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極星

夕食の後、アルクトスと村長はそのまま食堂に残り、私一人だけ案内されたのはダブルベッドがついている客間だった。


「一人部屋でなくて、二人部屋って」


思わず口にして動揺しつつ、蝋燭の火も灯さずに、着替えをして寝る準備をした。

暗い部屋の中、ベッドから数歩にある窓からさしこむ月光に目がいった。雲の陰りもない純粋な暗い空には、まばらに薄く星が見えた。窓を開けて、外に手を出すと、涼しい風が入って私の髪をゆるやかにかすめた。星空をよく見れば、赤い光を持つ星と、金色の光を持つ星が並んでいたり、白い星も薄くはあるがたくさん散らばっていた。


「綺麗な星たちね……」



あんなふうに輝ける存在になれたらいいのに。彼の隣に相応しい、人の幸せを見守ってやれるような、美しい心を持てたら。


学園のときから自分の心にそう決めて、過ごしてきた。でも、今は本当に自分が愚かとしか思えなかった。

成長したアルクトスは私よりもずっと素敵な人となっているのに、自分は後退しているように思えてならない。こんな私を、彼が未だに好きでいてくれることが申し訳ない気持ちだ。

せめて、財産など大きなものを持っていられたら、少しは彼の利益になるというのに。

私にはもう何も持っているものはなくて、身分も財産も名声もなく、あるのは婚約破棄された傷と、他人犠牲な心。一度告白も断ったというのに、彼はなぜこんな私に優しくしてくれるのだろうか。


どうして?


アルクトスと再会してから、この疑問符が呪いのように張り付いて渦を巻いた。

突然、背後の部屋の扉がノックもなしに開いた。振り返ると、廊下の光からアルクトスのシルエットが浮かんで見えた。


「あの狸………」


入ってきたアルクトスがそういうものだから、思わず吹き出してしまった。獣人で最強と謳われる彼もまた、私と同じようにダブルベッドにちょっと驚いたのだ。


「エンリル……怒っていたんじゃ……ないのか…」


アルクトスは耳を垂れながら、私の様子を伺ってきた。


「昨晩のは怒ってるわよ。でも、今は」


どう伝えようかと考えていると、アルクトスは窓にいる私の方へ近づい来て、私の背中にぴったりとその引き締まった体を寄せてきた。


「……今は?」


「は、離れて頂戴。私、昨日のこと許してないわよ」


話を逸らすように話題を変えた。でも、アルクトスは触れてほしくないことに容赦なく触れてきた。


「君は何に……怯えているんだ……」


彼の腕が私を抱きしめて離さなかった。アルクトスの言葉がじんわりと心を揺らしながら、再び空を眺め震える声で彼に言った。


「私は番として、あなたにはあまりにも釣り合わないわ」


その理由を、自分の中でははっきりと掴めた。


「あなたは本当に素敵な人。でも、私は身分も取り上げられ、傷物になった人よ。その上、サリーがどうしているのか分からないのに贅沢(ぜいたく)して、あなたが怪我を負ったのに私は無事で、他人を犠牲にするような人よ。私は、私は、悔しいけれどあなたにとっての番になれる資格は」


「エンリル……」


彼が雫を流す私を強く抱きしめた。


「昔話を聞いてくれ……学園の時だ。君は…いつもエドワードを追っていた………でも…そんな君が俺は嫌いだった…」


嫌いという言葉が胸を引き裂くように大きく響くが、次の言葉で(くつがえ)された。


「君にはずっと……俺を見てほしかった。普段からエドワードを考える君が……嫌で嫌で…………俺のことを考えてほしいのに。それに…君はいつだって人の幸せばかり望んで……人に頼ろうとはしなかった…。少しは己の幸せを手に入れたいと……人に頼ってもいいんだよ……俺に泣きついて甘えたっていいんだ……」


彼は私の頭上から、嘆くような声を落とした。


「泣いている君を俺は知っていた……俺からは何もしてやれないから…君から俺を求めてほしかった…頼ってほしかった………。君が幸せでいてくれるなら……何だっていいんだと思った……。俺だって……こんなに醜いんだ…………貪欲で…君が番だからという理由もあるが…俺は………君自身にずっと執着して…………」


アルクトスの胸に受けた傷はまだ完治していないというのに。彼が私と一体化してしまうのではないかというほど強く抱いてくれることが、私のことを許して求めてくれている言葉が、嬉しかった。


「エンリルは本当に優しいよ……君は婚約破棄されても……決して相手を傷つけようとはしなかった…。だからこそ苦しんで……自分が犠牲になろうと思ったんだと思うよ……。君は優しさと…思いやりが強すぎるから…そうやって悩むんだ…」


優しさと、思いやりがあると、彼に思われていたなど、思いもしなかった。だって、そういう人になりたいと、ずっと憧れていたものだったから。

私の頭を撫でて、彼は続けた。


「俺は君に番として…側にいてほしいと固執している……今思えば君の幸せよりも…自分の幸せを望んでいたみたいだ……。でも君は…………こんな我儘な俺をここまで思って」

 

「“こんな”じゃないわっ」


彼の言葉を否定したら、嬉し涙は星のように輝いては、足元へと落ちてゆく。


「あなたは私を守ってくれた。私をずっと待っててくれた。ありがとうっ」


本当は昨日の時点でこれを伝えるべきだった。


「ずっと私を好きでいてくれたのね。私の幸せを願って見守ってくれていたのね、嬉しいわ。番でいてほしいって側にいてくれと言ってくれて、私は幸せよ」


声も心も震えて、私は彼の抱擁してくれる腕を手で包んだ。闇だけに埋もれていた心に、彼が極星となって目印を立ててくれた。その光の先に進めば、もう何も怖くなかった。星芒(せいぼう)が連なり私をその下で輝き照らしてくれる。


私を思い告白してくれたアルクトスに対して、私も出会った頃からあなたのことが大好きですと伝えたいと何度思ったか。でも、それは叶わぬ恋だと何度自分に言い聞かせ(とが)めたことか。

せめて、あなたの友達として一番になりたいと願い、優しさと思いやりを持ち、人をその温かい光で照らす輝く星のような人でありたいと願った。

叶わぬ恋が実りそうになったとき、夢のようなことで、私は本当は幸せになれないんじゃないかと思った。自分は醜く愚かで、星にもなれぬ小さな石のようだというのに。でも、あなたは私の願ったことを認めてくれた。

窓の外の星を見上げれば、私でもあなたと結ばれていいのだと、星影が祝っているように見えた。


「その……悪かった………」


彼は耳元で言葉を繋いだ。


「なんのこと」


「昨日だ……先走りすぎた………でも君は…………あの王子ともう……ああいうことを」


真後ろにいるアルクトスは、段々と自信がないような口調になって話した。夜の美しい星よりも、私の心は彼に対しての輝きがキラキラと増してきていた。


「してないわよ」


私の口は先走っていた。


「あんなこと…初めてなのよ」


「っ……!?………俺は勢いで……なんてことを」


「そうよ!第一あんな場所で…口づけは初めてなのに、何で森でなのよ。普通はロマンチックな場所でなのに。それに、勢いって何よ!私とは勢いだけなの!?」


そこまで言うと、アルクトスは私の肩に顔を埋めて言った。


「すまなかった………その…やり直させてくれ…」


「えっ」


アルクトスは私の首筋にキスを落とし始めた。


「っ!!アルクトスっ……ダメよっ!」


そうは言うものの、アルクトスの腕が私のことを離さず、もう距離はないというのに一方的に強く強く抱いてきた。耳もいじられると、私は足から力が抜けて、アルクトスが私をベッドの方に座らせた。


「アルクトス、私、まだ婚約破棄させられたばかりなのよ。こんなに急いで、関係をもったら」


彼には婚約破棄されて早々に一晩をともにしたらと考えると、彼に醜聞がたってほしくなかった。

 

「大丈夫……」


アルクトスは真剣に私を見て言った。


「君との熱愛なら本望だ……」


「そういうことじゃないわよ」


「君は…どこまでも優しいし……美しいよ…エンリル」


聞く耳を持たないアルクトスはキスを続けた。息もできないほどの熱い口づけは、惑うことなき私を熱烈に思う彼の意志の強さが伝わってきた。


「んんっ……はっ」


「こんなに…口づけは美味しいんだな……」


私の口から彼の口へと、キラキラとした糸が引いた。アルクトスは笑いかけて、その大きな手で私の頬を包んで唇を撫でた。


「あなたと、再開してまだ数週間も経てないのに」


出会ってからの付き合いは長かったものの、それは友人としての付き合いだ。こんな恋人同士がするような行為まで発展した覚えはなかった。


「俺は…ずっと君を……想っていたよ……」


金の双眼は、優しく身を包むような眼差しをしていた。


「さっきも言ったが…学園で会ったときから………君が好きで……でも君は……俺に横顔ばかり見せて……ずっと我慢していた……でも…君が幸せだと言ってくれるなら………俺から求めてもいいんだな…」


アルクトスはさらにその満月の瞳を潤わせ、薄い唇の端を上げて言った。


「君を……愛してる…」


そんな言葉を誰かから貰ったこともなかった私は、再び涙が頬を伝っていた。サリーには好きだと互いに言い合ってはいたけど、それでも主従の壁があったから。こんなにも熱の籠もった言葉があるのだと、その時初めて私は思った。

雫を流す私を、アルクトスは丁寧にその指で涙を拭いてくれた。


「嬉しいわ、ありがとう」


涙を拭ってくれる彼の手に、私は手を重ねた。優しい温もり、時に極星のように道を示し、時に陽だまりのように私を包み、時に月光のように心を照らしてくれる存在。


「どうか……俺を信じてくれ…………絶対に…裏切りはしない……君を大切にする……」


私は目を閉じて、コクコクと何度も強く頷いた。あの人と別れてよかったと思った。でなければ、こんなにも私を想ってくれる彼と真剣に向き合えなかったから。嬉しい涙は乾いた大地を潤した。


「あなたにとっての番、運命の相手がもし、私なのだとしたら。私にとってもあなたはきっと、運命の人ね。こんなにも嬉しくて泣いちゃうんだもの」


アルクトスはベッドの上で共に寝転がると、そのまま私を強く抱いた。再び彼のところへと引き寄せられると、安心が増した。あの時から吹いていた恋の初風が叶ったのだ。


こんなに幸せなことはないと、そして、幸せでいていいのだと。


そのまま彼に抱かれて、今までのことを忘れさせてくれるような安らぐ夜を迎えた。

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