二度目の入学式での騒動(1/1)
「待ちなさい、魔王!」
私が大声を出すと、中庭にいた黒いローブの制服姿の少年少女が、一斉にこちらを振り向いた。
けれど私の視線は彼らを無視して、ただ一人だけに注がれている。その人は、「魔王?」と首を傾げながら私の方を見た。
「それは私に言ってるのかな?」
返事をしたのは、どこにでもいそうなごく普通の十四歳の少年だった。黒髪と緑の目。身長も平均くらいで、顔立ちもよくもなければ悪くもない。
一見しただけだと、彼のどこに『魔王』なんて呼ばれる要素があるのか分からないだろう。でも、私は知っているんだ。だって、この目で見たんだから。
今から六年後に、彼が恐ろしい化け物に変身するところを。
「君、名前は?」
年齢に似合わない落ち着いた態度で魔王が問いかけてくる。私はふんと鼻を鳴らした。
「魔王に呼ばれる名前なんかないわ。……って言いたいところだけど、冥土の土産に特別に教えてあげる。私はルイーゼ。ルイーゼ・カルキノスよ」
言うなり、懐に手を伸ばした。さあ、私の魔法でさっさと昇天して……。
「あれ、ない……」
とんでもないことに気が付いて、私は真っ青になった。杖がない!
……ああ! そうだ! 私、まだ入学前の状態じゃない! 杖は入学式が終わってから配られるんだったわ! ど、どうしよう。これじゃ魔法が使えない……。
狼狽える私を見て、魔王は踵を返した。
「何だか分からないけど、私は失礼させてもらうよ、ルイーゼ。あいにくと、まだ死ぬわけにはいかないからね」
魔王は近くにいた空中競技部の生徒が持っていた箒を借りて、ふわりと宙に舞い上がった。まずい! このままだと逃げられちゃう!
「待ちなさい! 逃げないで戦いなさいよ、臆病者!」
私も近くの男子生徒の手から無理やり箒を奪い取って地面を蹴った。すでに上空にいた魔王を猛スピードで追撃する。
「君、速いんだなあ」
魔王はそれを見て呑気な声を出した。
「ドラゴンといい勝負ができそうだ」
「悠長なこと言ってられるのも今のうちよ!」
急降下した魔王を追いながら、私は顔を歪めた。
「あなたは私が倒すわ、絶対に!」
地面すれすれで飛びながら、私はかつて見た光景を思い出した。血みどろの広間と、倒れていく同級生たち。辺り一面死体だらけで、足の踏み場もなかった。
皆この男の仕業だ。この魔王の。そんな悲劇の未来は、何が何でも回避しないといけない。そのために、私はここにいるんだから。
庭木の間を縫うように飛びながら、私たちはいつの間にか大広間へと乱入していた。眼下で悲鳴が上がる。入学式に参加することになっていた新入生や上級生たちだ。
「待ちなさい! 待てって言ってるでしょう!」
天井からぶら下がる巨大なシャンデリアの周りを魔王を追いかけてグルグルと回りながら、私は怒鳴った。ああ、まだるっこしい! 魔法が使えたら、こんな追いかけっこ、しなくてすむのに!
「このっ!」
苛立ち紛れにシャンデリアの飾りをもぎ取って魔王に投げつける。でも、当たらない。下にいた生徒が絶叫しながらそれを避けるのが目に入った。
「ルイーゼ、怪我人が出るぞ」
魔王にたしなめられ、私は逆上しかけた。怪我人ですって!? 数え切れないくらいの人を殺したような奴に言われたくないわ!
魔王は身を反転させ、シャンデリアの傍から離れた。私も後に続く。
そのときだ。大声が聞こえてきたのは。
「拿捕せよ!」
突然見えない壁のようなものにぶち当たった感触がして、私は箒から滑り落ちた。そのまま床に勢いよく叩きつけられる。
「……っ」
一応、誰かが魔法で衝撃を緩和してくれたのか、大した怪我はなかった。ヨロヨロと立ち上がると、同じく床でクシャクシャになっている魔王の姿が目に入る。
「何をしているんだ、そこの二人!」
今がチャンスだと思って魔王に飛びかかろうとしたけど、その前に取り押さえられた。式典用の服に身を包んだ学校の先生だ。
「こんなことは前代未聞だ! 箒で入学式の会場に突撃してくるなど、一体何を……」
「先生、あいつ、魔王です!」
羽交い締めにされながら、私は声の限りに叫んだ。やっと起き上がった少年の方を懸命に指差す。
「早く捕まえて! じゃないと皆殺される! お願いだから……!」
「静かにしなさい! 少し落ち着いて!」
「私は落ち着いてます! 本当なんです! 私、見たんだから! だから……」
「ああ、まったく! ……失神!」
私の頭に杖先が向けられる。その瞬間、目の前が真っ暗になった。