生きていくすべはほとんど、子供の時に教わっているもの
異世界で初めて見る川は、川底が見えるほど透明で、社畜時代によく眺めていた都会の溝川と比べるまでもなく、美味しそうだった。
「プハー……生きかえるな」
「ハイっス」
佐久間の案内で川についた俺たちは、一目散に顔を突っ込み冷たい水で喉を潤していた。
「こんなに美味しい水があるんだな」
今までコンビニで買っていたペットボトルの水が不味く感じてしまう。
「先輩、川の中に魚がいるっスよ。デカいっスね。そうだ、魚を釣りましょう」
「釣るって竿はどうするんだよ。俺は嫌だぞ、川の中に入って手づかみは」
「それは大丈夫っス。ちょっと待っててください」
そう言うと再び森の中に入っていく。待つこと数分、竹のような長い棒を持って佐久間は戻ってきた。
「これっス。さっき見つけて竿に使えそうだと思って狙っていたっス。これを石で削って、後は木に巻き付いてた蔓を糸代わりにするっス」
みるみるうちに手作りの竹竿っぽいものを作り上げていく。
「エサはどうするんだ?」
「そんなの愚問っス。石の間とかにいる虫やカニを捕まえてエサにするっス」
そう言うと今度は河原の石を掴んで裏側を見ては、街中では見かけるはずもなさそうな無数に足が生えた生き物を素手で捕まえていく。
「お前って……意外と野性的だったんだな」
都会のコンクリートジャングルの中でしか顔を合わすことがなかったせいか、コイツのこんな一面を見る日がくるなんて思わなかった。
「自慢じゃないっスけど、小学生の時ずっとボーイスカウトに入ってたっス。部隊長まで務めたっスよ」
「あー……そう」
部隊長がどんだけすごいのか素人には全然分からない、いつも能天気なダメダメ佐久間が珍しく自慢するってことは、とにかく凄いのだろう。
「だから釣りもキャンプも得意っス。任せて下さい」
言い切る佐久間の背後に後光が差している。ちょっとカッコいいかも……もしかしてコイツの方が意外と転生した世界で上手い事生きていけるのかも……まさか後輩に負けるとは……ちょっとショックだ。
「よし、食料調達はお前にまかせる。俺には向いてないみたいだ」
「えー先輩と一緒に釣りやりたいっス」
「バカ。適材適所って言葉があるだろ。それだよ」
「じゃあ先輩は何をするんスか?」
「えーっとだな……」
そう言われてしまうと特に何も考えてなかった。何かあるだろうか……俺にできること。
「あー……あれだ……あれ、火をおこしてやるよ。お前が釣った魚を生で食いたくないだろ。それに夜に備えて火は必要だ」
「なるほど、さすが先輩っス。そこまで考えてたんですね」
佐久間の目は羨望の眼差しをおびていた。あーアホでよかった。すっかり誤魔化されてくれたようだ。
「じゃあ僕はたくさん魚を釣ってくるっス。楽しみに待っててください」
片手を上げて意気揚々と川の上流に向かって走っていく。ゴツゴツした岩場で滑って怪我しなければいいけど、まぁ部隊長経験者なら大丈夫か。しーらない。
「さて、邪魔者はいなくなったが……どうしようかな」
アイツが必死に魚を捕まえている間、のんびり昼寝でもしてようかと思ったけど、さすがに火だけでもおこしてないと怪しまれるな。とはいったもののキャンプなんてしたこともないし、火なんておこしたこともない。
とりあえず見様見真似で石を並べてかまどでもつくってみるか、TVの田舎番組でよくタレントが作っていた気がする。石ころを積み上げてU字型にしてっと……こんな感じだろ。素人にしては上手くないか、誰でもできるもんだな。うん、後は火をおこすだけ、方法としては石を打ち付けて火花か……木の枝をこする摩擦熱……どっちが楽なんだ? これもまったく分からん。両方やってみるか、まずは石だな。やってみて駄目なら変えてみよう。
その辺にある石を二つもって勢いよくこすり合わせてみる。すると思った通り小さな火花が散る。
「お、意外と俺って才能あるかも」
あとは燃えそうな枯草を集めて火花を上手い事落とすだけ、手順としては小学生でもできそうだ。さっさと点けて、佐久間が帰ってくるまでのんびんりしておこう。
と、思ってはいたものの……。
「あー……駄目だ駄目だ。全然点かない。手が痛いだけじゃないか」
現実はTVの中のように上手くはいかない。火花をいくら散らしても枯草が燃える気配はなかった。本当にこんなんで点くのか? だんだん手の握力も弱くなってくる。石を握る手が小刻みに震えているのがいい証拠だ。うん、辞め時だな。次の方法に変えてみよう。持っていた石を川の中に投げ込み、次は森の中で見つけた細長い木と平べったい木を用意する。ラッキーなことに、ちょうどいいサイズの木が落ちていた。元の世界のTVの中でも火おこしといえば、このパターンが王道だった気がする。最初からこっちにすればよかったのだ。平べったい木の上に枯草を置き、その真ん中で細長い木を竹トンボのように両手で回すと……しばらくすると白い煙が上がり始める。
「マジか? 俺って才能あるかも」
こんなに簡単に煙が上がっていいのだろうか、最初からこっちのやり方にしておけばよかったのだ。あとはひたすら木でこすり続けるだけだ。
と、思ってはいたものの……。
「全然点かないじゃないか。デジャブか……やってられるかこんなもん」
擦っても擦っても白い煙が出るだけで火が点く気配もない。やりすぎで手の皮が剥けてしまうくらい赤くなっている。あーヒリヒリする。それに少し寒くなってきたな……脱いでいた上着を羽織る。寒くなるのも当たり前か、気が付けばすっかり日も暮れ、辺りは暗くなり始めていた。どんだけ火をおこすのに時間かかっているのか……費用対効果悪すぎだ。
そういえば佐久間の奴が戻ってきてないな。なるほど、どうせアイツも魚が捕まらなくて、なかなか帰ってこれないな。
「センパーイ」
噂をすると、元部隊長こと佐久間の声が遠くから聞こえてくる。目を凝らしてみると川沿いを上流から戻ってくる人影が見えた。
「おぁもど……ってきたか……」
思わず口が回らなくなる。なぜって……佐久間がショルダーバックのように担ぐ木の蔓の先には、大量の魚が結びつけられていた。30匹以上はいるだろこれ。
「いやー釣れすぎたっス。持って帰ってくるの大変でした」
「あー……それはご苦労さん」
こんなに大量に釣ってこられると……何もできてない俺が非常に肩身が狭い。
「あれ? そういえば火は?」
チ、やっぱりそこに触れてくるか、アホの佐久間なら忘れてくれていてもよかったものを。
こうなっては必殺技である先輩の特権を発動するしかない。その名も理不尽だ。
「お前が戻ってくるのが遅いせいで消えてしまっただろ。どうしてくれるんだよ」
決まった……これこそ社会人になったら絶対に出会うだろう理不尽だ。
「でも、燃えカスもないですよ」
石で作ったかまどの中を覗き込みながら佐久間は言う。佐久間の言う通りかまどの中には枯草しか入っていない。チ、コイツにしては珍しく冷静なツッコミをしてくるではないか……。
「細かい事はいいんだよ。それより責任をとってお前が点けてくれ」
「分ったっス。すぐ点けますね」
そう言うと大量の魚を置いて、かまどの前にしゃがみ込む。さて、どうやって火を点けるのか、元部隊長の腕を見せてもらおうか。きっと今の俺は悪い顔をしているだろう。
佐久間は枯草をかまどの中央に集め、その上に細かい木の枝を載せていく。そして最後にズボンのポケットから見慣れたプラスチックの100円ライターを取り出し火を点ける。乾燥した枯草はすぐに燃え始め、火はみるみるうちに大きくなっていく。さすが元部隊長、見事な手際で火をおこしている。なるほど、これなら部隊長まで昇格できたわけだ。
「ってちょっと待て」
「なにっスか?」
「なにっスかじゃないだろ。お前、今何した?」
「なにって……先輩が点けろって言うから火を点けたんスよ。やっぱり火があると暖かいっスね」
そう言って燃え上がり続けるかまどの火に手をかざす。
「そうじゃなくて、どうやって火を点けたんだって聞いてるんだよ」
「ライターです。居酒屋さんで貰った」
佐久間の差し出すライターの側面には、確かに豚貴族というチェーン店の居酒屋の名前が刻まれている。無料でレジ横に置いてあるやつだ。
「お前ライター持ってたのか?」
「はい、ポケットに入ってたっス」
当たり前のことのように言う。それを先に言えよ。なんだったんだ……さっきまでの俺の努力は……はぁ……元々、根が真面目、社畜人間だから一生懸命頑張ってしまったじゃないか。こんなことならサボっとけばよかった。
「まぁまぁ先輩、なんで落ち込んでるか分からないっスけど、元気出して下さい」
「誰のせいだよ誰の……はぁもういい。さっさと魚を食べよう、腹減った」
「了解っス」
かまどを囲むように木の枝に貫かれた魚を並べると、焼き目のつく身から油が落ちる。
うーん匂いは最高だけど、味はどうなんだ? 本当は塩か醤油でもあれば最高なんだけど、異世界ではそんな贅沢もいえないか、この世界にも調味料が存在してればいいけど……海があれば塩は手に入るはず、やっぱり早く人里を見つけてマシな料理にありつきたい。食材だけの味なんてすぐに飽きてしまうにきまっている。
「先輩、何ぼーっとしてるんですか?」
「うん? ちょっと考え事だよ。これからの食事についてな」
「先輩っていつも何か考えてますね。疲れないっスか?」
「俺をディスってんのか? お前」
「違うっスよ。心配してるだけっス。あ、もう焼けましたよ」
「お、そうか。サンキュー」
話を誤魔化されたような気もするけど、綺麗に焼けた魚を受け取る。表面がこんがりきつね色に焼けた魚からは香ばしい香りがする。そういえば異世界に飛ばされてから初めての飯だな。
「はふ、あつつ。う、意外といけるな」
「そうっスね。上手いっス」
佐久間も口の周りを油でベトベトにしながらかぶりつく。さっきは調味料が欲しいって思ったけど、なくてもイケるもんだ。川魚の底力にちょっと感動してしまう。
「そういえば、ライター以外に何か持ってるのか?」
俺の質問に食べかけの魚を置いて、佐久間はポケットに手を突っ込む。
「あとは……煙草ですね」
そう言ってポケットから取り出したのは白い煙草の箱だった。いつも営業車の中で佐久間が吸っていた1ミリのマイセンのソフトだ。
「お前好きだな、その煙草」
俺が知る限り、出会った頃から同じ銘柄の煙草を吸っていた。
「学生時代に見たドラマの俳優さんがカッコよく吸ってたのに憧れて、ずっとこれっス。」
「ふーん、そんな理由ね」
「あ、いま馬鹿にしたっスね。酷いっス」
「してないしてない。で、あと何本入ってるんだ?」
「えーっと……2本っス」
20本入りの箱の中にたった2本だけ。幸か不幸か、ちょうどここにいる人数分。
「1本くれよ」
「いいっスけど。あれ? 先輩って煙草吸ってたっスか?」
「昔な、もう10年以上前だよ。社会人になってからはやめたな。金もかかるし煙草の嫌いな営業先も多くなったから」
「喫煙者は肩身が狭い世の中っス」
「ここは異世界だけどな」
「そうっスね。確かに」
禁煙スペースもない。どこで煙草を吸っても、たぶん怒られない世界だ。そのかわり煙草は売ってないけど。ここにある2本の煙草が、この世界に存在する最初で最後の煙草になるはずだ。
「お前も記念に吸えよ。酒はないから煙草で乾杯しようぜ」
「了解っス」
煙草を口に咥えると、佐久間がライターの火を近づける。煙草の先端は赤く燃え灰色の煙が上がった。そのまま自分の咥えた煙草にも火を点けていく。二人の煙草に火が点くと準備万端だ。
「新しい転生ライフに」
「転生ライフに」
「「乾杯」」
グラスのように合わせた煙草を口に咥えると、肺の奥に煙を一気に吸い込む。
異世界で吸う最初で最後の煙草は、苦くて……やっぱりマズかった。