とんとん拍子って言葉は存在している
応接室の扉が開き物腰の柔らかそうな男性が入ってきた。年齢はぱっと見で40代~50代といったところだろうか、見た目よりも老けている印象である。それはきっと着ている服も一つの要因かもしれない。豪邸に住む金持ちにしては質素な服装である。節約家なのか……それとも自分の物にはお金をかけないタイプなのか。
「ようこそおいで下さいました。私がこの館の主、ジールです」
「お招きありがとうございます。ハヤシです」
向かい合うように座るとタイミングを見計らったかのようにメイドが入ってくる。俺達の前にカップを置いていく。セレンの村で飲んでいた紅茶モドキとは違う、香ばしい匂いが部屋の中に漂い始める。
「冷める前にどうぞ」
すすめられるまま、カップに入った液体を一口すする。匂い以上に口の中に香ばしさが広がってくる。松田さんの淹れてくれる紅茶モドキの麻薬的な美味しさにはかなわないけど、これはこれで十分美味しい。
「お気に召して頂けたようでよかった。うちの商会で扱っているお茶の中でも人気の商品となっています」
「……そうなんですね。どうりで美味しいわけです」
もう一口飲んだ後、カップを置く。
「そういえばヒーラーのシボンヌさんから聞きました。重症だった俺の怪我を直してくれたそうで、それも銀貨10枚も払ってもらったとか。ありがとうございます」
「いえいえ、感謝するのはこちらの方なのです」
「え?」
思ってもいない返答に思わず素の声が出てしまう。
「貴方には身に覚えのないことでしょうが。私からすれば貴方は大恩人です。大恩人の為に銀貨10枚など安いものです」
「……?」
大金持ちのジールさんにとって俺が大恩人?
今日初めて会うはずの相手なのに……全くといっていいほど検討がつかないし、理由も分からない。
「なんのことだか分からないといった様子ですね」
「……はい」
相手だけが知っている状況が、悔しくもあったけど……ここは素直に頷くことしができなかった。
「ではこれはどうでしょう?」
そう言ってジールさんはポケットから紙袋を取り出す。そしてクシャクシャに丸められた紙袋の中から見覚えのある果物を取り出した。
「それは……りん、じゃなくてみかんですね」
ジールさんの手には、真赤なリンゴそっくりのみかんが握られていた。もちろん何度見ても、元の世界的に見れば、見間違うことなくリンゴである。
「……もしかして?」
みかんというキーワードで思い浮かぶことは一つしかない。
「思い出されましたね。乗合の馬車に乗っていた親子を覚えていますか? 母親と息子が二人いたと思いますが」
「もちろんです」
乗合馬車の中で俺に、リンゴ風のみかんをくれた親子だ。
「実は私の家内と息子なんです」
「え……えー……」
「まぁ驚かれるのも無理はありません。私と妻ではかなり歳が離れていますからね。ははは」
「それは……まぁ……確かに」
あの母親はどう見ても20代、若作りしていたとしても30代前半にしかみえない。それに比べて目の前のジールさんは……ぜったいに20歳以上は離れているはずだ。やっぱりどこの世界もお金持ちの奥さんは若い人が多いようだ。
「今の家内は私の後妻でして、最初の妻を早くに亡くして傷心中だった私を仕事面でもプライベートでも支えてくれたのが今の妻なのです。前妻との間に子供もいなかったので、恥ずかしながらこの歳で初めての息子になります。だからこそ目の中に入れても痛くないほど可愛くしょうがなくて……失礼。親バカですね」
年齢的には孫と言われたほうがしっくりくるけど、目の前で熱く語る様子は確かに親バカのようだ。
「でも、どうして乗合の馬車なんかに? 専用の馬車を持ってますよね?」
先程、病院から豪邸まで乗せてもらった馬車があるはずだ。
「私も前から専用車を使うように言ってはいたのですが、あまり妻は豪勢な生活を好まない頑固な性格でして……」
それでジールさんの服も、住んでいる豪邸と違って質素なものなのだろう。どうやらプライベートではしっかり財布の紐を若奥様に握られてしまっているようだ。
「そういえば妻から聞いたのですが、ハヤシさんはクリプトンの街に店を出しにきたそうですね」
「えぇまぁ。セレンの村では限界があったので、大きな街に店を出そうと」
「なんでもジンザイハケンガイシャ? なるものを始められるとか」
「分るんですか?」
「いえ、私にもサッパリです。ですが商売人としての勘がいうのです。この人は普通とは違う。この事業はクリプトンに住んでいる人が誰も思いつかないことだろうと」
「だから今のうちに恩を売っておこうと?」
言い方は悪いけど、なんとなく魂胆がよめていた。
「恩とまではいいません。ただ繋がりを持っておきたいだけです」
「繋がりですか……具体的にはどういったことを?」
「つまりですね。どうでしょう? 妻と息子を助けて頂いて恩返しもかねて、私共でお店の物件を提供させて頂くというのは。もちろん無償です」
「無償って……家賃もですか?」
「もちろんです」
当たり前のことのように即答する。
うーん、申し出はありがたいけど……昔から上手い話には裏があるというし、100%まだ信じられる相手とも分からない今、ここまで頼り切っていいものか。親切そうな顔をして近づいてくる人に限って後が怖そうである。
「渋っておられますね。では、こういうのはどうでしょう? 事業が上手くいくまで限定で家賃を無償にするというのは? これなら貴方も少しは気が楽でしょうし、いずれ私共にも利益があります。もちろん無償で店舗をお貸ししている間、事業に口出しを一切しないことは約束しましょう」
まだこっちのメリットの方が多い気はするけど……クリプトンの街で一から店舗を探すよりは、後ろ盾に紹介してもらったほうが楽な気もする。どうせ失敗しても、セレンの村に戻るか、別の大きな街に行けばいいだけの話だ。グズグズ考えていてもしょうがない。ここはジールさんの申し出に乗ることにした。




