誰かが常に守ってくれていることを実感するべし
「社長、社長
耳をつくような声。優しい声なのに、頭を叩かれるように響いてくる。
「う……うぅ」
ぼやけた視界に、人のような輪郭が浮かび上がる。
この顔は……マルスか?
「うぅ? なんびゃ、びゃるすか」
「口が回ってないですよ社長。起きてください。こんなところで寝てたら風邪ひきますよ」
立たせようと肩に手をかけてくれているのが分かるけど、頭も胃も重たくて、足にも力が入らない。マジで二日酔いかも。
「ほれ? ひつのまにしゅっひんしたんだ?」
「え? ……あぁ……あの、気が付いたら呼ばれてました」
「は、ひょうか……。おっととと」
足がもつれてそのままソファに顔からダイブしてしまう。
「飲みすぎです。もう、風邪ひかないで下さいね」
柔らかくて暖かい物が体を包みこんでくれる。おそらくマルスが毛布をかけてくれたのだろう。安心する暖かさに俺の思考はだんだん薄らいでいく。
「じゃあ僕、傭兵団の仕事に行ってきますね」
「あぁ……ひってらっしゃい」
なんとか片手で手を振りマルスの背中を見送る。事務所の玄関の鍵を閉めるガチャッという音を合図に、俺は再び夢の世界に旅立っていた。
「……ゎ―――ぅ」
遠くから何か聞こえてくる。なんだか騒がしいな。くそ、こっちは眠たいってのに煩くてしょうがない。
「ゎ――ぅ……」
目を瞑ったまま我慢していても騒音が止む気配はなさそうだ。それになんだか寒くもなってきた。誰だよ、窓を開けっぱなしにしたやつ。マルスだな。戸締りは厳重にしろって言ってるのに。
吹き込んでくる風と騒音に耐え切れず、とりあえず重たい体を起こすことに……開ききっていない目で、ぼやけた視界のまま、風が吹き込む方へと向かう。
確か、ここに窓があったような……あれ……あれ? 何度閉めようとしても、右手は寂しく空を切るだけ……。窓の取っ手はどこだ? おかしいな、ここに窓があったはずなのに……まだ寝ぼけてるのか? ……そんなわけはないよな……。
少しだけ嫌な予感がしてくる。
両手で思い切り自分の頬っぺたを叩いて、無理やりにでも脳に刺激を与える。
はっきりしてきた視界に映るのは、爆発でもしたかのように窓ごと破壊されている壁だったもの。その先にはところどころ煙が上がっている街の様子が垣間見える。鼻につく焦げ臭いにおい、それに耳をすますと遠くで悲鳴のような声も、聞こえていた声は嫌がらせの騒音じゃなくて……叫び声だったんだ。
「なんだ、こんなところにまだ人間がいたのか?」
ふいに背後から野太い声が聞こえてくる。
「誰だ?」
振り返るとそこには……宙を漂う奇怪な生き物がいた。確かなことは、今まで生きてきた中で一度も出会ったことがないこと。赤黒い体にコウモリのような羽、口元は盛り上がり、ワニのような鋭い牙が剥き出ている。体中には無数の小さな棘が伸び、血のように真赤な目をしていた。まるでゲームや漫画に出てくる化け物のような姿をした何かがいた。
「人間の街も脆いものだ。試作のワームホールも問題なく起動する。俺達の手にかかればこんなものか。わざわざダミーの穴を使って隠れる必要もなかったな」
こちらを見る事なく、何かを考えているように、空に向かって話している。
それなら今のうちに……。
「逃げられると思うな。人間ごときが。ちょうどいい、少し腹が減っていたところだ。メインディッシュ前の腹ごしらえに、喰うか」
真赤な目が合った瞬間、腰が抜けて……手が震える。
今まで感じたことがない感情が支配する。一度死んでるはずなのに、死ぬのが怖くなる。不慮の事故とは違う何かが……。
「震える顔もそそるな。では、いただきまーす」
そう言って口を開く。大きく開いた口が俺の視界を覆いつくし、鋭い牙からは唾液が垂れ落ちていく。何もできない俺はただ、目を閉じることしかできなかった……。
「…………」
……いつまでたっても痛みがない。なんでだ? それとも俺はもう死んでいる? でも体の感覚がまだある。目を開けると、吹き飛ばされたように倒れる化け物の姿があった。そして目の前には俺を守るようにして浮いている1枚のカード、カードからほとばしる輝きがまるで円形のバリアのように守ってくれている。
「な、何をした? ま、まさか貴様 神の恩恵を受けしものか」
体にまとまりついている瓦礫を払いのけながら、化け物は立ち上がる。
神の恩恵? なんだよそれ、神ってアイツだよな。アイツがくれたものってガチャガチャだけ。これが神の恩恵ってことか? 全く分からん。二日酔いと恐怖と痛みでもう頭の中はメチャクチャだ
もう何がなんだか全く分からないけど……目の前にあるのは俺を守っている見覚えのないカード。ボケボケな今の頭でもこれだけは分かる。俺が助かる道は一つだけだってことくらいは。
「ち、迷ってる暇はなさそうだな」
覚悟を決めて暖かな光を放ちながら浮くカードを掴む。
「お疲れ様です。聖痕のパラディン ミトス」
召喚の合言葉を唱えた瞬間、より一層強い光が事務所だった瓦礫の山を包み込む。
光がおさまった時、目の前に召喚されたのは白馬に乗った騎士だった。全身白銀の甲冑に身を包み、蒼いマントをひるがえす姿は壮観で見惚れてしまうほど、装飾の施された兜には十字の紋章が刻み込まれていた。
「我を呼んだのは貴殿か?」
馬上のまま騎士はこちらを向く。声からして女性だということだけはなんとなく分かった。
よく見ると白馬の頭に鋭くとがった角が生えている。普通の馬ではない、あれってなんだったけ……たしか物語に出てくるような有名な奴だったような。駄目だ、次から次へといろんな事がありすぎて頭の処理が追いついていかない。
「そ、そうだけど」
「なるほど。では貴方が我が主ということですね」
「主っていうか……社長だけどな」
「しゃ ちょう?」
聞きなれない言葉なのか、ビックリするほど下手なイントネーションである。
「しゃ・ちょ・う。いいか? 社長な」
「ふふ、なるほど。社長ですか。いい響きです」
何がいいのかわからないけど、気に入ってくれたようだ。
「では今日より我はこの聖槍に誓い、いついかなる時も社長の元で命を懸けて戦いましょう」
「あ、……あぁそう。ありがと」
正面に真っ直ぐ槍を立てる仕草はすごい絵にはなってるけど……セリフがお、重いです。
典型的な社畜発想だな。それともメンヘラ属性持ちだろうか。こういう奴に限って後になってもめ事を起こしたりするんだよな。付き合ったら絶対面倒なタイプだこの人。
「何をコソコソ話している。誰が助けにこようと俺もデスガイヤ3魔将がひとり、黒のガバーディン様に仕える上級魔族としての誇りがある。ガバーディン様のためにも。失敗は許されない。失敗は死だ。こんなところで遊んでいるわけにいかないのだ。ウワォォォ」
狼の遠吠えのように叫ぶと、魔族の大きな口先に黒い光が球体を作るように集まっていく。何かする気みたいだけど……やれやれ、どこの世界も上司のためや組織のためって、社畜根性まる出しの奴が多くて嫌になるぜ。
まるで元の世界の自分を見ているかのようで腹正しくもある。
「ミトス。奴を倒してやれ。そして上司の命令から解放してやってくれ」
「承知致しました。社長の命に従いましょう」
そう言うと俺と魔族の間に割って入る。構えた槍先は魔族の体を射貫くように向けられている。
一瞬の沈黙の後、先に動いたのは魔族の方だった。
「しねぇぇぇ」
勢いよく禍々しさを纏った黒い球体を吹き出すと、放たれた球体は一直線にこちらに向かってくる。
本当ならすぐにでも逃げ出したいけど、足がすくんで逃げることのできない俺は、目の前の背中を信じるしかない。頼むぞミトス。
「……我が槍は敵を貫くまで止まることなし。貫け聖槍デュランダル」
ミトスの繰り出した槍は向かってくる球体を串刺しにし、消滅させる。さらに放たれた光は、その先にいる魔族の体を包み込んでいく。
「ぐわぁぁぁ。なぜだ、なぜ俺の計画が……。こんな人間どもに……ぐわぁぁぁ。申し訳……ありません。ガバーディンさ……ま」
振り絞るように発せられた声を最後に、目の前の魔族はチリのように姿を消しいく。
魔族を飲み込んだ暖かな光は、そのまま街全体を包みこんでいった。




