売られた喧嘩は買った時点で勝ちである
「怪我には気に付けてな」
「……社長~」
三角巾とエプロンを脱いで、いつもの剣士としての姿に戻ったマルスは、泣きそうな目で縋りつくようにこちらを見てくる。
「そんな悲しい顔をするな。お前の腕なら大丈夫だって」
「は、はい……」
相手の強さが分からないから、気休め程度にしかならないだろうけど。まぁ励ましておこう。
諦めたのか、マルスはトボトボと広場の中央に向かって歩いて行く。すでにホルスは腕を組んで待ち構えていた。
ジールさんから借りたこの事務所用の建物の裏手には井戸があり、その周りが公園のような広場になっている。広いだけで遊具やベンチもないこの場所は、周辺住民が誰でも使える共用スペースのようで、ちょうど模擬戦をするにはうってつけの広さであった。
「両者、準備はいいか?」
見届け人を務める団長が、二人に声をかける。よく分からないけど、つまりは審判みたいな者だろう。
「ホルスから申し込んだ決闘とはいえ、これはお互いの力量を知るための模擬戦である。相手を殺めるような行為は禁止だ。武具についてもマルス殿が木刀を使用するため、ホルスも真剣ではなく、己の剣を使うが刃を鞘に納めた状態とする。両者、異論はないな?」
「もちろんです団長」
「は、はい」
うちの事務所に木刀があるわけもなく、血嫌のマルスが真剣を持っているわけもない。その結果、団長が言ったようにホルスは剣を鞘に納めたままの状態で戦うこととなった。普段よりも少しだけ剣が重くなってしまうハンデにはなるけど、そんなことおかまいなしってことのようだ。マルスのことをなめてくれているのか、それとも自分の腕に絶対の自信があるのか……どちらにせよ。これで大きな怪我だけはしないだろう。
マルスに何かあっては、労災で苦しむのは我が社である。それだけは何としても避けなけらば、もちろんマルスが怪我しないことが一番だけど。
「では、始め」
考えている間に、試合は始まってしまったようだ。
先に動いたのはホルス、でかい図体のわりに動きは俊敏である。自信ありげにいうだけはあるようだ、素人の俺からすれば目で追うのがやっとなくらいである。
「おりゃぁぁ」
突撃するスピードのまま、鞘を縦に横に薙ぎ払う。
それをマルスも最小限の動きでよけていく。
さすがはマルス、血さえ見なければ調子はいいようだ。
「さすがはマルス殿。ホルスの剣を紙一重で避ける動き。山賊の一団を一人で倒したという話も本当だったようですね」
いつの間にか、俺の横に移動していた団長が分析するように言う。
「今の間に4回斬りつけるホルスもかなり腕前のはずなのですが。初見で対応できる者はなかなかいませんよ」
「あ……そうですね」
動きですら目で終えてない俺に斬撃の数なんてわかるわけもない。それが分かるってことは……団長だけあって、女性だけどこの人の方がホルスよりも強いのだろう。
マルス自身は無用な戦いを嫌がっていたけど、やっぱり模擬戦を受けて正解だった。
頭に血が上ったホルスの圧に負けて模擬戦を受けたように見えたかもしれないけど、実は止めなかった理由は別にある。
それはマルスの実力を知りたかったからだ。
もちろん山賊をたおして時点でかなりの使い手であることはわかっている。ただ、この世界の強さの基準としてどのくらいの腕前なのかを知っておきたかった。
その点においては、騎士団の副団長であるホルスはうってつけの対戦相手であった。
召喚ガチャで呼び出した銅貨50枚の剣士がどこまで通じるのか。
もしホルスを圧倒するようなことがあれば……銅貨100枚、銀貨50枚、そして金貨1枚。金貨ガチャで召喚するカードの強さは一体どれほどのものなのか。
金貨で呼び出した人材が山ほどいれば……本気で世界征服できるかも。
思わずよだれが口の中にあふれ出る。やばいやばい気持ちを抑えないと。別に世界征服なんてする気もないけど、人材派遣会社としてはもの凄く面白くなりそうだ。
「ハヤシ殿の剣の腕はいかがですか?」
「え?……あー……」
いきなり話かけられ、思わずテンパってしまう。
「剣ですよね……あー剣、剣は……まったくです。はい」
自慢じゃないけど生まれてこの方、剣なんて握ったこともない。
「そうですか。確かにマルス殿が傍にいれば、剣の腕は必要ないかもしれませんね」
俺が強くないことが分かると、興味がなくなったかのように、団長は戦う二人に視線を戻す。
綺麗な顔をして、この人もかなりの戦闘狂というか……変わりもののような気がした。
二人の戦いは、攻め続けるホルスが力と手数で押しているようにも見える。
ただ、マルスもまだ力を隠しているはずだ。
山賊との闘いでは格闘ゲームに出てきそうな技? 奥義? みたいなものを使っていた気がしたけど、それがまだ今日は繰り出されていない。
できないのか出していないのか。どちらにせよまだまだ勝負は始まったばかりである。




