歓迎
□月□日
朝、どうしようもなく気まずかったわ。でも、村の人達は良い人ばかりね。(ページがはがれている)…それで気づいたのよ。あなたは私にとって
一言も話さぬまま、日が昇り朝を迎えてしまった。
あれから彼とは目を合わせられなくなってしまった。合わせただけで顔が熱くなるし、何だか気まずいのだ。初めてのキスはロマンチックな場所、城下町のデートスポットで。体へのキスマークは高給宿屋の部屋で、とか女の子の憧れはそれだというのに。それでも淡々と準備をするアルクトスに立腹していた。
「…………行くぞ」
私はアルクトスの渋る顔を無視して、再び狼に堂々とまたがり、山を降りた。そうして国境を無事超えると、鬱蒼とした木々がまばらになり、辺りは背丈の低い草が生い茂ってきた。草原のところを長いこと乗って、昼に見えてきたのは木の杭で作られた囲いを持つ小さな村だった。どうやらアルクトスの学友の領地の村らしく、一度は訪れたことがあるのか、彼と共に難なくみんなに歓迎されて入ることができた。
村の人に魔物をこの地に入れることを許してもらえるとは願ってもなかったことで、狼を容易く受け入れてくれた。アルクトスが事情を説明する中、私は少しばかり口を挟んで補足した。そのとき私の能力にも少し触れた。だがアルクトスのときもそうだったけど、獣人の国では魔力持ちなど関係ないらしく、村の人達は特別に気にする素振りも見せずに迎えてくれた。
今晩は村長の屋敷に泊めさせてもらえるらしく、案内してくれる村人についていきながら、道中村の子どもたちが楽しそうに私に野花を送くれた。無邪気な子供は可愛く、もらった様々な花は綺麗な黄色をしていたから、思わず彼の金色の瞳を連想した。
「今手紙をおくったからの、明日にはアルクトス様のご友人である辺境伯様にも会えましょう」
向かい側の椅子に座る、背の低い村長がニコニコと笑いかけてくれた。狸の耳と尻尾をもつ村長は、眉毛もヒゲものびきっており、口はこちらからはほとんど見えない。目も見えていないのか、瞼を閉じながら話してきた。村長の屋敷の応接間は木の温かみとカーペットの適度な反発で古いながらも、心安らぐ部屋となっている。
「いやはや、アルクトス様がヒューテルの国に一週間滞在するととんでいってそれきりだったもんで、辺境伯様もお怒りでしたぞ」
ヒューテルの国に一週間の滞在というのは、やはりアルクトスは私がエドワードに振られる前からそこにいたということだ。
彼は私がエドワードに婚約破棄されることを前から知っていた?
疑念を抱いていると、閉じられている部屋の扉がいきなり壊れた。驚いて思わず隣りにいるアルクトスの手を手繰り寄せて握った。
「これはこれは。内のものがすまないの」
扉が押し倒されてなだれ込んできたのは、屋敷の使用人たちであった。皆、尖った耳やら長い尻尾やら動物の特徴を持っていた。
「人間が来るのは初めてでね。なんせ、こんな田舎だからの。それに、こんなべっぴんさんだとは思いもしんかったよ」
「村長……エンリルは……やらない」
村長の言葉に心が浮ついていると、村長にまで敵意をむき出すアルクトスに、我に戻った。驚いたときに思わず掴んだ手を彼から離して、村長の方に真っ直ぐ体を向けた。私はまだ昨日の夜の口づけを許してはいないからだ。
「ほほほ。そうか、アルクトス様もついに番と添い遂げることができるのかの」
口元のヒゲを震わせて談笑する村長に、私はその言葉の意味を聞いた。
「番ってどういう意味なのでしょうか。皆さん、人間では“彼女”とかお付き合いしてる人に対して、獣人では向ける言葉が“番”なのですね」
「「「えー!?」」」
興味本位で聞いたら、先程なだれ込んできたメイドさんたちが、扉を直しながら目を丸くしていた。
「こりゃ驚いた。アルクトス様、教えておらなんだか」
狸の村長までも閉ざされていた目を開けて、いた。
「番とはな、お嬢さん。獣人が一生を添い遂げる運命の相手じゃよ。番と離れれば心を病む。番が死ねば己も死ぬ。番のためなら何でもするといわれるくらい、我ら獣人にとって大きな存在よ」
「そんなにすごい存在なんですね」
「そうじゃ。一生、番と出会えなくて一人死んでいくやつも少なくはない。わしのようにな。アルクトス様が学園にいかれた頃、辺境伯殿とともにわしも喜んだの。ようやくあの無愛想なアルクトスにも番ができたとな」
そういうことか。だから学園で私に婚約者がいると知りながら、アルクトスは告白してきたのだ。狼や村長に対する嫉妬も、私が彼の番だからなのか。だからといって、私は思い上がることもできず、アルクトスにとっての番、それほど大きな存在になれる資格など、私にあるのだろうかという不安が渦巻いた。不安の渦が、昨日の出来事は許せないという怒りさえも飲み込んでいった。
今ならまだ、彼は私と結ばれずに済むのではないか。こんな傷物の私が彼の番となれるものか。
私はできるだけアルクトスと会話も控えて村長の方にできる限り目を向けていた。
「おやおや。アルクトス様もまだお嬢さんに素直になれんようじゃな」
村長は私の様子から何かを見破ったらしく、長く伸ばした眉毛をしなやかに曲げながら、しわがれた声で続けた。
「まあ、ゆっくりしなさいな。ほれ、お前たち、お嬢さんの支度を手伝ってあげなさいな」
「「「はーい!」」」
メイドさんたちの気前のいい返事に、とても主従の関係とは思えないほど距離が近くて、温かい屋敷だと思った。公爵の屋敷ではサリー以外に、誰一人として私と友達のように接してくれる人はいなかった。皆、どこか憐れむような目で私を見ては、ただ遠くから見ているだけだった。
メイドさんたちは私の両手をとって部屋へ案内してくれた。すぐにお風呂に入れられて、髪を洗われたり、体を洗われたり。
「綺麗な赤髪ね」
「本当、花のように鮮やかな赤」
「長く艶やかね」
彼女たちの褒めてくれる言葉に照れながら、少し自信を取り戻した。
かつて、赤髪や赤眼といった赤をその身に宿す者たちは、人間によって迫害され、大勢が斬首された。その歴史は学園の歴史学に記されることなく、忘れられていると、サリーが教えてくれた。おそらく、後世の人達が迫害したということを人々から消すことで、人間は自由平等の国を目指しているなどと他国に示すために記すことを控えたのだろう。迫害も薄れ、赤髪と赤眼を持つからと殺される心配もなくなった世の中だが、この色が嫌に目立つことはなくならなかった。赤は血の色だと言われ、幼い頃は舞踏会に行くたびにこの髪色を変えたいと思った。
たが、サリーがこの髪色を気に入ってくれていたから、私は染めることも切ることもしなかった。さらにこうして、彼女たちが褒めてくれるならば、尚更この髪をいじらなくて良かったと思えた。
山の旅路からの汚れと疲れを湯船に浸かることでとったら、今度は着替えだ。
「これがいいわね」
「それなら、これをつけましょう」
「これもこれも!」
着替え合戦は、私にとって大変なことだった。彼女たちはひっきりなしにこれがいいと取り出して散らかしては、やっぱりこれがとアクセサリーやら服を交換した。鏡台が化粧品や装飾品で山積みにしながらも、私を着飾ってくれた。サリーのときは彼女が私に似合うものを予め厳選して持ってきてくれていたが、こうやって沢山の選択肢から選ぶのも悪くなかった。彼女たちが楽しそうなのを見ていると、ますますそう思えて自然と微笑みながら見ていられた。
「まあ!笑顔が太陽みたいね」
「そうね、とっても明るいわ!」
「素敵な笑顔!」
彼女たちは私の笑顔を見てさらに楽しそうにしてくれるので、ずっと笑っていれた。公爵家にいたときよりも、気持ちはずっと軽くなっていた。メイドさんたちの獣の尻尾がフリフリと魅惑的に揺れ動く中、あっという間に着替えの時間も終わり、最終的に軽めのものになった。
「長いルビー色の髪に似合う赤のワンピース」
「動きやすいパンプス」
「黄色の琥珀のネックレス」
獣人たちの主流の服は動きやすいものだ。最後に、彼女たちは私の髪を横に結わえてくれる。
「「「できたのよー!」」」
また引っ張られるように連れられて、先程の応接間とは別の部屋に入った。そこには、長い机と椅子が並んでいた。村長の屋敷だというのに、食堂がここまで豪華だとは思いもしなかったことだった。
「驚きましたなぁ。ここまでおきれいだとは」
村長の言葉で、こちらに振り返ったアルクトス。彼もまたお風呂に入ったからか、髪の艶がよく、いい香りがこっちまできて、鼻をくすぐった。アルクトスは私を見るなり椅子から立ち上がって、まるで木のように固まってしまった。
「あの、似合ってるか分からないですけど。獣人さんの服はあまりきたことがなくて」
似合うか不安だから、あえて村長に投げかけると、村長は柔和な笑みを浮かべた。
「似合っておるぞ」
「ああ……綺麗だ」
我に返ったアルクトスが私の方へ来ようとしたので、私は一人でそそくさに椅子に座った。アルクトスにはまだ距離を置こうと思っていたからだ。彼のような優しい人と、身分も失い婚約破棄された私はやはり、番となり、結ばれるような人ではないのだ。エスコートなど、今はしてほしい気分になれなかった。
「ほほほ。アルクトス様も大変じゃな」
村長は気持ちを何でも見透かす年長者の余裕を見せた。
夕食はかなり美味しくて、田舎と言っても獣人の国の田舎は人間の国でいう都会レベルなんじゃないかと感じた。
「明日はアルクトス様のご友人が来ることになったからの。お嬢さんを見て、腰を抜かすんじゃないかね」
「村長…エンリルは俺の番だ……」
村長の褒め言葉にまたも、彼は突っかかりにいった。
彼の番。最強と謳われる素敵な彼の番。その言葉は、私の身にはあまりに大きいものではないだろうか。裏切られ地に落ちた身分である私は、サリーを犠牲にして屋敷を出て、アルクトスに重症を負わせてここまで来た。
目の前のケーキを切る手が止まった。気づかぬうちに他人を犠牲にして、自分だけが幸せになるなど、何と自分は醜いのだ。ケーキなど食べている場合じゃないのではと考えさせられた。
私のことを幼少のときからずっと見守ってくれたサリーが、無事に公爵の屋敷から出られているのか連絡も取れないのだ。お父様に私が生きていることが知られると危ないから。彼女は旦那さんの店の仕事を手伝うことを決めたと言っていたが、無事かどうかなど不明なのに、私はここでぬくぬくと過ごしてしまっていた。
他人犠牲にも気づかず、幸せを感じてしまった私は、彼の隣にいて、幸せになってはいけないのではないか。
そう考えると、ますますケーキは切り落されたたまま、手をつけられなかった。
先に食べ終えていた村長が、私の様子を見て早々に食器を下げるようにしてくれた。
「さて、夕食も済んだことじゃ。お嬢さんや、穏やかな夜を過ごしておくれ」




