気になる彼の正体は(1/2)
結界を解除した犯人を捜すためにコウモリ寮を出た私が向かったのは、クレタの森だった。その一角に立っている管理人――エルフのソーニャ先生夫妻の館を訪れる。
「いらっしゃい」
出迎えてくれたソーニャ先生に中に通される。床や壁に白い大理石が使われた館は、森の管理人の家と言うよりは貴人の隠れ家という雰囲気だった。通された客間も、おしゃれな本棚やテーブルが置いてあって清楚な感じがする。
「先生、聞きたいことがあるんです」
椅子に腰掛けた私は、単刀直入に切り出した。
「最近、この森に不審な人が出入りしなかったでしょうか」
「最近って、ここ二、三十年くらいの話?」
「いえ、今月に入ってからです」
エルフの感覚で話を進められそうになって、私は慌てて訂正を入れる。
「先生、知ってますか? 今、学園で噂が流れているんです。クレタの森の結界をコウモリの学級生が面白半分で解除したって。だから私、それが冤罪だって証明したくて……」
「うーん……結界ねえ……」
ソーニャ先生は首を捻る。
「別にそういうの、今に始まったことじゃないんだけどね。去年だったか一昨年だったか……そのくらい前からよ。ほら、この学園、たまに変なことが起こるじゃない。温室で栽培されていた薬草がなくなってたりとか、準備室に保管してあった魔法薬がどっかいっちゃったりとか。それと同じで、よくあることなんじゃないの?」
そういえば私の一度目の学園生活でも、本来の居住域じゃない区画をうろついている魔物がたまに目撃されてたっけ。
そう考えると、別に珍しい事態じゃないのかもしれない。
それなのにコウモリの学級が疑われてるのは、やっぱりこのクラスは周りから奇異の目で見られているってことなんだろう。
「効果が永遠に続く結界魔法なんてないもの。もちろん定期的に見回りはしているけど、どこかに穴があるのは、そこまで不自然なことじゃないわ」
「じゃあ、森で不審な人を見かけたりはしなかったんですか?」
「そうねえ……大剣の学級の子ならよく見るわね。でも、あの子たちは『不審』って感じじゃないわ」
それはそうだ。だってあの学級の寮は、クレタの森の中にあるんだから。だから森で大剣の学級生がよく目撃されるのは当然だ。
「それなら、何か他に変わったことはありませんでしたか?」
「うーん……ああ、そう言えば、ちょっと前に落とし物を拾ったわね」
ソーニャ先生は壁際の棚から小ぶりな缶を取り出して、中身をこっちに渡してきた。小さな布だ。腕章の切れ端かしら? 色が青ってことは、水蛇の学級生のものだろう。
「結界近くの木の枝に引っかかってたの」
「結界の近く……」
興味をそそられた私は、腕章をひっくり返してみる。すると、千切れているせいで途中までしか読めなくなっていたけど、『三年 オスカー』という刺繍が施されているのが目に入った。
ちょっと怪しい、と直感が囁く。
水蛇の学級のオスカー。私はその名前を頭の中に叩き込んだ。
「ありがとうございます、先生」
私は腕章の切れ端をローブのポケットに入れて、椅子から立ち上がった。一応、ヒントは掴んだと思っていいのかもしれない。
「早速この情報を生かして……」
早く帰ろうと気が急いていたせいで、部屋から出る際に入り口近くの本棚に思い切りぶつかってしまった。棚から分厚い本が降ってくる。
「あっ……すいません……」
私は本を元に戻そうとして、慌てて落ちてきたうちの一冊を手に取った。
その拍子にページがめくれる。中を見た私はあっと声を出しかけた。
それはアルバムだった。中には色んな念写が貼られている。私の目は、その中の一枚に釘付けになっていた。
五、六年生くらいかしら。とても整った顔立ちの男の子が映っていたんだ。すっと伸びた鼻筋や薄い唇。切れ長の緑の目は涼しげで、そこに少し長い黒髪が優雅にかかっている。知的だけど、どこか憂いを感じさせる雰囲気だ。
「それ、アルファルドくんよ。格好いいわよね」
私が念写に見とれているのに気が付いたのか、ソーニャ先生が微笑んだ。私は赤くなりながら「この人、アルファルドっていうんですか」と言った。
「彼ね、すごいのよ。とても素晴らしい才能の持ち主なの。たくさんの新しい魔法を作り出したのよ」
「たくさんの魔法……? 確かに本当ならすごいですけど……。でも私、『アルファルド』なんて名前、聞いたことないですよ」
一度目の学園生活で、私は『エルキュール魔法学園史』という科目を取っていたんだ。
そこで課題の一環として、これまで特別な功績を残してきた生徒たちについて調べたことがあったけど、『アルファルド』っていう人はその中にはいなかったと思う。
「アルファルドくんは、名声とかそういうのには興味がなかったのよ。彼はただ、興味の赴くままに研究を重ねていただけ。その功績が皆他の人に取られたってお構いなしよ」
ふーん? 欲がないっていうか、ちょっと変わった人なのかしら。でも、才能があるのは間違いないみたい。
「それにね、彼、結構律儀なのよ」
ソーニャ先生は棚の上に置いてあった箱を開け、中から一枚の封筒を取り出した。何だか年代物って感じの見た目だ。
「各区画に生えている薬草の違いについて、私のダーリンがアルファルドくんに説明してあげたことがあったの。そうしたらね、彼、後でわざわざお礼の手紙を送ってきたのよ」
ソーニャ先生が手紙を開けると、便せんがほんのりと光り出した。立体レターだ。
手紙の上に、幻のアルファルドの姿が浮かんでくる。立体的になったその美貌に、私はまたしても見とれそうになった。
けれど、彼が話し始めた途端に、それどころではなくなってしまう。
『先生、先日はどうもありがとうございました』
私は瞠目した。だって、この声を知っていたから。
『お陰で効率的に薬草の採取ができました。これでまた面白い魔法薬がいくつか……』
「ソーニャ先生!」
私はいつの間にか叫んでいた。
「この人……この人は……」
頭の中を見えない棒でぐちゃぐちゃにかき回されているみたいに考えがまとまらない。私は気持ちを落ち着かせるために、必死で卒業式で起こったことを思い出そうとした。
――君なら、こんな未来を変えられるかもしれないな。
私の頭の中に響いてきたあの声。そして、多分私をここに送り込んできた人。
あれは、この人の――アルファルドの声だった。柔らかく包み込んでくれるようなこの声色、間違いない。