悲劇の少女(2/2)
もうすぐこの学園では悲劇が起きる。一人の女子生徒が不慮の事故で命を落としてしまうんだ。
彼女の名前はミスト・ケイロン。入学したての一年生だった。
ミストは禁止されている夜間外出中に学園内の森でゲリュオンという魔物と遭遇し、襲われてしまった。
そんな化け物が学園の敷地をうろついていたのも不運が重なった結果だ。
このゲリュオンは、近くの村に迷い込んできたところを捕まった個体だった。でも輸送中に逃げ出してしまい、行き着いたのがうちの学園だったんだ。
そこに運悪くミストは居合わせた。そして翌朝、変わり果てた姿で発見される。
学園の中で行われたお葬式のことはよく覚えている。同級生がそんな目に遭ったことに、私は強いショックを感じた。娘の棺に縋って泣くミストの両親の姿は今でも忘れられない。
思い出すだけで胸が痛くなるような光景だった。あんなことは、もう二度と繰り返したくない。
「あのね、ミスト。私の言うことをよく聞いて」
私がここへやって来たのは魔王を倒すためだ。
でも、だからといって他の人の危機を放っておくわけにはいかない。『常に正しい道を歩め。正義は我にあり』。天馬の学級の格言だ。
「絶対に夜は一人で出歩いたりしないこと。特に学園の森には近づかないで。いい? 約束よ」
「どうして?」
ミストは目をパチパチさせた。私は本当のことを話そうとして言い淀む。
未来を見てきたなんて、誰が信じるんだろう。それに、『あなた、これから死ぬのよ』って言ったら、ミストは気を悪くするかもしれない。
そのせいで私の言うことを聞いてもらえなくなったら元も子もないから、ここは慎重にいくべきだ。
「あなた、ちょっとドジそうに見えるし」
私はお茶を濁した。
「それに、夜に出歩くのは校則違反でしょう? キーレムに排除されちゃったら困るじゃない」
「確かに……」
ミストは納得したような顔になった。
「アタシじゃキーレムさん、やっつけられないもんね。ルイーゼちゃんはすごいね。どうしてそんなに強いの?」
「それは……経験の差っていうか……」
私はまた誤魔化した。ミストは「ふーん?」と言いながら頷く。
「じゃあ、サムソンくんもその経験っていうのが豊富なのかな?」
「知らないわ、あんな奴」
私は冷めた声を出す。ミストはちょっと目を見開いた。
「ルイーゼちゃんって、サムソンくんのこと嫌いなの?」
「当たり前じゃない! あいつは魔王なんだから!」
「えっ、魔王って、あの大昔に出た?」
ミストは目を丸くする。
「顔が八個もあるっていうあの化け物? でも、サムソンくんの頭はそんなにないよ」
「あれは世を忍ぶ仮の姿よ」
私は断言した。
「とにかくあいつは魔王なの。……信じてもらえないと思うけど」
「え、えっと……」
ミストは困ったように唸る。
「魔王……魔王かぁ……。……サムソンくん、レルネー家の出身だったよね」
「ああ、そうか!」
ある噂を思い出して、私は膝を打つ。
レルネー家は名門だ。でも、同時に黒い噂がつきまとっている。何でも、百年前の魔王出現事件にレルネー家が関与していたとか何とか……。
そんなの、バカらしい噂だと思っていた。でも、それが本当のことだとしたら?
そして、今回の魔王復活にもレルネー家が一枚噛んでいたとしたら?
あり得ない話じゃない。むしろ、その可能性は高いんじゃないかしら。
明日にでも早速調べ物をしようと決意する。だって、その辺りに魔王復活を阻止する手がかりがあるかもしれないもの。
「ルイーゼちゃんはサムソンくんが魔王だってこと、本気で信じてるんだね」
ミストが困惑したように腕組みする。
「じゃあ、アタシも信じるよ。サムソンくんはきっと魔王なんだ」
「えっ、分かってくれるの!?」
先生やお母様でさえ私の話を満足に聞こうとしなかったのに、意外なところで味方を得られて驚いてしまった。
「信じるよ。だって、分かってもらえないって辛いもんね。でも……」
ミストは迷いながらも付け足す。
「アタシ、サムソンくんはそんなに悪い人に見えないんだ」
「それはあいつの作戦よ。私たちを油断させる気なの」
「うーん……でもさ、こんなふうにも考えられない?」
ミストはほんわかした笑顔で続ける。
「サムソンくんは魔王だけど、きっと悪い魔王じゃないんだよ!」
「悪い魔王じゃない……?」
予想外の言葉に何故かたじろぐ。そんなことってあるの?
「ふあぁ……。アタシ、もう眠くなっちゃった。お休みしていい?」
「えっ、あっ、うん……」
私は動揺しながら自分のベッドに戻った。ミストがカーテンを下げる。
「お休み、ルイーゼちゃん」
「……お休み」
短い就寝の挨拶の後、すぐに向こうから規則正しい寝息が聞こえてきた。
私はベッドに横になりながら、石の天井を見つめる。
……悪い魔王じゃない?
そう言われて浮かんでくるのは、私に怪我をさせてしまったことを謝ってきた彼の姿だ。そのときの傷跡を指先でなぞる。そんなに深手ってわけでもなかったし、もう血は止まっていた。
心が揺らぐのを感じる。でも、私はすぐに頭を振って思い直した。
思い出せ、卒業式の日に何が起きたのか。あいつがどんな悲劇を起こしたのか。
忘れない。忘れちゃいけない。覚えておかないといけない。じゃないと、正しい道が選べなくなってしまう。
『君なら、こんな未来を変えられるかもしれないな』
そう言ってくれた彼は、今頃どこで何をしているんだろう。何だかその人に叱咤して欲しい気分だった。魔王なんかに惑わされるな。奴の思うつぼだ、って。
そんなことを考えているうちに、いつの間にか眠っていたらしい。
こうして、波乱に満ちた私の二度目の魔法学園生活の第一日目は終了したんだ。