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何度やっても物事の最初はいつも忙しい


「ちょっと休憩にするか?」

「あ、はい。分かりました社長」

 階段の向こうから声が返ってくる。

 ここはジールさんに借りることとなった我らがニュー事務所(クリプトン支店)だ。

 3階建ての建物で、我が社で3フロアとも使っていいという太っ腹な物件である。

 最初は表通りにある一流大手企業が入りそうな物件を紹介されたけど、もちろん即答で断った。

 そんな所に入った日には新参者の癖にデカい面するなと嫌がらせをうけそうだし、まだまだ小規模事業者の我が社には身の丈に合わない事務所なんてあっても意味がないことだ。それに一本裏手に入った通りに面していたほうが2階、3階は住居にする予定なので、うるさくもないし、住みやすいだろう。それにこういうところにあるお店に来るお客こそ、本当の客だ。興味本位の一見さんはお断りである。


「いま……お茶淹れます」

 1階の事務所に降りて来たマルスは、そう言ってキッチンの奥へと足早に消えて行く。

 頭には三角巾、エプロンを着た姿はどう見ても剣士というよりはイケメン保父さんだろうか。

 今日は朝から木刀ではなく、箒やモップを片手に俺と一緒に事務所や住居となる2階、3階の掃除をしていた。しばらく使ってなかった様子なので、以外とホコリが溜まっている。


「よっこいしょ」

 ついつい口から声が出てしまう。俺も完全におっさんになったようだ。

 今座っているソファーも備え付け、さらには家具や机、椅子、ベッドなど生活必需品や事務所として使うための棚など、すべてがそろっているので明日からでも開店ができてしまう。

 元々使っていた時のお古って話だけど、どうみても俺たちのために用意したようにしか見えない新しさ。これは家賃以上にずいぶん大きな借りができてしまったようだ。


「お待たせしました。どうぞ」

 お盆を片手に戻ってきたマルスが、俺の前にカップを置く。


「悪いな」

 早速一口飲んでみる。うん、松田さんには劣るけどなかなか美味いじゃないか。間違いなく佐久間よりは淹れ方が上手だな。剣士にしておくには勿体ないかも。

 そんな風に思われているとは知らないマルスは向かいのソファに腰掛けて、自分で入れたお茶を美味しそうに飲んでいる。


「どうしました?」

 俺の視線に気づいたマルスが尋ねてくる。


「いや、別に……なんでもない」

 俺の方が社長で偉いはずなのに、なぜだか妙にソワソワしてしまう。

 

 ジールさんに店舗を案内してもらった次の日、俺は意を決してマルスを呼び出した。

 もちろん広い事務所内を一緒に掃除してくれる人手が欲しかったという理由もあったけど……なんとなくあの日以来マルスを呼び出すのが怖かったのだ。

 俺のせいではないけど……嫌血であるマルスをあんな目に合わせてしまった後ろめたさというか……なんというか……とにかく気まずかった。

 だから勇気を出して呼び出した時も、こっちとしてはいろいろ考え悩んでいたのに……フタを開けてみれば、現れたマルスは何事もなかったかのようにいつもと変わらない様子であった。あまりに変わらないので、こっちがビビったくらいだ。

 結局、あの日のことを聞いてみても、マルス自身もよく覚えていないとのこと。

 山賊と戦ったこと、そして俺が怪我をしたことはうっすら覚えているらしいけど。ガンツから聞いていたような、山賊の頭をボコボコにしたことや、いつの間にかカードの中の世界に戻ったことについては覚えていないようだ。

 それに肝心の嫌血はというと……

「……しゃ、社長。包帯に赤い血がに、滲んでます」

 震えた声で、包帯の巻かれた右腕を指さす。


「え? あーさっき切ったところか。痛みはないけど、なかなか血が止まらないな」

 事務所の掃除をしている時に、花瓶を割ってしまい破片で切ってしまっていた。傷口も小さく痛みもなかったので、わざわざ病院に行く必要もないと思い、薬を縫って包帯を巻いていたはずなのに、いつの間にやら赤い血が浮き出ていた。


「1回巻きなおしたほうがいいかな。どう思う?」

「え……え……えーっと」

 血が滲んだ包帯を解いているだけでも、目の前に座るマルスは怯えた様子で目を背けている。

 この程度の血でも駄目なようだ。

 どうやら克服どころか、病状は悪化しているのかも。というよりも病気なのかこれは。

 カードに書かれた二つ名も嫌血のまま、つまりいまだに血が怖いままってこと。

 うーん、いったいあの日はなんだったのか。どうしてあの時は血に怯えずに山賊の頭を倒すことができたのか? 火事場の馬鹿力? それとも何かキッカケが? まぁわからないことをいくら考えてしょうがない。なるようにしかならないか。


 ガンガン

 ふいに事務所の玄関から、ドアノックを叩く音が聞こえてくる。

 もちろん来客を知らせる音だ。


「誰だ? 悪いマルス出てくれ。包帯を巻きなおして手が離せない」

「了解です」

 少し笑顔で頷くと、逃げるように玄関にダッシュしていく。

 なるほど、血を見たくないマルスからすれば、来客が来てくれてラッキーのようだ。

 しかし、まだOPENもしていない謎の店舗に来客とは誰だろうか? この街に知り合いは多くないし……ジールさん? それとも……。

 そんな風に考えていると。

「しゃ……しゃ……社長。た、たいへんです」

 玄関から聞こえてくるマルスの声。いつも以上に慌てた様子の声だ。


「どうした?」

 急いで包帯を巻き終えると、玄関に向かうのだった。


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