自分が可愛かったら、旅をしたほうがいいのだろうか
空は青空に包まれて天候は晴れ、風もなく、旅立ちには絶好のコンデションなのに……絶賛俺の目の前では小粒の雨が降っていた。いや、正確には約1名、目の前の男の目から雨のように涙が流れているだけなのだが……。
「……ぐぇむむ……ぐす」
引くぐらい顔をぐしゃぐしゃにして泣いている佐久間。涙をぬぐう手の平は驚くほどビショビショになっている。
「泣いてくれるのは……嬉しくないわけでは……ないけど」
別れが寂しくて泣いてくる相手が後輩の男なのは……微妙である。
「松田さん、こんな奴ですが、お願いします」
「はい。社長もお気をつけて」
未だに泣き続ける佐久間の横で、いつも通りの表情の松田さん。この対比もちょっと怖くなる。
「じゃあ行ってきますね」
「ゼンバーイ……気をづげて」
「ありがとありがと。お前も元気でな」
捕まれた手を振りほどくように離すと、俺の手まで少し濡れている。どんだけ泣いているんだコイツは。なかなか離れてくれない後輩を引き離すと、俺は小さな鞄一つもって村の広場へと向かうのだった。
事務所のあるセレンの村から目的地であるクリプトンの街までは、不定期で乗り合わせの馬車が出ていた。馬車といっても直通ではないし、荷物運ぶ荷馬車の隅に座らせてもらうだけの簡素なものである。まぁそのおかげで運賃は銅貨1枚と格安だ。
セレンの村からは俺以外に馬車に乗る奴はいないようで、手綱を引く運転手に銅貨1枚を渡して荷台に飛び乗ると、馬車はゆっくりと走り出した。
セレンの村を出た後、途中に2つ3つ小さな村を経由して、クリプトンの街に向かう。その度に荷台の荷物が減っては増え、減っては増えを繰り返す。なるほど、人を運ぶ乗合馬車としてだけではなく、物資を運ぶ業者の役割もかねているおかげで安いのだろう。荷台のスペースロスを減らすために上手く考えたものだ。このやり方を考えた奴は、この世界の住人にしてはなかなか経営手段があるのかもしれない。街にいったら一度会ってみたいものだ。と、感心はしてみたものの今日の馬車は荷物が多いのか……荷物と一緒に押し込まれている乗客としては……乗り心地はよくないな。客になってみて分かるサービスの欠陥ってやっぱりあるようだ。うん、会いにいくのやっぱりなしだな。
「うーん……体が痛い」
途中の休憩で荷馬車から逃げるように飛び降りると、ストレッチのように体を伸ばす。足や腕の関節からボキっと骨が鳴る音が聞こえてくる。まるで夜行バスに乗っているような感覚だ。
「兄ちゃん、お疲れだね?」
そう言って声をかけてきたのは、屈強な体に、三国志に出てきそうな無精髭、前掛けのような鎧を身にまとった男だった。腰には鞘に入った剣をぶら下げている。
たしかセレンの村で乗った時から、運転手の隣に座っていた男である。
「乗合馬車は初めてかい?」
「えぇ、こんなに押し込まれるとは思ってもみなかったですけど」
「はははは、初めての奴はみんなそういうもんだ。まぁ安心しろ、次の村に着けば少しは荷台も軽くなるはずだからな」
そう言って唾を飛ばしながら豪快に笑う。
「俺は馬車の護衛をしているガンツだ。お前は?」
「林です」
「ハヤシ? 変な名前だな」
そう言ってガンツは変なイントネーションで言う。このお決まりの感想にも飽きてきたものだ。
「で、ガンツはどうして乗合馬車に乗ってるんだ?」
ガンツの武骨でなれなれしい雰囲気を察して、こちらも敬語をやめることにした。臨機応変に言葉づかいを相手に会わせるのも営業マンの腕の見せ所である。
「俺か? 俺は客じゃなくてコッチが仕事よ」
そう言って腰にぶら下げた剣の束を握る。
なるほど、コイツは馬車の護衛で雇われているようだ。それで一人だけ行業して恰好をしているのだ。
「護衛がいるってことは、よく襲われるのか?」
「安心しな。この辺の街道で山賊や盗賊が襲ってくることなんてほとんどねぇよ。それにだ、貧乏な乗合馬車を狙うようなバカはさらにいねぇよ。100回旅して1回くらいかな。はははは、俺は楽な仕事でいいけどな」
またしても豪快に唾を飛ばしながら笑う姿に、俺はなんだか嫌な予感がしていた。なんだろう……元いた世界のバラエティ番組的に言うならフリのように聞こえるセリフ……フラグが見事に立っているように思うのは俺だけだろうか。
ガンツの言う通り、次の村に到着すると荷台の荷物が一気になくなり、俺達乗客もやっと足を延ばして座れるスペースが出来上がった。荷物がなくなって分かったことだけど、俺以外にも乗客はいたようだ。右奥のスペースに小さな男の子と母親の二人組、その横に三人の家族連れ、さらに横には若い女性の二人組まで。
「食べるかい? お兄さんも」
「うぇ?」
話しかけられるとは思ってもいなかったので、思わず変な声が出てしまった。俺の視線に気づいたのか母親と男の子の二人組がこちらを向いてニコやかに笑顔を向けていた。母親の差し出す手には一口大に切られた見慣れた果物の姿がある。
「いいんですか? ありがとうございます」
竹で作られた爪楊枝のような棒で一つさして、口の中に持っていく。適度な歯ごたえと甘みが口いっぱいに広がる。
「みかんはおいしいかい?」
笑顔のままの母親の問いかけに思わず、噛んでいた顎も止まる。
「え……みかん?」
「おや、みかんは初めてかい?」
「あぁ……いえ、食べたことは多分あるんですけど……」
これがみかん? どうみたってリンゴだ。見た目も味も俺が知っているリンゴそのものだ。目の前の親子が嘘を言っているようにも見えないし……どうやらこの世界では、俺の知っているリンゴはみかんという名前で通っているようだ。
「二人は旅行ですか?」
みかんと言う名のリンゴも食べ終わり、なんなく暇つぶしで尋ねてみた。
「旅行ってほどじゃないけど、兄家族がさっきの村に住んでいるから、息子を連れて遊びに行った帰りなの。ね」
「うん、楽しかった」
母親に尋ねられるのと同時に満面の笑顔で男の子は答える。その口の中にはまだリンゴという名のみかんが口いっぱいに詰め込まれているようだ。
「お兄さんは? 旅?」
「いえ、クリプトンの街でお店を出そうと思って」
「あら、そうなの。うちの主人も街でお店を出してるのよ。どんな店を出すの?」
「人材派遣会社の支店を出そうと思って」
「ジンザイハケンガイシャ……シテン?」
俺の言葉に2人とも頭の上にハテナマークが浮かび上がっている。まぁ分かるわけもないだろう。しかしどうやって説明すれば2人に分かりやすく納得してもらえるだろうか。そんな風に考えていると……突然、悲鳴のような馬の嘶く声が聞こえ、次の瞬間、馬車が急ブレーキを踏んだ車のように、激しい揺れと共に止まる。
「さ、山賊だ……」
馬車の前方から聞こえてくる運転手の震えた声と、怒号のような男達の雄たけび。
「……はぁ……最悪だ」
頭が痛い展開である。なにが安心しろだよ。残念ながらガンツの放った盛大なフリは、悪い方に回収されてしまったようである。




