つかの間の平穏
第五話目、お出かけです。
次辺りから、雲行きが怪しくなってくるかも……
明日は、設定集的なもの(と次の話)を投稿予定です。
電車。電気によって、レールの上を走る乗り物。
理央は生まれてこの方、その電車というものに乗ったことがなかった。
そもそもこの街にはバス以外の公共交通機関が存在しない。
30年前、わずか数か月で作られたこの街に、そんなものを作る時間的余裕はなかったし、広さ的にそれほどの必要もなかった。
だからこの街の移動には、街中に張り巡らされたバス網が使われる。
唯一の例外としては、街の中央からそれぞれの門に延びる貨物列車があるがーーまあこれも普通に生活していて使うものではない。
理央とサーシャが今乗っているのも、そんなバスの内の一つだ。
「これは?」
「それはボタン。バスから降りたいときに押すんだよ」
最初は人とすれ違う度にビクビクしていたサーシャだが、段々と好奇心が勝ってきたのか、今は辺りをきょろきょろと見回している。
そんなサーシャの様子を、周りの人は微笑ましそうに見ていた。
「これはどうやって使うの?」
「ああ、それはー」
二人の話す耳慣れない言葉にも、それを気に掛ける人はいない。
異世界人は、この街の中に限って言えば、それほど珍しい存在ではないのだ。
人族はもちろん、獣人や亜人の姿も、数こそ少ないが見ることが出来る。
観光区まで足を延ばせば、それこそいくらだって。
『ー次はーーーー前、お降りの方はーー』
「サーシャ、次で降りるよ」
「……押してもいい?」
「うん、どうぞ」
ボタンを押して鳴った音に、ビクッとして後退ったサーシャを見て、知らず笑みが浮かぶ。
その様子は昨日とは打って変わって、まるで無邪気な子供のようだ。
と、いうよりかは。
彼女は実際に子供で、彼女にとってこの世界のもの全ては「未知」なのだろう。
その姿を見て感じた疼痛には、気付かないふりをして。
『異世界人文科学研究科、第8会議室』
そうプレートが付けられた部屋から、白衣を着た人間が次々と出てくる。
「あ~、疲れた。なんで毎回こんなに延びるのよ」
「お疲れ~、美咲。今日も長かったわね、室長の話」
「ええ、ほんとにね」
そう言ってから、美咲は大きく伸びをする。
「それで……聞き取り調査の方法のことで、ちょっと相談したいことがあるんだけど」
「うーん、この後ちょっと用があるから、夕方でもいいかしら?」
「ええ、もちろん。用事ってまた?」
その同僚の言葉に、美咲は首を振って答えた。
「いやーー今日はちょっと調べ物をね」
「ー身分証の提示を。はい、ありがとうございます」
『資料室』
ただシンプルに名付けられたその部屋は、美咲の普段いる研究室よりも、さらに『塔』に近い建物の中にあった。
ーそういえば、最近はあまり来てなかったわねー
視界一面には、美咲の目線よりも高い、様々な資料の詰め込まれた棚が大量に並んでいるが、今日の目当てはそれではない。
それらの間を潜り抜け、部屋の奥へと向かう。
『情報端末室』
部屋の隅にあって、更にガラスで仕切られたそこが、今日の目的だった。
中に入り、空いている席の一つに座る。
検索窓に入力し、門の出入記録を開く。
『サーシャ・クロマトフィー:該当なし』
いくつか違うつづりで試してみても、結果は変わらない。
ー嘘をついてたのか、それとも偽名を使ったか…………ー
どちらにしろ、骨の折れる作業になりそうだ。
一つ伸びをして、美咲はその作業に取り掛かった。
『間もなく、ーーーー前。お降りの方は、ドアが開いてからーー』
「ここで降りるよ」
乗客の流れに押されるようにして、理央とサーシャはバスを降りた。
時刻はお昼過ぎ、冬の冷たい空気と柔らかい日差しが混ざり、外はとても過ごしやすい気温に保たれている。
「サーシャ、こっち」
そう声をかけ、人の流れに従って歩道を進む。
左手に見えるのは、大量の車が並ぶ駐車場で、その奥にはーー巨大なガラス張りの建物があった。
「あそこに行くの?」
「そうだよ」
横を歩くサーシャの問いに、理央はそう首肯する。
「あんなに大きい建物……あそこに、行くお店があるの?」
目を丸くするサーシャに、笑って理央は答えた。
「うん。あのショッピングモールの中にね」
この街は、閉じている。
それは出入りがとても厳しく管理されているという意味でもだが、同時に生活に必要なすべてを、街の中で完結できるという意味でもある。
学校も病院も、スーパーもコンビニも公園も、カラオケやゲームセンターなどの様々な娯楽施設も、何だって。
その中でもショッピングモールは、学生が休みの日に遊びに行く場所の定番だった。
斜めから差す日が、タイル張りの道に影を作る。
多くの人の影が重なって出来るそれは、不定形に揺らめく魔物のようだ。
「大丈夫?ちょっと休んでもいいけど」
「ううん、大丈夫」
ー予想はしてたけど、やっぱ混んでるよなー
ショッピングモールへと続く道は、多くの人で混雑していた。
もみくちゃにされる、というほどでもないが、横を歩くサーシャは、周囲を歩く人の多さに若干怯えた様子だ。
ーはぐれても危ないしー
「サーシャ、手。この人混みだとはぐれそうだから」
差し出された手を、横を歩く少女は不思議そうに見た。
「…………」
だがやがておずおずと、サーシャの手が理央の手に重ねられる。
その握った手の小ささと、少し高い体温に。
ー例えどんな事情が、あるとしてもー
今日一日でも楽しんでもらえたらいいと、理央は心の底からそう思った。
人混みに流されるまま歩くこと、3分程。
理央とサーシャは、ショッピングモールの入り口にたどり着いた。
開けっ放しになっているガラスのドアを潜り、中へ。
その途端、店内を流れるBGMと、人工照明の白い光と、入り混じる雑多なものを清潔さでまとめた独特の匂いとが、一斉に五感に飛び込んでくる。
ーそういえば、来るのも2か月ぶりくらいかー
ここに何度も足を運んでいる理央にとって、それは見慣れたものだが。
サーシャにとっては、全くそうではなかったらしい。
入った瞬間から、それら全てに目を奪われてしまっていた。
ーまあ、それを見てるのも楽しいけどー
入口の近くでこんなにゆっくり歩いていると、流石に通行の邪魔になる。
「サーシャ。とりあえず、何か食べるものを探そうか」
呆けた様子で辺りを眺めるサーシャに、理央はそう声をかけた。
バームクーヘン。
このショッピングモールの形を一言で表すなら、その表現が正しいだろう。
吹き抜けになった中央と、その周りを囲うように配置された通路と店舗。
そして一階部分は、ほぼ全面がフードコートになっている。
『甘いものが食べたい』
その要望に対して答えを決めきれず、ここならば一つくらいは見つかるだろうと思ってきたのだが…………。
結果的に、それは大正解だったらしい。
理央とサーシャが座っているのは、フードコートの一角の小さな丸テーブル。
理央の目の前には、食べ終わったカレーライスの皿が置かれている。
そして正面に座るサーシャが夢中で頬張っているのはーークレープだった。
結構なボリュームのあったそれも、もう残りはほとんどない。
喉に詰まらせるのではないかと心配になるが、サーシャの目つきは真剣そのものだ。
ちなみに、机の上に置かれた包装紙の数は4個。今食べているのが五個目だ。
ーまあ、気に入ってもらえてよかったかー
「fafedee」
食べ終わったサーシャが、耳慣れない言葉を唱えて手を合わせた。
「もういいの?」
「うん、もうやめとく」
その言葉に、理央は密かにほっと息をついた。財布的に問題はないが、これ以上食べるとなると、さすがに少女の胃袋が心配になってくる。
「おいしかった?」
「うん、すごいおいしかった。あの赤いつぶつぶのやつが特に」
まあ、これだけ食べたのならそうだろう、
「良かった、じゃあ、…………。この上に色んなお店があるから、ちょっと覗こうか」
「うん」
また食べに来よう。そう言うのは無責任な気がして、理央は言葉を呑みこむ。
「よし。じゃあとりあえずゴミを片付けてからー」
そう口にしながら、席を立とうとして。
ふと感じた視線に、理央は一瞬動きを止めた。
ー今、誰かに見られてたようなー
お昼時を過ぎて少しは減ったとはいえ、フードコートはまだまだ混んでいる。
サーシャの容姿は人目を集めるから、きっとそれだろう。
疑問の色を浮かべるサーシャに何でもないと答え、理央は席から立ち上がった。