はじまりはその扉を開くことから
プロローグ
「ああ、ここ。ここが入り口ね」
『ピンク・ドア』という、その街では有名な公営マーケットの一角にあるイタリア料理店の前。
その名の通りピンク色のドアを開けた女性二人組みの片方が言った。師走のとある日、二人は休み時間にランチへとやってきたのだ。
レストランの前には、緑白橙の国旗を掲げたアイリッシュ・パブがあり、中から喧騒が聞こえていた。
店に入ってテーブルに着き、扉を開けた方の女性、マキが早速先週末に会った「カエル君」についての話を始めた。
インターネットで男女が知り合う「オンライン・デート」というものを彼女はやっているのだ。会費を払い、写真、プロフィールを載せ、メールでやり取りするというシステムをとっている。
「カエル君」というのは、もちろん本物のカエルではなく、百匹のカエルに接吻したら、その百匹目が本物の王子様であるというおとぎ話にちなんだものである。
プリンセス・ストーリーが大好きな彼女のプロフィールはこのようにして始まる。
「百匹くらいはキスしてきたけれど、一人も王子様に変身しなかった。
あたしは塔の中に閉じ込められて、ただ泣きながら助けが来るのを待っているプリンセスじゃない。
ガラスの靴なんて脱ぎ捨てて、自分で脱出、黒馬にまたがって、魔法にかけられていない本物の王子様を探しに行くことを決心した」
と、なんとも勇ましい。
「で、今回のカエル君はどういうのだったの?」
マキの友人であるクリスティンが興味津々に聞いた。
「すんごく頭のいい、M社に勤めている人でね、アイルランド人だったわ。
実際に会うまで何度かメールでやり取りしたの。素敵な文章を書く人でね。中身のないメールを送ってくるヤツラにうんざりしてたところだったから、余計に興味を持ったのよ。ヨーロッパ人のエスプリとでもいうのかしら」
「『やあやあ、我は姫を助すく王子である。今参上仕った』とでも書いてあったの?」
クリスティンが剣を振りかざす動作を見せながら言ったので、マキは噴き出した。
「何言ってんのよ。そんなんじゃないわよ。あたしが最初にメールを送って、その返事の第一文目に、
『まだ見ぬハンサムな女性からの文はいつでも歓迎すべきものです 』
って書いてたの。ね?素敵でしょ? 」
クリスティンも頷く。
「その中身のないメールを送ってくるヤツは『俺が君のプリンスだ』とか、『あなたを助けに来た』とか書いてるんだけど、どこが王子~?って言いたくなるのばっかり」
マキはそういって、あたかもクリスティンがそのうちの一人であるかのように彼女を指差した。
実際のクリスティンといえば、この街では稀といってよいファッションセンスの持ち主だ。
ここはアメリカの西海岸の都市で、職種にも寄るが、男性はシャツにノータイ、チノパンがオフィスルックのスタンダードなのである。
本日の彼女の井出達は、薄いピンクのシャツにグレーのピンストライプ・スーツというマニッシュなスタイル。ベストも着用し、ポケットチーフとネクタイはシャツに合わせた濃いめのピンク色。
もちろん、ランチの場所にちなんでいる。
少年のように短く刈った彼女のブロンドとよく合っているスタイルだが、今日が特別というわけでなく、彼女はスカートというものを履かない性質なのだ。
ウェイトレスが注文を取りにやってきた。
会話は一度中断し、寒い日なので二人共スープを注文した。
なぜかこの街のイタリア料理店は優れているとはいえず、マーケットはちょうど二人の仕事場の中間地点に位置することもあり、二人共百年以上の歴史を誇るこのマーケットが大好きという理由からこの店を選んだ。
「で、そのアイリッシュのカエル君とはいつ会ったんだっけ?」
「こないだの日曜。今日は何日?十七日か。大体一週間くらい前ってことになるわね。それがねぇ、なんとあたしの誕生日当日だったのよ」
マキはちょっと恥ずかしそうにそう言った。
クリスティンは笑い飛ばし、
「あんた、誕生日に何も予定入れてなかったの?言えば、ブランチにでも連れて行ったのに」
「予定してたわよ!前日があの大パーティーだったじゃない。だから当日は一人でいろいろしようと決めてたのよ。それが、彼がブランチでもどうって誘ってきたから、あの日曜しかなかったのよ。もちろん彼にその日が誕生日だって言わなかったわよ」
プリプリと自分を弁護するマキをニヤニヤしながらクリスティンは見て、
「次の日ブラインドデートがあるなんて言ってなかったよねー。ま、いいけどさ。それはそうとあのパーティー、すごく楽しかったよ」
その週末、マキは自分の誕生日パーティーを大々的に開いた。ここ数年は誕生日を誰とも祝う気がせず、その代わり大枚を払って自分にご褒美を買っていたのだが、今年はそのお金を自分でなく人のために使おうと決め、ケータリング事業をやっている友人に料理を注文し、シャンパンを何本も買い込んだ。
そして、当日に着用するため、彼女の母親の着物を故郷である日本から送ってもらい、その姿をプロのカメラマンである友人に撮ってもらったのだった。
「ありがと。あたしも大満足のパーティーだったわ。ま、ともかく、そのアイリッシュ・カエル殿下にあたしはあんまりいい印象を残さなかったみたい。それからもうメールは来なくなったの」
と、言ってマキは口をへの字にして見せた。
「あらら。まぁ、いいじゃない。カエルは所詮カエルなんだからさ。あんたは絶対本物の王子様と出会えるよ。もしかしたらもうすぐ近くに来てるかも知れないし」
「そうよね。あたしもそんな気がするわ。足音が聞こえてきそうなくらい。けど、なんでか白馬には乗ってないのよね。石畳をカツーン、カツーンって歩いて来るの。そんな気がする」
そういってマキは夢見るように空中を見つめた。
三十四歳にもなって白馬に乗った王子様だの、馬鹿げていることは百も承知なのだ。
人生はおとぎ話のようにはいかない。
しかし、心の奥底にはそれを信じたい自分がいて、夢見る夢子ちゃんでもいい、と思っている。
そう、この世のどこかに彼はきっと存在する。
彼女をありのまま受け入れ、愛してくれる男。
そして、何があろうと、自分も同じように彼を愛すことができるのだと。
「虹色」とは、七色(または六色)のレインボーカラーではなく、淡くくすんだ紅色のことです。




