治らない怪我はないらしい
くそ……結局、転生した世界でも俺は死んでしまうのか。まだ社長として何もできてないのに……あぁーあ、もっと金持ちになって豪遊して、社員をこき使って楽して生活しようと思ったのに……上手くいかないな。
悪い、佐久間……転生した世界にお前を一人にしてしまいそうだ。
こうなったらせめて……マルスだけでも……帰してやろう。
なんとか口を動かし、喉の奥から絞り出すように声を出す。
あの合言葉を言えば……マルスを強制的に帰すことができる。
「おつかれさ……までした。マル……」
「待ってください」
途中まで言いかけた瞬間、俺の手をマルスが力強く握りしめる。
「……マルス?」
人がせっかく最後の力を振り絞って……帰してやろうと思ったのに、もう口を動かす元気もなくなってきた。
「しゃ、社長を置いて帰れません」
「……カッコつけても……震えてるぞ」
「武者震いです」
「ふん……バカな奴だ。もう口が上手く回りそうにない」
本当に意識が遠のいていく。視界がボヤケ、度の強い眼鏡を掛けているようだ。世界が白い靄に包まれていく。閉じていく視界の端で、最後に見えたのは震えながら木刀を構えるマルスに、勝ち誇ったように襲い掛かる山賊頭の姿であった。
「……マルス……マルス?」
混乱した意識の中で、飛び起きる。
「……知らない……天井だ」
某漫画の主人公が言いそうなセリフを思わず口走ってしまう。ここはどこだろうか? 見たこともない部屋の中、ベッドの上に俺は寝かされていたようだ。覚えている記憶だと……確か俺はマルスを庇って、そのまま意識を失ったような……。
「そういえば怪我は……」
斬られたはずの背中に手を当てても痛みはなく、おそらく傷跡もなくなっているように感じる。誰が? どうやって?
服も誰かが着替えさせてくれたようだ。捕まっているようにも見えないし、いったいあの後何があったんだ。
分からないことだらけで頭の中がパンクしそうである。
コンコン
ふいにノックの音が部屋に響き、扉が開く。
「おや、目を覚ましたかい?」
そう言って入って来たのは見覚えのない知らない男性であった。
「おや、私が誰かといった顔をしてるね?」
予想していた展開なのだろう、俺が何も言う前に一人で納得したように男性は頷く。
「私はシボンヌ。簡単にいえば君の怪我を直してあげた者になるかな」
「怪我を? あんたは医者か?」
「イシャ? なんだねそれは?」
不思議そうに聞き返す男性の様子からして、この世界に医者という言葉も職業も存在しないようだ。
「私は修道院から派遣されたヒーラーだ」
「ヒーラー?」
今後はこっちが知らない言葉が出てくる。もしかしたらゲーム好きの佐久間なら知っているかもしれないけど。
「おや、ヒーラーを知らない? セレンの村にいなかったかな」
「えぇ」
「ヒーラーというのはお金を貰って魔法で怪我を直す職のことだ、だいたい大きな街なら修道院に2~3人はいるかな」
そういえば山賊が俺のことを魔法使いだと疑っていたけど、やっぱりこの世界に魔法は存在したようだ。さすがファンタジーな世界、元の世界の医学でも治すのが大変そうだった、俺の怪我を簡単に治しているのだから。
「とにかく私を派遣したジールさんに感謝するんだね。君の怪我なら銀貨10枚以上払わないと、本当は治せない酷さだったんだ」
「ジールさん? 銀貨……10枚」
「おや、知り合いではないのかい?」
「全く」
知っているどころか……聞いたことすらない名前だ。
「まぁおいおい分かると思うよ。とにかく今は絶対安静に。怪我は私の力で治したけど、流れた血まではとりもどせていない。今はゆっくり休んで血をたくさん作るといい」
そう言うとシボンヌさんは部屋を出て行った。
「はぁ……」
なんだかドッと疲れてきた。
よく分からないことばかりだけど、妙に眠くなってきたのは体が休もうとしているからなのだろう。とにかく助かったのだ。あとのことはまた起きてから考えよう。
自然と目を瞑ると、俺の意識は夢の世界へと落ちて行った。




