破天荒な奴ほど、何気ない日々を大切にする
「じゃあお先に失礼します」
「お疲れ様」
ソファに腰掛ける俺に小さく会釈して、事務員の松田さんは煙のように消えて行く。
さっきまで松田さんが立っていた場所には何も残っていない。うーん、あいかわらずよく分からない召喚システムだ。
カードの向こうの世界はどうなっているのだろう。一度、気になって松田さんに聞いてみたことがある。松田さん曰く、カードにすみ着いているわけではなく、こことはまた別の世界に繋がっていて、そこで松田さんは旦那さんと子供と暮らしているようで、時間になって呼び出されると、こっちの世界に現れるようになっている。
試しに一度、テキトーな時間に呼び出してみるのもおもしろいかもしれない。お風呂中だったら裸でこっちの世界に来てしまうのだろうか……マズイマズイ。一瞬、松田さんの裸を想像して反省する。社長が事務員の人妻と不倫なんて、会社崩壊のよくある話しだ。それに裸で呼び出してしまった日には裁判ものだな。訴えられたら絶対に負ける。うん、危険な橋を渡るのはやめておこう。
窓際に作った手作りの日時計を見ると、時刻はちょうどお昼になろうとしていた。今日も残業なし、素晴らしいホワイト企業ぶりである。
会社の就業時間は一応、17:30までだけど、松田さん本人の希望で午前中だけ勤務となっている。子供がまだ小さいのでフルタイムは厳しいらしい。女性社員に育児問題があるのは、元の世界と一緒のようだ。まぁうちとしてもフルで働かれて銅貨10枚払うだけの余裕はなかったので、ちょうど半分の勤務、給料も銅貨5枚で済むならそっちの方が助かった。とはいえ、未だに収入がないのはやばい問題だ。
会社が動き出すと、欲しいものだっていろいろ増えてきた。
せっかく事務員を雇ったのに、松田さんには私服のまま働いてもらっている。やっぱり一流企業なら制服くらい作りたいけど……そんな金はないし、そもそも制服を誰に頼もう。この村で服を作れる人っていないよな絶対。村人の99%が農民だ。できても小学生の裁縫レベルだろう……そういえば村の人はどうやって生活必需品を手に入れているのだろうか。時給自足にだって限界はある。俺が今着ている服だって、この村で作られた物ではないはずだ。となると、外から物が流れてくるルートがあるはず。いったいどこから……そんな風に考えていると、事務所の扉が豪快に開いた。
「ただいまーっス」
学校帰りの小学生のように元気に入ってきたのは、もちろん能天気な男、佐久間である。
「あれ松田さんはどこ行ったっスか?」
帰ってくるなり松田さんの指定席となっているテーブル横の席を見ながら言う。
「もう帰ったよ。午前だけだからな」
「あーそうだったっス。もうそんな時間っスか。畑の手伝いでクタクタっスから、松田さんの淹れる美味しいお茶が飲みたかったっス」
そう言った佐久間は残念そうに井戸水を溜めた桶で顔を洗う。よく見ると服やズボンのすそも泥で汚れていた。しょうがない、しっかり肉体労働してきた平社員にご褒美を与えてやるか。
「チッチッチ。甘いな佐久間君」
「甘いって何がっスか?」
顔からポタポタと水を垂らしながら、佐久間は顔を上げる。
「午後からも松田さんのお茶が飲めるように、ちゃんとヤカンに作り置きしてもらっているんだな」
「えー……。さすが先輩」
「ははは、もっと褒めていいぞ」
「一生ついて行くっス」
半分以上自分の為に作り置きしてもらっているけど、これだけ褒めてくれるなら少しくらいわけてやっていいだろう。
「プハー、やっぱり肉体労働の後は松田さんのお茶っスね」
「あぁ、確かに何度飲んでも美味しいな」
何回か飲んだことで耐性が付いたのか、さすがに幻覚の世界に飛ばされてカバやクマとスキップして踊ることはなくなったけど、お茶の効果は未だに絶大だ。美味しいのは当たり前、追加効果で疲労回復、やる気倍増、眠気防止、視力向上などなど、気のせいかもしれないけど某エナジードリンク並みのパワーだ。
「そういえば村の人にいい話を聞いたっス」
「なんだ?」
「明日、行商人が村にやってくる時期みたいっス」
「行商人?」
そうか、行商人が来てたのか……ナイスタイミングでいい話が転がり込んできた。行商人が来て、外の物を持ってくると……持ってくるだけじゃなくて、きっとこの村の特産品を買っていくはずだ。
「プンプン金の匂い……ビジネスの匂いがするぜ」
行商人を上手く活用すれば、借金地獄からも脱出できるかもしれない。
「よし、佐久間。明日広場に行ってみるぞ」
「了解っス」
次の日、事務所のお留守番を事務員の松田さんに任せ、俺と佐久間は予定通り、行商人が来る村の広場に向かっていた。
村の中心にある広場に来てみると、すでにたくさんの村人が集まっていた。村人達の足元には木箱が置かれ、その中には村で取れた野菜や山菜、魚、動物の皮、木の実や手芸品など思い思いの品が詰め込まれていた。きっと行商人相手に売るのか……もしくは行商人の持ってきた商品と交換でもするのだろう。
「あ、先輩。村長のアルフレッドさんもいるっス」
佐久間が指さす先、村人の輪の中で談笑するアルフレッドさんの姿があった。その横には別の村人と話すアニーさんの姿も。
「まぁ村長だから来てるのは当たり前だろう。ちょっと挨拶しとくか」
借金中なので、借主とはできるだけ仲良くしておかなければマズイ。
「アルフレッドさん」
横から談笑中の村長さんに話しかける。
「ハヤシさんにサクマさん来られてたんですね」
「えぇ、行商人が来るって聞いて、どんな物があるのか興味があって。アルフレッドさんも?」
「それもありますが、私は古い友人に会うためにいつも来るんです」
「古い友人……?」
「あぁそうでした。お二人はご存じないですもんね。実は定期的に来る行商人のリーダーは私の王都時代の友人なんです。なので、その縁もあってこうして定期的に田舎の村に来てもらってるんです」
「じゃあ行商人が来るようになったのは?」
「えぇ私が村長になってからです。それまでも極たまに来てたんですが、私がお願いして定期的に来てもらうようにしたんです」
さすが元国家公務員のアルフレッドさんだ、昔の人脈を上手く活用している。
「ほら、噂をすればやってきましたよ」
広場から続く街道への道、奥の方に小さな影が三つ見え始める。しだいに大きくなり、その影が3台の馬車であることが分かった。
広場に入ってきた馬車は、綺麗に横並びで止まっていく。白い布が被せられた荷台に商品が載せてあるようだ。3台の内の1台から体格のいい貫禄のある男性が降りてこちらに向かってきた。
「久しぶりだなアルフレッド、元気だったか?」
男性はそう言って手を差し出すと、アルフレッドさんも同じように手を出し、お互いに握手する。どうやらこの人が行商人のリーダーで、王都時代の旧友なのだろう。
「おや、見かけない顔だな」
アルフレッドさんの横に立っている俺達を見て男性は言う。
「最近この村に住んでくれているハヤシさんとサクマさんだ。こちらは先程お話した私の友人のゼファーです。少し言葉づかいが乱暴ですが、気のいい奴ですよ」
「乱暴とは酷くないかアルフレッド」
「嘘ではないと思うが」
「まぁいい。行商人のゼファーだ、よろしくな」
差し出された手を、俺も握って握手する。
「ゼファーさんはいつも行商人として、こうして町や村を回ってるんですか?」
村の人たちも殺到するように馬車の荷台の商品を物色していた。
「いや、いつもはクリプトンの街で店をやってるんだが。コイツに頼まれてな、こうしてたまーに行商人としてセレンの村にくるんだ。でもここだけじゃ儲からないから、ついでに近くの町や村にも寄ってるけどな」
思った通り、本体の店があって行商人として移動販売を行っているようだ。
「あの……クリプトンの街って?」
「あぁ? なんだクリプトンも知らないのか? どんな田舎から出て来たんだよ」
確かにアルフレッドさんの言う通り、言葉づかいが少しどころか、かなり乱暴だ。俺でさえちょっとイラっとした。
「すいません。前に説明してませんでしたね。クリプトンはこの村があるマクマリー領の領都の名前です。領都なので領主のマクマリー男爵も住む、領内では一番の街です」
「……そうだったんですね。ありがとうございます」
咄嗟にアルフレッドさんがフォローするように説明してくれる。つまりクリプトンの街は、元の世界でいう地方の県庁所在地みたいなものか。だったらそこまで威張る程だろうか。こっちは元の世界で首都に住んでたんだぞ、すごいだろこの田舎者めっと言いたいけど……今は我慢我慢。行商人であるゼファーさんは、まだまだ活用できそうなのでやめておこう。
「そうだゼファー、今年は新鮮な野菜がたくさん収穫できたから、たくさん買っていってほしいな」
「お、それは凄いな。セレンの野菜は人気だから買わせてもらうよ」
「あの、ゼファーさんは買取もやってるんですか?」
今の二人の話を聞いていると、間違いはなさそうだ。
「売りにくるだけじゃもったいないからな」
「じゃあ、俺や佐久間が売る物も買ってもらえますか?」
「いいぜ。ただし珍しい物だったらな」
珍しい物か……手元にある物だとライターかスーツ一式くらいだろうけど。元の世界の物は売りたくないしなー。なんかいい物あるかなー。
「例えばどんな物が人気あるんですか?」
「そうだなー、セレンの村だと新鮮な野菜もそうだけど、昔は動物の毛皮も買ってたな」
「昔? 今は?」
「買いたいけど買えないんだよ。前はこの村にも猟師がいたけど、今はいなくなってな……おかげで野生の動物を狩る奴がいないんだ。そうだったよなアルフレッド」
「えぇ野生動物も増えすぎると畑を荒らされて困るんですが、どうにも凶暴で。年寄りの多い村では困っています。だれかいい人がいればいいのですが……」
「だから動物の毛があったら高く買うぜ。けど……」
そう言って俺と佐久間の体を、下から上にマジマジと見ていく。
「お前たちの細腕じゃ、狩りは無理だろ。まぁ農作業でも頑張ってくれ」
そう言うと、忙しそうに商品を売る仲間の元へ駆け寄っていった。
「すいません。悪い奴ではないんです」
俺達の気持ちを察したのか、フォローするようにアルフレッドさんは言う。
「大丈夫です。分かっていますから」
話してみれば悪い人でないことは分かっている……けど確かにイラっとはする。ある意味凄い人だ。でもゼファーさんのおかげで需要のある商品は分かった。あとはどうやって手に入れるかだ。
「よし佐久間、事務所に戻るぞ」
「え? 何か買いに来たんじゃないっスか?」
「バカ、金はない。とにかく帰って作戦会議だ」
「ちょっと、ちょまってっス」
どんくさい佐久間を置いて、さっさと事務所を目指す。欲しい情報は全て手に入ったのだから。