疑惑のオスカー(1/1)
「えっ……あの子がオスカーなの?」
私は図書館の本棚の陰から学習スペースを覗いて問いかける。それに対し、水蛇の三人組は「そうだよ」と投げやりに答えた。
「オスカーって名前の三年生は、うちじゃあいつだけだ。大抵は寮の中に引きこもってるから、授業以外で外に出てるとこ、探すの苦労したんだぞ」
「しかも、『こっちのことを気取られないように』って指示もあったし……」
「……これで体の皮、剥がない?」
「ええ、剥がないわ」
私は頷く。
「もうあなたたちは自由よ。帰っていいわ」
三人組はほっとしながら、足早に図書館を後にした。私の気が変わらないうちに視界から消えようと思ったみたいだ。
「あの子、見覚えあるね」
一緒にいたアルファルドも『オスカー』に目をやる。
「確か前に、君の舎弟たちがカツアゲしていた子じゃないか?」
「……そうね」
まだデューとヨシュアが私を『アネゴ』って呼んでなかった頃のことだ。二人は廊下で気の弱そうな男子生徒にいちゃもんをつけていた。
オスカーはそのときの子だった。しかも、その後もデューたちにパシリ扱いされてたし、不憫な生徒っていう印象だったんだけど……。
「彼がクレタの森の結界を解除したって?」
「まだ犯人って決まったわけじゃないけどね。でも、怪しいことは怪しいわ」
そう言いつつも自信がなくなってくる。
まだ三年生なのに結界を解除できるなんて相当すごい人なんだろうと思ってたのに、目の前の彼はこう言っちゃ悪いけど、お世辞にも冴えてるようには見えなかった。
身長は私とあんまり変わらなくて、ぽっちゃりした体つきだ。誰かのお下がりなのかしら? サイズの合っていない古いローブを着てるから、余計に小柄で頼りなさそうに見える。
それに態度だって堂々としているとは言いがたいし、パッと見て地味で目立たない生徒だってすぐに分かった。顔立ちも特別賢そうじゃなくて、劣等生とまではいかないけど、そこまで成績がよさそうにも思えないんだけど……。
「……まあ、人は見かけによらないとも言うしね」
私は自分を納得させるように独り言を言って、ローブの中から『三年 オスカー』の刺繍が入った青色の腕章の切れ端を取り出す。そして、オスカーのところへ向かった。
「こんにちは」
私はオスカーの目の前の席に座り、にこやかな顔で話しかけた。そのとき、私は彼の腕章の一部が千切れているのに気が付く。確かに彼は私たちが探している『オスカー』に間違いなさそうだった。
オスカーは読んでいた『有用植物大全』の本から顔を上げた。途端に、その丸い頬が引きつる。
「あなた、オスカーっていうのよね? 実は私、こんなものを拾ったの。それで、あなたに聞きたいことが……」
「さ、さよなら!」
オスカーは私が差し出した腕章の切れ端を素早くひっつかむと、荷物を抱えて素早く席を立ち、逃げ出した。そのあまりの速さに呆気に取られていた私は我に返ると「アルファルド!」と叫ぶ。
本棚の影からアルファルドが飛び出してきた。でも、オスカーは走る速度を緩めない。自分を止めようとするアルファルドの手を巧みにかわして、図書館の入り口を目指す。
「あいつ、何で逃げるのよ!?」
「やましいことがあるから?」
「冷静なこと言ってる場合じゃないわ! アルファルド! 追いかけるわよ!」
私とアルファルドは疾走するオスカーを追跡した。……彼、結構足早いのね。太ってるのに。動ける何とかってやつかしら?
図書館にいる他の生徒たちが騒ぎに気付いてこっちに視線を向けてきた。ああ、もう! そんな目で見ないでよ! 私だって、ここでは静かにしないといけないってことくらい分かってるんだから!
「仕方ないわ、こうなったら魔法で……」
イライラしながら私は杖を取り出そうとした。でも、それを何かに弾き飛ばされる。
何、今の? ……えっ、ちょっと待って! 棚の本が私たちに向かって飛んできて……危ないっ!
私は後ろに飛び退いて魔法で障壁を張る。まるで鳥みたいに棚からこっちへ飛んできた無数の本が、それに当たって床に落ちた。
「ルイーゼ、大丈夫かい?」
遅れてやって来たアルファルドが尋ねてくる。もう本はピクリとも動かず、床の上に散らばっていた。
「誰かが本に魔法をかけたんだわ」
私は落ちていた一冊を手に取った。
「オスカーかしら? それとも……」
「『問題児をいさめようとした人』かもしれませんね」
近くで声がしてハッとなる。メガネをかけた男子生徒が腕組みをしながら、本棚に背を預けてこっちを見ていた。水蛇の学級の青い腕章をつけている。
整った顔立ちだけど、どこか冷たそうな印象を受ける子だ。レンズの奥で青い目が冷酷に光っている。三、四年生くらいかしら? ちょくちょく廊下とかですれ違ったことがある気がする。
「図書館で走り回るなんて非常識ですよ。静かにしなさい」
「……ご、ごめんなさい」
私は慌てて謝った。男子生徒はふんと鼻を鳴らし去っていこうとする。
「君、名前は?」
その背にアルファルドが声をかける。男子生徒はちょっと振り向いて、どうでもよさそうに答えた。
「ノイルートです」
男子生徒は冷めた声を残して去っていった。その背中をアルファルドはじっと見ている。何だか意味深な目つきだったから、私はアルファルドに「どうしたの?」と尋ねた。
「……彼、前にどこかで見たような気がして」
アルファルドは首を捻りながら「ノイルートか……」と呟いていた。
「知り合いなの?」
「うーん……」
アルファルドは思い出そうとしたみたいだったけど、カンカンに怒った司書さんがすっ飛んできて、それどころじゃなくなってしまった。
一時間のお説教と本を魔法なしで元の場所に戻す作業の罰則を食らった後、ようやく解放される。私たち、今回は無実なのに!
「でも、困ったわね」
図書館から帰る途中で、私は顎に手を当てた。
「今回のことでオスカー、絶対に私たちをもっと警戒するようになったわ。これじゃあ話を聞きに行っても、また逃げられちゃう!」
彼は多分クロだ。じゃなかったら、あんなに大慌てで逃げたりしないはずだから。
でも、オスカーが結界を解いた犯人だっていう証拠がない。ただ怪しいっていうだけじゃ、容疑者として皆の前に引っ張っていくには不十分だ。
結局、その日はそれ以上の収穫を得ることができないまま終わってしまった。
転機があったのは、それからしばらく経ってからだった。