二日酔いに効く薬はない……らしい
「うー……」
「大丈夫ですか? 社長」
心配そうな顔でこちらを見ているだろうマルスの声。このセリフを聞くのは、今日だけで3回目だ。
「な……なんとか」
振り絞った口から出せるのは、この4文字が限界である。
「いったいどうしたんですか?」
マルスの口からこのセリフを聞くのは4回目。
事務所のソファにうつ伏せで倒れたままの俺を、きっとマルスはテーブル越しに見ているのだろう。振り向く力もないので、マルスの姿を確認できてはいないけど、声だけで推測するとだ。どうしてこうなったのだろうか。マルスの問いかけではないけど、自分でもはっきり分かっているのは、きっとお酒のせいなのだということ。
バーで飲んだ後、ほろ酔いで事務所に戻った俺は、着の身着のままソファで寝てしまっていた。と、ここまでは普通の酔っ払いレベルでいいんだけど……朝方目を覚ました俺を襲ってきたのは、全身を包む気だるさと、頭の横で鐘を鳴らされているかのような頭痛だった。
うん。どうやら、この世界のお酒は、次の日にくるのかもしれない。
そんなに飲んだつもりはなかったんだけど……しばらくお酒を飲んでないうちに弱くなってしまったのだろうか。くそー……上司からの断れない飲み会でもないのに飲みすぎてしまうなんて。
気が付けば、ソファにうつ伏せのまま、時が過ぎるのをただじっと待っているだけの存在になっていた。
「あの……ちょっと待って下さい」
そう言うとマルスの気配が遠くなっていく。足音でなんとなく奧のキッチンへと駆けて行ったのだと想像できる。
そのまま待たされること10分、いや20分くらいだろうか。マルスの足音が戻ってくる。
「お待たせしました。よかったらこれ二日酔いに効くスープです」
そう言ってテーブルの上に食器を置いていく音がする。スープといっただろうか、確かに優しく暖かな匂いが俺の鼻孔を刺激してくる。匂いだけで体が少し軽くなったような錯覚さえしてくる。
「食べられそうですか?」
「う、うん。いけるかも」
重たい体を起こすと、ソファに座り直す。この時やっとマルスとマルスの作ってくれたスープを見ることができた。細かく刻まれた野菜が沈む、透き通ったスープ。見た目からも体によさそうな雰囲気が伝わってくるではないか。
「……さっそくいただきます」
スプーンですくって一口。口の中に広がっていくスープと共に優しい野菜の甘さが喉を通って重たい胃を優しく撫でていく。うん、上手い。
目の前にはエプロン姿のままニコニコとこちらの様子を見ているマルス。最近のコイツ……剣の腕以上に料理の腕が上がってないか? おかしいな、傭兵団に入ったはずなのに。まるで料理教室で花嫁修業をしているかのようだ。うん、コイツ絶対にいいお嫁さんになるな。コッチの世界どころか元の世界でもやっていける立派な料理男子じゃないか。
特性スープのおかげで頭の中に広がっていた白い靄が徐々に晴れていくと、ふと、バーで耳にした噂を思い出した。
「そういえばモア山脈の麓にでっかい穴が見つかったんだって?」
「え? 社長、どこでその話を?」
「どこって……近所の飲み屋かな」
バーの男性から、面白い話があると言われて聞いたことはハッキリ覚えている。
「もう街の中で噂になってるなんて……」
そう言うマルスの表情から、あまりいい話ではないことが予想できる。
「一応、傭兵団の中でもかなり機密情報なんですけど……ね」
どこの世界も人の口には戸が立てられないようだ。だいたい機密情報に限って漏洩するのものである。
「ここだけの話ですけど、かなり深刻なケースになりそうです」
「深刻? ヤバいって事か?」
「はい。まだおそらくですけど、興味本位で中に入っていったギルドの荒くれ者たちが、2日たっても戻って来ないそうなんです。素行が悪い連中ではあったんですが……クリプトンの冒険者ギルドの中で3本の指に入る実力者チームでもありました」
「そのチームが戻ってこないくらいのヤバさか……」
それってかなりヤバいような……さすがに迷子になったってわけではないはずだし。
「たしか、傭兵団も調査に乗り出すって聞いたけど」
「はい。今度、副団長をリーダーに、選抜されたメンバーで調査に行くことになっています。もちろん、僕も選ばれています」
当たり前のように言うマルス。いやいやそこは辞退しようよマルス君。正義感が強いのは分かるけど、非常勤みたいな君が、わざわざ危険な任務に就かなくていいのに。
「マルス、あんまり無茶するなよ」
「ありがとうございます。気をつけます」
ホントに分かってるのかなコイツ。マルスの体が心配ってこともあるけど……我が社の心配でもある。アズサの時のように大怪我でもされてしまったら一気に我が社は稼ぎ手を失って破産である。うーん、それはマズイ。かといってマルスの代わりに俺がまた怪我するってのも嫌だし。どうしたものか……。
「いざとなったらホルスを盾にしてもいいからな」
傭兵団には悪いけど我が社の社員以外なら怪我しようがどうなろうがしったこっちゃない。つめたいようだけど……経営者として自社を一番に考えるためにも非情にならないといけない時もあるのだ。うん。そうそう。
「それはさすがに。あ、そろそろ時間なので行ってきますね」
思い出したように急いでエプロンを脱ぐと、マルスは傭兵団の仕事へと向かって行った。頼むから無事でありますように。俺にできるのは仕事に向かうマルスの背中に祈るだけである。
さて、マルスも仕事に行ったし、俺はもうひと眠りさせてもらうか。
スープのおかげで少しは二日酔いが和らいだ気はするけど。こんな調子では、もう仕事になりそうもない。
どうせ来客もないだろうし、静かにゆっくり休ませてもらおうではないか。こんな時間から二度寝ができるなんて、これも社長の特権かな。ありがとう社長、いい待遇です。
頭の中で冗談を言いながら、ゆっくりと目を閉じた。
ただ数分後、俺は嫌でも思い出させられるのであった。こういう時に限って嵐はやってくるものなのだと。
目を閉じて、少しづつ意識が失われていく中、なにやら遠くから聞こえてくる声。
現実なのか、夢なのか。徐々に近づいてきているのが分かる。
この時点で、あまり働きたくない俺の頭でもすでに一つの予感がしていた。これは現実で、あの声はアイツの声ではないのかと。
通りすぎろ通り過ぎろ。頭の中で何度も願い続ける。
「おう。今帰ったぞ。甚さんのお帰りだ」
声と同時に事務所の扉が豪快に開く音が聞こえてくる。
残念ながら願いは叶わず。悪い予感は的中してしまうものなのだ。
「なんだ若社長。まだ寝てるのか?」
近づいてくる声に、せっかく治りかけていた頭の痛みが、再び息を吹き返したように襲い掛かってくる。
「起きてるよ。ちょっと調子が悪くてな。それよりおか……」
「じゃあ、俺はしばらく休ませてもらうから」
「え?」
ひとの出迎えの言葉を無視して、甚さんの口から飛び出したのは予想外の言葉だった。何を言っているんだこの人は?
「休む?」
「あったりまぇよ。こちとら3日も働きづめなんだ。そろそろ家に帰って、かあちゃんに家族サービスでもしてやらねぇとな」
働きづめって……自分で勝手に飛び出していっただけのような……まぁ言ったら面倒なことになりそうなので言わないけど。
「じゃあお疲れさん」
そう言い残すと、煙のようにカードへと姿を変えて戻っていった。
マジか……自分勝手というか……変形労働制にもほどがあるな。
まぁ就業規則もない我が社ならこうなってもしかたがないか。一回従業員全員の労働条件をしっかりと整備したほうがいいのかな。
「はぁー……」
駄目だ。俺も限界かも。この話はまた今度考えよう。
諦めて俺も素直に、欲求に従い眠りにつくことにした。




