乾杯という言葉には人を酔わせる魔力があるもの
「「かんぱーい」」
何度目になるかもわからない掛け声とともに、液体の入ったコップが打ち鳴らされる。陶器のような細長いコップはそのまま各々の口元に向かい、液体は勢いよく口の中へと吸い込まれていく。前の世界の居酒屋でよく見た光景だ。
「プハァ、やっぱり酒はうめぇな。もう一杯だ」
早々とコップの中を空にした甚さんは席を立つと、おかわりを求めてカウンターへ向かう。短時間の間にこの後姿を見るのも何度目だろうか。そうだとは思っていたけど、かなり酒豪のようだ。
ジールさんの家からの帰り道、どこに連れて行かれるのかと思いきや、酒が飲みたかっただけ。まぁ確かに前の世界でも大きな仕事の後には打ち上げが定番だったけど、まさかこっちの世界に来て、同じ事をするとは思わなかった。そのくせ、酒場の場所は知らないようだったので、前には行ったことがある俺が案内する形で、数日前に見つけた酒場にやってきていた
「あんまり無理するなよ。マルス」
甚さんに付き合わされるままハイペースで酒を飲んでいるマルスの目は、すでに瞼が重そうである。二人で飲むのもなんなので、仕事終わりのマルスにも声をかけていた。定時は過ぎているが、もちろんサービス残業ではなく、しっかり残業代を払って参加してもらっている。この点、我が社は他の会社と違って、公式な飲み会には飲食代と残業代を支払ってあげるくらい太っ腹なのだ。Z世代も歓喜するような労働環境である。まぁ今だけ懐事情がいいからってこともあるけどな。
「まだまだ飲み足りてないぞマルス。若いくせに」
溢れんばかりのエールが詰まったコップを片手に、アルハラ100%な甚さんが戻ってくる。さすがは昭和世代、営業マンとして飲み会慣れしているはずの俺もちょっと引くくらいだ。
「甚さん、あんまり飲ますなよ」
社長として一応釘は刺しておこう。後で会社を訴えられても困るし、もちろんマルスの体も心配だからな。おっと、俺のコップも空になってしまったようだ。おかわりおかわり。マルスには悪いけど、昭和世代に絡まれる可哀そうなZ世代を残して席を立つ。
「同じものをおかわりで」
空になったコップをカウンターの上に置く。
「かしこまりました。ずいぶん飲んでおられるようですね」
コップを受け取ったカウンター内の男性は、そう言って新しいコップを棚から取り出す。前に訪れた時と同じ、全身黒づくめの服で、あいかわらず切りそろえられた髭がダンディな店主である。
「へへ、まだまだですよ」
「おや? 何かよいことがあったんですか?」
口調から何かを察したように店主は言う。
「あれ? 分かります? ちょっと仕事が上手くいって」
「なるほど、それで皆さんで飲みに来てくださったわけですね」
納得したように、店主の視線が俺から後ろのテーブルで飲む二人に向けられる。
「そんなとこです」
「でしたらエールではなく前におススメしたお酒はいかがですか?」
「前?……あーそういえばそんなこと言ってたような……なんだっけ。まぁ今日は気分がいいし。じゃあそれで」
「かしこまりました。こちらをどうぞ」
まるで注文するのが分かっていたかのように、瞬時に目の前に出される。
「スコッチャです」
目の前の小さなコップの中に、濃い黄色の液体が入っている。泡が吹き出ているわけでもなく、炭酸ってことではないのだろう。と、とにかく飲んでみるか。グイっと一気に流し込むと、喉を突き抜ける異様な感触と匂い、さらには食道から胃まで流れていく感覚がしっかり伝わってくる。
「う…………すごいな」
コップ一杯だけでクラっとくる。俺の第六感が間違いなくヤバい酒だって警報を鳴らしだしそうだ。
「若社長、何飲んでんだ?」
タイミングがいいのか悪いのか……興味津々といった様子の甚さんがやってくる。甚さんごしに見えるマルスは、机に顔を伏せて、一ミリも動く様子がない。
人生の先輩にお酒を強要された挙句に、寝てしまったのだろう。
「あ……えーっとな、うん、ゴホゴホ」
思わずせき込んでしまう。まだ喉に少し違和感が残ってるようだ。
「大丈夫か若社長?」
「だ、大丈夫だ。ちょっとな……」
「なんだよちょっとって。うん? その酒か?」
先程までスコッチャの入っていたコップを持ち上げると、口に持っていく。どうやら底のほうに少しだけ残っていたようだ。
「お……おぉ……う、上手いなこれ」
そう言って甚さんの血走った目が見開く。
「ありがとうございます。お気に召されたようで」
「おう。上手い上手い。これをくれ」
「かしこまりました。ハヤシ様もいかがですか? もう一杯」
「え?」
さすがにあの酒をもう一杯は自殺レベルにヤバ……。
「かまわないから、じゃんじゃんもってこい」
断る前に甚さんは言う。
「いやいやいや。待て待て待て」
止める間もなくカウンターの上にはスコッチャの入ったコップが次から次へと並べられていく。マジか、ちょっと店主も悪ノリしてないか絶対に。
「ほらほら。若社長も早く飲めよ」
わんこそばのように飲み干していく狂人の横で、なんとか3杯目を完飲した俺の意識は、徐々に遠くなっていく気がした。
「はれ……いつの間に帰って……?」
ここは見慣れた事務所のソファの上、なぜ俺はここで横になっているんだ。
懐にはしっかり金貨が10枚と銀貨がたくさん入った袋、よかった落としてはいないようだ。
おそらく飲み代に使ったとはいえ、まだまだ潤沢な資金が今の我が社にはある。へへへ、こんなにたくさんの金があって何をするか? 安全運転な社長なら貯金するってことも考えるだろうけど……。ハハハハ、そんな消極的な考えは面白くないし、やっぱ何かこれからのために先行投資するのが、できる経営者として大切なはずだ。よし、そうしよう。ハハハハハ、これがあれば何でも買えるな。ガチャだって回したい放題だ、ハハ。うん? ガチャ? それいいじゃん。ケチケチせずに金貨ガチャ回しちゃえばいいじゃん
「へへへ……やっちゃうか? いいよね。俺社長だし。ヘヘ、ガチャオープン」
気づけば目の前にガチャガチャが浮いている。なんとなく左右に揺れて見える。あれ? 揺れているのは俺か、ヘヘ。
「小袋の中から金貨を取り出してー」
小袋の封を閉めている紐をほどくと、逆さにする。すると一気にテーブルの上に金貨や銀貨が散らばっていった。
「おぉ危ない危ない。へへへ。金貨を1枚、2枚、3枚……10枚っと」
かき集めた金貨をガチャの投入口に入れ、勢いよくレバーを回すと、排出口に落ちてくるカプセル。何やらガチャガチャが光っていたけど無視だ。
「おい、まぶしいぞ馬鹿野郎」
目を開けていられないほど、カプセルも光を放っている。
「へへ。へへへへ。眩しい眩しい……どれどれ」
目を瞑ったまま手探りでカプセルを拾い上げると、そのままスライドして中のカードを取り出した。
「カードが1枚と……うーん。せ、世界が回り始めてる?」
足場が崩れていくような感覚と、目の前の天井が急に嘘のように近づいてくる。
周りの壁はスライムのようにグニャグニャに溶け始めて、辛うじて開いていた目は、重たくなった瞼に押しつぶされるように閉じていく。この感覚、あぁ覚えている。前の世界でも酒を飲むといつの間にかこうなっていたような……。
いつのまにか俺の思考は終わりを迎えていた。




