桜の輝き
今の現状を打開出来ますようにという私の願いを込めました。最後までお付き合いください。
季節は春。肌を指すような冷たい風がほんのり眠気を誘う温かな風へと変わり、桜の花びらはくるくると舞いながら道路をピンクに染めていく。
子供たちは新しいランドセルに心を踊らせ、新しい教室と仲間に期待を募らせた。また、あるものは真新しいスーツに身を包み、まだ似つかわしくない革靴とカバンを手にしている。朝の通勤通学路の桜道は、そんな者たちで溢れて和気藹々としていた。
心地よい風に、生活音の合間に聞こえる小鳥の囀り。無機質な風景を彩る花や草木。それを眺めながら用もなくブラブラと散歩をする。きっと誰もが自然と足を外へと向けるだろう。
「新型ウイルス、全都道府県に緊急事態宣言──」
新型ウイルスの影響は恐ろしく、人々に恐怖を植え付けると共に、休校という形で子供たちからも笑顔を奪った。誰もが家で鳴りを潜めるか、不安を抱えて風景を眺めることなく用事を済ませるためだけに外出する者しかいない。
私は今年の春で高校生になるはずだった。
……いや、高校生になった。ただ入学式を行えなかっただけで、高校生にはなったんだ。
私としては入学式の取りやめや、休校などに関しては正直どうも思ってない。学校生活は青春と言うが、義務のようにしか感じていないからかもしれない。
ただウイルスの影響で外出の自粛命令がおりたせいで、家でただなんとなく過ごす日々に辟易としていた。
母の用事に付き添った車での外出。窓から見える景色は次々と移り変わっていくが、その中で歩行者は見かけなかった。その事実に心が痛んだ。
もう一度言うが、季節は春。なにも他の季節に外出する者がいないとは言わない。だけどこの時期、大人たちは酒や食べ物を持参して桜を見にくる。子供たちは、公園で走り回ったりして賑わうのがこの季節。
でも……蔓延する新型ウイルスに、人々は外の空気に怯えて温かな風さえも忌避した。歩行中の車の中から見かけた美しく咲き誇っているはずの桜が、私には輝きを失っているように見えた。
ずっと昔から満開の桜に感嘆な息を零し、花びらの大半が散り落ちて残骸のようになってしまった桜には、惜しんだりもした。きっと今年はそうならない。
用事が済んで家に帰れば、玄関先にお隣さんの立花さん一家が来ていた。
「あら、どうなさったんですか?」
「急にすみません。実はこの子が……。」
旦那さんの”この子”という言葉に、私たち母娘は自然と母親の後ろに隠れていた千春ちゃんに目を向けた。千春ちゃんは今年、新一年生になった。だけど、私と同じで入学式は行えなかったという。
「あらあらまぁ!千春ちゃん、とってもかわいいわ!」
母が千春ちゃんの可愛らしい姿に顔を緩めて褒めまくる。千春ちゃんは新しい制服と黄色帽子、そしてピンクのランドセルを背負っていた。恥ずかしそうに、ぴゃっ!と顔を隠した千春ちゃんに私も自然と笑顔になる。
「うちの娘も伊桜里ちゃんも、ウイルスの影響で入学式出来なかったじゃないですか!」
「えぇ、そうでしたね。それがどうしたんですか?」
「この子が制服姿で写真だけでも撮りたいって。」
千春ちゃんは私の顔をじーっと見ていて、目が合うとにっこりと笑った。
千春ちゃん、もしかして──。
「伊桜里お姉ちゃんも!って言い出して、この近くの公園に桜もありますし、記念に一緒にどうですか?」
公園の桜は一本しかないけど、大きくて立派だ。あの下で写真を撮ったらきっと素敵だろうけど……車から見たさっきの桜が浮かんで、なぜか乗り気になれない。
「えっと私はけっこう……」
「伊桜里お姉ちゃん!一緒に行こ!桜、絶対きれいだよ!」
満開の桜のようにまるやか頬をピンクに染めた笑顔な千春ちゃんが、私の手を握ってきた。
綺麗な桜……。
「伊桜里、行ってきなさい。制服に着替えておいで、髪を結わえてあげるから。」
「え、でもお母さ……」
「千春ちゃん、伊桜里お姉ちゃんが準備できるまで待っててくれるかしら?」
「うん!待ってる!!」
どうしよ。行く気無かったのに。
小さい子が目をキラキラさせて期待してるのに、断って悲しませるわけにもいかない。腹を括るしかないようだ。
立花さんたちには家の中で少し待っててもらい、私は部屋で制服に着替えることになった。綺麗に畳まれ、箱に入っていた制服を取り出して、そっと撫でた。特別、この制服に対しても思い入れがあるわけではないが、さっきから妙に感傷に浸ってしまう。
制服を着て下に降りれば、母が入学式仕様に髪を結わえていく。サイドを編み込んで、ハーフアップにしてくれた。立花夫妻が美しく成長したと褒めてくれて、柄にもなく頬が紅を差したように赤くなってしまった。
みんなで向かった公園にはやっぱり人影一つなかった。ぽつんと立つ満開の桜の木。吹いた風が肌寒く感じで、腕をさする。
「うわぁあ!きれい!桜のじゅうたんだ!!」
桜の下まで走り出した千春ちゃんに、夫妻は転ばないように言いながらも、微笑みを浮かべているのはマスクをしていても分かった。彼女の目にはあの桜がきれいに写ってるらしい。
「伊桜里お姉ちゃん!はやく!」
「う、うん。根っこに躓かないようにね!」
千春ちゃんはぴょんぴょんと跳ねまわり、桜の花びらを黄色い帽子に入れていく。帽子一杯に入れたら、上へと中の花びらだけを思いっきり投げる。ひらひらと大量の花びらが千春ちゃんに降りかかった。あれは私も小学生の時によくしていたなぁと過去を思い出す。
楽しそうな千春ちゃんの髪についた花びらを落としてあげながら、私もいつの間にか硬い表情が綻んでいた。私も手一杯に花びらを集めて、彼女の上から落としてあげる。強い風が吹き、桜の枝がさわさわと揺れて、私にも大量の花びらが降り注いできた。
「「うわぁぁあ!!」」
ふたりして感嘆の息を零した。私も子供みたいに笑って、桜の木を見上げた。ぽつんと立っているように見えた桜の木は、下から見ればのびのびと枝木を伸ばして生き生きとしている。
「ふたりとも写真を撮るよー!」
撮影の準備が出来たようで、千春ちゃんのお父さんが私たちを呼んだ。軽く身体についた花びらを払ってマスクを外した。母親たちが後ろに並び、私たちはその前で手を繋いで並ぶ。
「じゃあ、撮るよ!笑ってー!」
千春ちゃんのお父さんがタイマーをセットしてボタンを押す。小走りで「9、8、7…」と数えながら奥さんの隣に並んだ。前を向き直ったら、下から愛らしい声が聞こえた。
「伊桜里お姉ちゃん!桜、とってもキレイでしょ!」
「うん、とってもきれいだね!」
──パシャッ。
私たちは前を向いていなかった。向いてなかったけど、大人たちはその写真を見て、撮り直すことはしなかった。私も何も言わなかった。だって、今までに桜の下で撮った写真と、同じ表情をしていたと思うから。
帰り際に見た桜の木は、昔から変わらない輝きを持っていた。きっと誰もいないことに寂しさを抱いた私が色褪せたように感じただけ。温かな風を肌に感じながら、その気持ちよさに目を細めた。胸いっぱいに息を吸って吐き出す。
そしてマスクを付け直しながら”来年はあの桜道も輝きを取り戻しますように”と願った。
新型コロナウイルスの影響は本当に恐ろしく、いついかなる時も予防を怠ってはいけません。作中、登場人物たちは外出してしまってますが、真似しなようにお願い致します。
今の状況を重く捉えて、皆様もどうかお気を付けください。