困ったらとりあえず取扱説明書を読むべき
目が覚めた瞬間、背中にヒンヤリとした土の感触がした。
「つめた」
飛び起きると、そこは四方を木々に囲まれた森の中、空は青く、雲も太陽もある。さっきまでいた真白な世界と全く違う。どうやら自称神様が言っていた通り、別の世界に転生させられたのだろう。風が吹くと草木が揺れる。今のところは元の世界とあまり違いはなさそうだ。
「さて、どうしたものか……」
いきなり転生させられたと分かっていても……何をしていいのかサッパリだ。とりあえず今の状況を確認だけはしておこう。服はスーツ姿、死んだ時と同じ格好ってわけだ。だけど持っていたはずの鞄はない。たぶん車と一緒にペチャンコにされたんだろう。ポケットにはハンカチだけ、入れていたはずの家の鍵とスマホもなくなっている。内ポケットには空の名刺入れ、社畜のない世界で何に使えばいいのか。誰と名刺交換するんだよ。つい自分で自分にツッコんでしまう。
そういえば佐久間はどこにいったのだろうか? 一緒に転生させられたはずだけど……アイツがいないと静かでいいけど……見知らぬ世界で最初から一人ってのも少し寂しくはある。あんな奴でもいないよりはましだろう。
そんな風に考えていると、「センパーイ」と茂みの向こうから聞きなれたアホっぽい声が聞こえてくる。間違いなく佐久間だ。やっぱりアイツもこの世界に転生させられていたようだ。
「おーい、こっちだこっち」
茂みに向かって声をかけると、豪快に揺れ動き足音が近づいてくる。
「せ、先輩。ぺっぺ、うわ、口の中に葉っぱが……不味いっス」
顔に巻き付いた葉っぱや蔓を手で払いのけながら、茂みから顔を出す佐久間。せっかくのスーツも千切れた葉や枝が所々に引っ付いていた。
「はぁはぁ、やっと見つけたっス。どこ行ってたんスか先輩」
「どこって……俺は動いてないぞ。お前こそどこ行ってたんだ?」
「僕っスか? 目が覚めたら先輩がいないから一生懸命探してたんですよ」
本気で心配してくれてたのか、佐久間の目元は少し涙目になっている。アホでバカだけど、人としてはいい奴である。それにしても森の中にスーツ姿のサラリーマンが二人、改めて冷静になってみると場違いな光景だ。それにちょっと暑いな、ネクタイもきついし。営業に行くわけでもないし上司に睨まれてるわけでもない。ネクタイも上着もいらないだろ。上着を脱いでワイシャツ一枚になると、風が気持ちよく感じる。元の世界でいう春かな今は、過ごしやすそうで悪くはなさそうだ。
「あれ? 先輩の足元にこんな紙が落ちてますよ」
汚れた上着を脱いだ佐久間が、何やら見つけたのかしゃがみこむ
「なんだそれ?」
佐久間の手に握られているのは小さな紙切れ、森の中に落ちているにしてはこれまた場違いな感じもした。
「紙……手紙か?」
受け取った紙を開くと、パソコンで打たれたゴシック体の字が印刷されていた。差出人はこんな世界に無理やり転生させた神様からだ。
「なになに……伝えてなかったが、お主に与えたスキルのことじゃ。その名も『人材召喚ガチャ』じゃ。ヒューヒュー」
コイツ……本当に神様か? キャラはブレブレだし、真面目に呼んだ自分が恥ずかしくなる。だいたいなんだよ人材召喚ガチャって、意味不明だ。
「名前だけで説明はないみたいっス」
隣から紙切れを覗き込む佐久間が言う。
「顔が近いってアホ」
「イテ、すいません」
俺に叩かれた頭を抑えながら、佐久間は一歩離れる。
「だいたいスキルってなんだ? お前分かるか?」
「え? 先輩スキル知らないんですか? 今のラノベとか漫画では常識ですよ」
「知らん」
自慢じゃないが、大人になってからアニメも漫画もほとんど見ていない。というよりも仕事が忙しくて見る時間もなかった。
「スキルっていうのは能力みたいなものっス。魔法とか剣技とか、分かります?」
「魔法くらい分かるわ。じゃあ【人材召喚ガチャ】っていうのはなんだ?」
「それは……」
「それは?」
「それは……僕も分からないっス」
堂々と言い切るアホ野郎に怒る気力も失せてしまう。最初からコイツに期待した俺がバカだった。だいたいスキルをくれるなら、ちゃんと説明書くらいよこせって話だ。今時、説明書も付いていない商品なんて、クレームの的になってすぐクーリングオフされても文句も言えない。
「チ、あのクソ爺め。肝心な所で役に立たねーな」
「あ、先輩。空から何か落ちてきます」
「え? うわぁぁあ」
上を見た瞬間、頭蓋骨を叩き折られるような衝撃が襲い掛かる。いや、この衝撃はもう折れてるかも……。
「イテテ。なんだよいきなり」
「大丈夫っスか、先輩」
「これが大丈夫に見えるか……まだいてーよ」
何かがぶつかった頭を触ってみると、なんとか頭は割れずにすんだようだ。痛すぎてヒヤヒヤしたぜ。まさか転生して、すぐ死ぬなんて勘弁してほしいものだ。
人の頭にものすごいスピードで落ちてきた犯人というか、物体。地面にめり込んだそれは、どこからどうみても、1冊の分厚い本だった。
「空から本が落ちてくるのが……当たり前の世界ってわけじゃないだろきっと」
そんな変な世界にピンポイントで転生させられているとは思えない。とすると、空から人の頭めがけて分厚い本を落としてくるような奴の知り合いは一人しかいない。あの爺だ。思った通り、地面から抜き取った本の表紙には【人材召喚ガチャ取扱説明書】と印字されていた。頼みを聞いてくれるのはありがたいけど……やり方が神様とは思えない悪質さだ。
「先輩があんなこと言うからですよ。説明書についてる付箋にしっかり敬えって書いてあるっス」
「チ、あのクソ……じゃなくて、神様ありがとうございます。大切に使わさせて頂きます」
危ない危ない、あやうく同じ過ちを繰り返すところだった。神様だけあって四六時中見張っているのだろう。暇な神様だ。もっと別の仕事をしていればいいのに、まるで窓際課長のイビリと一緒だ。おっと、心の中で思っても読まれているかもしれない。気を付けなければ。
「まぁいい。とりあえず目的の物は手に入ったんだ。よしとしよう」
思っていた以上に分厚いのが気になる。広辞苑ぐらいあるんじゃないか。
「さっそく読むんスか?」
「いや、後にする。こんな分厚い説明書を読んでたら日が暮れちまうよ。それよりも先に人里を探そう。コーヒーでも飲みながらゆっくり読むとするよ。できれば喫茶店でもあれば最高だな」
「喫茶店っスか……ここ森の中っスよ」
「分かってるよ、言ってみただけだ。よし、第一異世界人を探しに行くぞ」
「オー……でも、どうやってっスか?」
「あぁぁ、せっかくいい感じにまとまってたのに水を差すなよ」
「すいませんっス」
あいかわらず空気の読めない後輩である。
「簡単な方法を教えてやろう」
「ハイっす」
忠犬ハチ公のように澄み切った目で返事をする。人間に尻尾なんてあるはずもないけど、今ならコイツのお尻にブンブン振れる尻尾が付いていてもおかしくないような気がした。
「人は生活するのに絶対に水が必要だ。つまり川を探して辿っていけば必ず人がいるはずだ。分かったらさっさと川を探せ」
「了解っス。って、そういえば川なら向こうにあるっスよ。先輩を探す途中に見たっス」
「なに? 佐久間にしてはでかした。すぐ案内しろ」
「了解っス」
一目散に藪の中に飛び込む佐久間の背中を追いかける。まさかすぐに川が見つかるとは、これは幸先がよさそうだ。思っていた以上に異世界生活も楽勝かもしれないな。とにかくさっさと人に会って文明のレベルを確認しなければ……元の世界よりも高いのか低いのか……それとも全く別なのか、さすがに人がいない世界ではないだろう。
『社畜という言葉がない世界じゃ』
ふと、飛ばされる間際に神様の言った言葉が頭をよぎる。
「ふ、まさかな……」
そういう意味で言ったわけではないだろう。一抹の不安を抱えながらも、猛スピードで先を行く佐久間の背中を追いかけるのだった。