼女に仕えるに値する教養高い侍女や最高級の調度品を揃えるように、と命じる。
「せめて……せめて、連載中の作品だけは……構想通りのまま……完結させて頂けると……」
環境が変わることへの不安を口にする作家殿。しかし必ず書き上げるという、素晴らしい志だ。
イドラは読者として深い理解があり、それを彼女に示すことができたら、きっと少しは彼女の心の負担を軽くできるのではないかと思った。
もちろん、連載中の作品は自分も続きを心待ちにしている。落ち着いて、なんなら今夜からでも執筆できるように取り計らうと約束するために口を開いた。
「今夜、完成原稿ができたら必ず俺に見せるように」
ちなみに、イドラは習慣として夜は全裸で寝ている。
これが世に言う「全裸待機」というものだろうか。
イドラはフフ、と、人知れず笑い、ライカ・ドマ嬢の新刊が今後は必ず手に入ることを心から喜んだ。
その為にこの国の流通、文化の発展、識字率、それらすべてを、皇帝として常に最高のものにしようという決意が強くなる。
さて、このすれ違いまくって仕方ない読者と作者。男女。皇帝と子爵令嬢。ヘタレとポンコツ。呼び方は何でもいいのだけれど、その二人。
その後の、ライカ・ドマ嬢は毎晩「殺されるかもしれないから、原稿を一つ書き上げて、校閲してもらう日を稼いで延命しよう」と必死に試みた。
皇帝の方は毎晩献上される一話一話を楽しみにし、そして、それがまとめられた本が市井に出回ったりするのだけれど、それはまた別のお話。