九つ目の頭、現る(1/1)
「ちょっと散歩でもしましょう、アルファルド」
ダンスが終わった私は、火照る体を持て余していた。
私たちは天幕の間を縫って、庭木が広がる散歩道へと足を進める。そこは他よりも照明が少なくて薄暗く、そこかしこにベンチが置いてあるような、親密な相手と二人で過ごすのにぴったりの場所だった。
私はその小さな道をアルファルドに肩を抱かれながらゆっくりと歩いた。触れられているところから伝わってくる彼の体温が心地いい。私はうっとりとアルファルドに寄りかかった。
本当にこれは現実なのかと思ってしまうくらい幸福な時間だ。薄暗がりの中にいるのに、辺りの景色が輝いて見える。どこまでも高揚する気分を止められない。
「アルファルド……」
ガラにもなく甘い言葉を吐きそうになる。けれど、すぐ近くから冷たい声が聞こえてきたせいで、私は水を差されたように感じて思わず黙り込んだ。
「失態だな、ヘルマン」
気を取り直してもう一度話しかけようとしたけど、耳に入った名前が気になって、私はまた沈黙した。私たち二人は、ほとんど同時に足を止める。
「私はお前の父親のように、お前に怪我がなかったのが不幸中の幸いだとは言わんぞ」
声がするのは、右手の茂みの向こうからだった。茂みって言っても私やアルファルドの身長よりも大きかったから、様子をうかがうのはちょっと難しい。葉の隙間から目を凝らして盗み見するしかなさそうだ。
「申し訳ありません」
思ったとおり、そこにいたのはノイルートと……もう一人、知らない男の人だ。三十代後半くらいかしら? 黒髪と緑の目で容姿は悪くないけど、何だか根暗そうな印象の人だ。
「少し邪魔が入りました。予想外のことが起きたんです」
ノイルートは感情の読めない声で言い訳をしている。男性はふんと鼻を鳴らした。
「ああ、まったくの予想外だろうよ。あやつはともかく、小娘相手にお前が遅れを取るなんてな。分かっているだろう? この学園ほど質のいい黄金のリンゴが採れるところも滅多にないということを……」
男性は不意に言葉を切って、何の前触れもなく杖を出し、目の前の茂みを魔法で吹き飛ばした。
全く身構えていなかった私とアルファルドは、残った茂みの残骸を挟んでノイルートたちと向き合うことになってしまう。
「おや、お楽しみ中だったかな」
私を素早く後ろ手に庇ったアルファルドを見て、男性は冷たく笑う。
「邪魔をして悪かったな。我々は退散するとしよう」
男性はノイルートを連れて去っていく。
私は小さくなっていく彼らを見つめて、「何よ」と顔をしかめた。
「ノイルートの父親かしら? あんまり似てないけど、中身の方はそっくりね。親子揃って嫌な感じ! ゴブリンの子はゴブリンだわ」
「違うよ」
私の言葉に、アルファルドは冷静な口調で訂正を入れた。
「彼の名前はダグラス。ノイルートの父親じゃないよ。それに、彼はどっちかっていうと母親似かもしれない」
「何で知ってるの?」
私は目を見張る。そして、アルファルドが何だか深刻な顔をしていることに気が付いた。
「ルイーゼ、覚えているかい? 私が前にノイルートとどこかで会ったことがあるような気がする、って言ったことを」
アルファルドがノイルートの背中に視線をやる。
「ノイルート……そういう名前の人が、九頭団にもいたんだ」
「九頭団……?」
まさかの発言に、胸がざわめくのを感じる。
九頭団。レルネー家を影から操る集団。サムソンの体にアルファルドの魂を入れ、魔王復活の足がかりにしようとした者たち。
そんな悪の組織とノイルートが関わっていた……?
「それって……ノイルートも九頭団の一員だってこと?」
「だろうね。彼の親がそうなんだから」
「そんな……」
身近に敵組織のメンバーがいたという事実に、私は動揺を隠せない。それでも努めて平静さを取り戻そうと頭に手を当てた。そして、先ほどのダグラスとノイルートの会話の内容を思い出す。
「黄金のリンゴ……」
そう、黄金のリンゴは変身薬の材料に使われる。
ノイルートは換金目的で学校の森に生えている黄金のリンゴを採っていたんじゃない。
彼は九頭団の一員として、あの植物を魔王復活に役立てようとしていたんだ。
「私たち、知らない間に九頭団の野望の実現を少しだけ遅らせることができたのかもしれないわね」
私はニヤリと笑う。ノイルートはもう森からリンゴを盗もうなんて思わないだろうし、そうなれば九頭団は別のところから材料を取ってこないといけなくなる。ちょっとした時間稼ぎにはなったはずだ。
それにもう一つ、重要なことも分かった。
「やっぱり九頭団は、アルファルドを魔王に『変身』させようとしてるんだわ」
魔王化と変身魔法の関係性を考えていた私たちだったけど、そのアプローチは正しかったんだ。
「ところでアルファルド、あの男の人……ダグラスだっけ? 彼も九頭団のメンバーなのよね?」
「そうだよ。って言うよりもリーダーだ。彼の名前はダグラス・レルネー。かつて自分の野望に魔王を利用したレルネー家の当主の弟……つまり私の父の子孫だよ」
「えっ! あの人が!?」
私は思わずダグラスの方に目をやったけど、もう彼もノイルートもどこかに行ってしまった後で、姿が見えなくなっていた。
「もっと早く分かったら、私の魔法で吹き飛ばしてあげたのに……! よし、今からでも……」
「ルイーゼ、ダメだよ」
杖を出してダグラスに突進していこうとする私の腕をアルファルドが掴んだ。
「彼、結構強いんだよ。それにこんなところで騒ぎを起こしたら、こっちが悪者にされる。九頭団も魔王も、誰も信じてないんだから」
「でも……!」
「それにね、レルネー家は政府にもコネがあるんだ。君が本当のことを言ったって、しかるべきところに話が届く前に握りつぶされるのがオチだよ」
「……私の両親だって官庁勤めよ」
そう言いながらも私は杖をしまった。九頭団はいずれ倒さないといけない敵。でも今はそのときじゃないのかもしれないと、自分を納得させることにする。
「……いいわ、行きましょう。散歩の続きよ」
私はそう言って、アルファルドと並んで歩き出す。
でも、何だかさっきまでの甘い雰囲気が嘘みたいな心地だった。その代わり、これから決闘に臨む戦士みたいな気分になってくる。
いいえ、実質私は戦士なんだ。九頭団を倒す戦士。そのために、私は過去にやって来たんだもの。
そうこうしている間にセミ・プロムは終わった。寮へ帰ってベッドに潜り込みながら、私は今夜の出来事を振り返る。
ときめいたり狼狽えたり敵愾心を煽られたり……何だかとっても忙しい時間を過ごしたせいで、想像した以上に疲れていたんだろう。そのうちに私は夢の世界へと旅立っていった。