ミストの秘密。ゲリュオン襲来。(3/4)
「何でこんなところにいるの! 一人で出歩いたらダメって……」
それ以上は続けられなかった。ミストの近くに誰かがいる。いや……『何か』かしら? 毛むくじゃらの体を見た私は息を呑んだ。
「それ、コボルトじゃない!」
思わず叫んでしまうのと、魔王が私を後ろ手に庇うのが同時だった。
「何してるの、ミスト! 危ないわ、早く離れて!」
敵に守られているという状況だったけど、コボルトにすっかり気を取られていた私はそれどころじゃなかった。
犬の頭を持つ人型の魔物のコボルトは、もっと奥の区画に住んでいる生物だ。狂犬そのものの性格で、うかつに近寄ったら鋭い牙で噛みつかれてしまう。そんな危険な生き物とミストが一緒にいることに私は危険を感じていた。
けれども、ミストの意見は違うらしい。
「あのね、この子は大丈夫だよ!」
ミストは焦りながら立ち上がる。その膝の上から、包帯が転がり落ちた。
よく見れば、辺りには薬瓶や薬草を煎じたような跡もある。私は、真新しい包帯がコボルトの太ももに巻かれているのに気が付いた。
「……もしかして、このコボルトの治療をしてたの?」
「そ、そうだよ」
ミストは私の視界からコボルトを隠すように体を揺らした。
「他の区画から迷い込んできたみたいなの。で、その拍子に怪我しちゃったらしいんだ。この間の魔物学で森に来たときに、アタシが見つけて……」
「その日から、ずっと治療を?」
私は卒倒しそうになった。なんて危険なことをするんだろう。
「ミスト、あなたが無事でいられたのは、コボルトが弱ってたからよ。怪我が治ったら、あなたのことを真っ先に襲うわ。そうなる前にさっさと始末しないと! 私がやるからミストは退いてて」
「ダメだよ!」
私が杖を取り出すと、ミストは首をブンブンと振った。普段ののんびりした様子からは考えられないくらい必死な表情だ。
「本当に本当に大丈夫なの! アタシね、魔物を大人しくさせられるんだよ。昔からずっとそうなの! どんな種族でもいいってわけじゃないけど……でも、コボルトは平気なんだよ!」
「何バカなこと言ってるの! 魔物はその辺にいる犬や猫とは違うのよ! 大抵の種族は、調教の魔法を使わないとこっちの言うことなんて全然聞かないんだから!」
「でも、でも……!」
私たちの口論は平行線を辿ってしまった。そうこうしている間にも、私はミストの後ろにいるコボルトから目が離せない。
コボルトは低い声でグルグル唸っている。目がギラギラと光っていて、こっちに敵意があることは明らかだ。
こんな危険な生き物を大人しくさせられる? そんなこと無理に決まってる。絶対にミストの勘違いだ。
「……ミスト、君はもしかして、獣王体質なんじゃないかな?」
突然、今まで私たちのやり取りを静かに聞いていた魔王が口を開いた。意外な言葉が出てきて、私は思わず杖を下げる。
「獣王体質? 何、それ」
聞いたこともない単語だった。ミストも目をパチクリさせている。
「滅多にいないって言われている、珍しい力の持ち主のことだよ」
魔王が説明する。
「古代に『調教王』と言われた傭兵がいた話、知らないかい? 彼は大勢の魔物を自分の配下として従えてたって言われてる。それは一般的には調教の魔法を使っていたんだとされているけど、実は彼は獣王体質だったっていう説もあるんだよ。つまり、何もしなくても魔物たちが自然と平伏してしまう人のことで……」
「待って」
魔王が何を言っているのか分からずに、私は困惑した。
「『調教王』に『獣王体質』? そんなの聞いたことないわ。でまかせ言わないでよ」
私はこれでも天馬の学級の主席だったんだ。当然、歴史だってきちんと暗記していた。でも、魔王が今言ったような話は初耳だった。
「大体あなた、魔法史は零点取るくらい苦手でしょう。この間の授業だって、ずっと寝てたじゃない」
魔王はよく私の隣の席を陣取っているから、嫌でも様子が目に入ってくる。きちんと起きている科目もあったけど、魔法史の授業では、彼はいつも夢の中だ。
「教科書に書いてあるような歴史にはあんまり興味がないんだ」
魔王は小さく首を横に振った。
「私が知りたいと思うのは、埋もれてしまった伝承とか、忘れ去られた伝説とかだよ。そこから創造のヒントを掴むんだ。……いや、『掴んでた』かな」
魔王が訳の分からないことを言い出した。私はどう反応していいのか分からずに困り果てる。
「疑うのなら、奇書研究会に足を運んでみてくれ」
魔王は肩を竦めた。そして、「あの部活、今でもあるのかな?」と呟く。
自信満々な態度で言われて、彼の言葉を疑う気持ちが揺らいでいく。彼は魔王なんだし、私たちの知らないようなことを知っていてもおかしくはない……のかしら。
明日になったら奇書研究会に足を運んでみようと私は決意した。確か、図書館の地下に部室があったはずだ。
「サムソンくん、アタシのこと、信じてくれるんだね」
一方のミストは感激しているようだった。目を潤ませながら魔王のところへ駆け寄る。
「パパもママも皆そんなことあるわけないって言ってたのに……。ありがとう」
ミストはよほど感じ入っているのか、しまいには魔王の手まで握る始末だ。私はそんなミストを無理に引き剥がそうとしたけど、彼女の嬉しそうな顔を見ているうちに何もできなくなってしまう。
だって、自分の言ってることを人に信じてもらえない辛さは私が一番分かってるから。ミストがこんなに喜ぶのも当然だ。今まで誰にも理解されなかった自分を否定しない人に出会ったら、感謝したくなるに決まってる。