その九十二
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「確か……、この住所だとここかな?」「きさらぎ荘って、一応書いてあるね」
俺と柊さんはとある小綺麗なアパートの前にやってきてる。さっきまでいた渋谷駅辺りから電車で小一時間。東京郊外の閑静な住宅街の中に、姉貴が住んでるアパートがあった。そういや考えたら俺、姉貴のアパート来るの初めてだ。だからかちょっと緊張する。まるで他人の家にお邪魔するみたいな心境だからかも?
弟の俺でさえそんな気持ちなんだから、柊さんは尚更緊張してるっぽい。今は夕方五時過ぎ。と言ってもまだまだ太陽は元気でカンカン照りだけど。
で、住所たどって来てみたんだけど、俺と柊さんはその目の前でポカンとしてしまった。俺は何度も住所とそのアパートの名前を見直しちゃったけど、どうやら正解っぽいんだよなあ。
ていうのも、アパートって言うより高級マンションじゃね? ってくらい外観が立派だったからだ。でも柊さんも言った通り、入口前には確かに姉貴が教えてくれてた(きさらぎ荘)ってアパートの名前が書いてあるから、多分あってると思うけど。
とりあえず俺と柊さんは緊張しながら自動ドアの前に進む。スーッと開き中に入るとこれまた結構立派な、木目調の綺麗な壁に覆われたエントランスに、奥の自動ドアの前にキーがついてるインターホンがあった。更にその奥にも自動ドアがある。要するここ、オートロックだ。……姉貴オートロックって言ってなかったぞ? 俺パスワード知らないんだけど……、ってこれ、鍵穴ついてる。
「姉貴から預かった鍵で開けれるかな?」俺は恐る恐る鍵穴に鍵を指してみる。おお、ピッタリハマった。半回転すると、ウィーン、と奥の自動ドアが開いた。良かった。俺はホッとして中に入る。
「武智君のお姉さん、ここに住んでるんだ。アパートって聞いてたからもっとセキュリティ甘いとこかと思ってた」「俺も驚いてる」
もっと古びた小汚いアパートかと思ってたのに。まあ考えたら女一人東京で暮らしするなら、これくらいセキュリティ強化されたとこじゃないと危険かもな。
そして姉貴に教えられた番号の部屋に向かう。廊下もすごくきれいで全くゴミが落ちてない。管理が行き届いてるのが分かる。プライベートが外から見えないように、磨りガラスで外から廊下が見えないようになってる。……これのどこがアパートなんだよ? 寧ろ高級マンションだろ。後で姉貴に文句言ってやろう。
そして部屋の鍵をカチャリと開けると、中からムワっと蒸した暑い空気が入ってきた。……あー、そっか。誰もいないしそりゃエアコン付けてないよな。
「とりあえず暑いけど中入ろっか」「う、うん」
戸惑いながら柊さんは返事し、おずおずと俺の後をついて入ってきた。ちょっとした廊下の左右に風呂とトイレが対称についてて、奥に八畳くらいの部屋。ベッドと食卓とテレビがあり、カウンターキッチンになってる。……女らしさ全然感じないな。
つか、めちゃくちゃ暑いな! 俺は急いでエアコンのリモコンを探し、スイッチを入れた。柊さんも手でパタパタと顔を仰いでる。
「ごめん。暑いよね」「ううん。仕方ないよ。でもエアコン入れたし、すぐに涼しくなると思うから気にしてない。それより、突然お邪魔しちゃって大丈夫だった?」
「どうせ俺しかいないし大丈夫だよ」「そっか。そう言えば武智君のお姉さんの部屋に来るの、これで二度目だね」
そう言いながらフフフと笑う柊さん。あ、そっか。前俺ん家の姉貴の部屋を使って泊まったんだったな。
少ししてからエアコンがフル稼働し、ようやく部屋が涼しくなってきて二人してホッと一息つき、とりあえず座った。
それから柊さんは俺にウイッグ外すね、と伝えてそれを取り、更に黒縁メガネも外した。エアコンの風にサラリと流れる柊さんの黒髪。やっぱ柊さんって美少女だなあ。改めて見惚れてしまう。
そこで再び柊さんのスマホに着信があったようで、慌てた様子で電話に出る柊さん。それを見た俺は、声や音を出さないよう、そーっと柊さんから離れ、とりあえず何か飲み物がないか冷蔵庫の中を覗いてみた。……って、ビールや缶酎ハイとかばっかじゃん。姉貴お茶くらい買っとけよな。
「ちょっとコンビニで飲み物買ってくる」小声で柊さんにそう伝え、柊さんがスマホを耳に当てながらコクコク黙って頷いたのを確認し、俺は部屋から出ていった。
※※※
武智君がコンビニに飲み物買ってくる、と言って出ていった。という事は、冷蔵庫の中には何も入ってなかったのかな? とにかく気を使わず話できる。電話の相手は恩田さん。言葉使いは静かだけど、明らかに怒ってるのは電話越しでも伝わってくる。
『で? 今どこにいるの?』「……内緒です」
『どうして内緒にするのよ?』「だって言ったら私を捕まえに来ますよね? そもそも、GPSをウイッグに仕込むってどういう事なんですか? あれ使う時って私がプライベートの時くらいですよね?」
『やっぱりGPSが仕込まれてるって気付いてたのね。で、それを外しちゃった、と。だから日向も上杉も後を追えなかったのね』
どうやら恩田さんは都合よく勘違いしてくれてるみたい。本当は私も知らず日向さんが外したんだけど。……と言う事は、日向さん、GPS外した事を恩田さんに伝えてないって事か。そりゃ伝えられない、か。恩田さんを裏切った事になるから。
「そもそも、私と武智君とは公認のはずですよね? しかも私、ちゃんと変装して会ってました。それなら問題ないじゃないですか」
『万が一って事があるでしょ? というか公認? ハッ! ふざけるのもいい加減にしなさい。あんな脅迫まがいな事されたから、渋々認めたってだけじゃない。あなたの幼馴染の……、えーと、名前はなんと言ったかしら? とにかく、彼の行き過ぎた行為に巻き込まれただけで、こっちは飛んだとばっちりを受けただけ、そういう認識なんだから』
「……」突然口調が荒々しくなった恩田さんの言い草に、呆気にとられてしまう私。しかもヒロ君の名前もう忘れてるし。
「明歩をあんな怖い目に合わせたキッカケを作ったのは、恩田さんじゃないですか?」
徐々に怒りがこみ上げてくるのを抑えながら、何とか平静を保って話を続ける私。
『キッカケって良い方も気に入らないわね。そもそも私は、安川さんを襲えだなんて指示してないんだから。あの彼と同類みたいに言わないでちょうだい。とにかく、私はサッサと武智君と別れてほしいわけ。……しかしまさか、武智君が東京にまで来るなんてね。さすがの私も驚いたわ』
全く反省してないんだこの人。そして全く変わってない。相変わらず武智君との交際は認めてないんだ。上杉さんがマネージャーになってから、最近余り恩田さんとは話してなかったから、全く気づいてなかった。
『とにかく、今から帰ってきなさい。ああそれと、安川さんにはあの音声データ、譲るよう交渉するつもりだから。まあ方法は色々あるわ。高校生の子どもなんだし、すぐに返してくるでしょう。で、その音声データ削除したら、あなた達は別れる事。いいわね?』
私はとうとう我慢できなくなる。スマホをギリリと握りしめる。
「……許せない」『は? ……もしかして美久、あなた私に許せないって暴言吐いた?』
「ええそうです! 許せないって言ったんです! 明歩に交渉する? そんな事したって明歩が渡すわけない! じゃあ私、明歩に連絡して警察に行くよう伝えます! ああ、週刊誌にも連絡するよう明歩に連絡しますから!」
『な! ちょ、ちょっと美久!』恩田さんは焦った様子で何か言いかけたけど、私は最後まで聞かず電話を切り、そしてスマホを床に捨てるように置いた。
そして部屋の壁をぼーっと見つめる。何と言うか、裏切られたような、理解して貰えない苛立ちのような、どうしてこうなるの? というモヤモヤした思いといった、色々な感情が一気に湧き上がってくる。
……何なの? 何で私と武智君の恋路を邪魔するの? 今日だって恩田さんや上杉さんにも迷惑かけるんじゃないかって思ってわざわざ変装してたのに。恩田さんが私を売り出そうと尽力してくれてるのは分かってる。でも、でも私だって、譲れないものがある。
きっとすぐまた、恩田さんから電話がかかってくる。でも出る気がしない。出たくない。ほらやっぱりかかってきた。でも、床に置かれたスマホがずっとバイブしてるのを、私はぼーっと見つめるだけ。手に取る気がしない。
出たくない。恩田さんには私の気持ち、分からないだろうから。話したってずっと平行線のままだろうから。
そこで部屋のドアが開く音が玄関から聞こえてきた。武智君、戻ってきたみたい。
「ただいまー。何ほしいか聞くの忘れちゃって、適当にお茶とか買ってきたけど……」と、言いかけて武智君は私の顔を見て話すのを途中で止める。どうしたんだろ?
「……柊さん、どうした?」「……え?」
「泣いてる」「……え?」
そしてまた、止まってたスマホがバイブする。床に置いてるから武智君もその微かな音に気づいてそれを見てる。画面には恩田さんの文字。
「グス……武智君。武智君……」
私は涙が止まらなくなって、コンビニ袋を持ったままの武智君の胸に飛び込んだ。
「グス……うええーん、武智君、グス、ごめん、また泣いちゃって。グス、せっかく、ヒック、久しぶりに会ったというのに……」
「いいよ。柊さんの好きにすればいいから」
コンビニ袋を床に置き、武智君は私の頭を優しくなでてくれる。武智君の体温を感じホッとする私だけど、でも、悔し涙は中々止まらなかった。
次回更新は来週金曜の予定です。





