彼と巡る花言葉
少しの暇潰しになれば幸いです。
暗闇の空間の中、私はポツンと佇みじっとしていた。何もせずにただずっと。
ここは落ち着く。ずっとここに居たいくらいだ。そう思っていると、足元から白く細長い腕が生えて、私の足首を掴まえた。
ああ、そうか。私はもっと深い闇に落ちるのか。
「君に連れていかれるなら望だよ」
腕は何も答えない。答える変わりに私を下へと引きずり込む。
そして、私は白い空間へと落ちた。
◆
携帯のアラーム音に私は目を覚ました。
また同じ夢か。
深く寝ていたみたいで、凭れた丸い机にはベッタリと涎がついている。
それを服の裾で拭いとると、私は机の上に置いていた小さな小瓶を掴み、力の限り部屋の隅へと投げつけた。
瓶が割れ、中に入っていた白い錠剤が散らばる。
「嘘つき!」
舌打ちをうつ。
「何が大量に摂取したら簡単に死ぬことが出来る、よ! 全然生きてるじゃない!」
何度も何度も白い錠剤を足で踏み潰していると、ちくっとした痛みが足裏から伝わった。
割れた瓶の破片が混ざっていたのだろう。気付くと床が赤く染まっている。
「くそ.... 何で死ねないの!」
もうこうなったらと、引き出しを漁り、百円ショップで買ったカッターナイフを取り出す。
丸い円を回すとキチキチと刃が伸びる。私はそれを首もとに当て、深く息を吸う。
さぁ後は強く引くだけ。それだけで私は彼の元に行ける。大丈夫痛みはきっと一瞬よ。
暑くはないのに、汗がじっとり浮く。荒い呼吸を整え、固い唾を呑み込む。
刃を少し引くと、鋭い痛みがはしり、私はカッターナイフを落とした。
力なく、膝から崩れ落ちる。悔しくて、涙が頬を伝った。
私は臆病だ。弱虫だ。こんな痛みも我慢できないなんて!
「渡ごめんね.... ごめんね!」
もう居ない恋人に何度も謝る。
私には大切な恋人がいた。名前は渡。天真爛漫で子供のような、でも優しくてとても素敵な男性。
私が落ち込んでいるとき、いつも「大丈夫! どんなことも明日にはきっとなんとかなるさ。本当だって嘘じゃない!」そう言って親指を立て励ましてくれた。
彼と一緒にいると毎日が楽しくて仕方がなかった。明日は彼と何を話そう。何処へ行こう。ずっと彼といたい。
私は幸せに満たされていた。
しかし、そんな幸せは意図も簡単に崩れ去った。
一週間前、私に頼まれたお使いで出掛けた渡は居眠り運転のトラック轢かれ死んだのだ。
私は自分を呪った。彼のいない人生なんて意味がない。
その日から私は死を望むようになった。最初にしたのは首吊りで、これは失敗した。
ロープの結び目が緩かったせいで、途中でほどけたのだ。もう一回やろうとは思わなかった。
苦しさを思い出したら、気持ちが萎縮して出来なかった。
次にやったのは高いところからの飛び降り。
これも失敗した。高いところに立つと足が震えて、飛び込む気持ちになれなかった。
そして昨日。ネットで買った白い錠剤を大量に飲んで私は死ぬ筈だった。
「どうしたら死ねるの.... 」
ポタポタ滴る血を呆然と眺めていると、家の固定電話が鳴った。
覚束ない足取りで向かい、受話器を取る。
「もしもし、花屋さんですか?」
舌足らずで幼い声。電話相手は子供だろうか? 私は力なく答える。
「はいそうですが.... 今はもう経営しておりません」
受話器を置く。深い溜め息がでた。
「子供相手に冷たく接するなんて、最低だな私」
フラワーショップクローバー。渡と一緒に経営していた店。そこそこ人気があった。しかし、渡が死んだ日からずっと休業している。
暫く水もやっていないから店の花も枯れているだろう。
「どうでもいいか.... 」
それよりも早く彼の元へ行かないと。
さっき夢で見た白い腕。あれは渡の腕だ。渡は私が来るのをずっと待っている。
次の瞬間、視界がぐにゃりと歪んだ。足が震えて、私は床に崩れ落ちる。
薬の効果が今効いてきたのだろうか。よかったやっと死ねるんだ。
「大丈夫。今行くから.... 待っててね渡」
◆
暗闇の空間に私は立っていた。何もせずに佇んでいた。
ここは落ち着く。ずっといたい。そう思っていると足元から白く細長い腕が私の足首を掴んだ。
「うん覚悟は出来てる。私を連れてって渡」
腕に引きずり込まれ私は白い空間へと落ちた。
何時もならそこで終わっていた夢。しかし、今回は違った。
私は白い空間に立っていた。
「よかった。ちゃんと死んだんだ私」
しかし、どうしたら渡に会えるのだろう? 暫く歩いてみる。
歩いても歩いても続く白い空間。
何もない。ここには何も。歩き疲れて、その場に座る。
座ってぼーと上を眺めていると、目の前に腕が現れた。
びくっと震えたのは一瞬。次には歓喜が訪れていた。
「渡!」
抱き締める。しかし、渡の腕は空気みたいで、何の手応えもなかった。
「渡ごめんね! ずっと待たせて。寂しかったよね。でももう大丈夫。今日から一緒だから」
渡は何も答えない。それはそうだ。右腕だけなのだから。
渡は人差し指を立て、左右に降り、ぱちんと指を鳴らす。
次の瞬間白い空間はがらりと崩壊し、一面紫のお花畑になった。
紫の小さな花。知っているこれは渡の好きなマルバノホロシだ。
「凄い! 渡は魔法が使えるのね!」
一緒に花畑を歩く。
歩きながら私は思い出す。マルバノホロシの花言葉を。
背筋が少しゾッとした。しかし、私は直ぐにそれを振り払う。考えすぎだ。渡は好きな花を私に見せたかった。それだけだ。
渡は再び指を鳴らす。
一面の紫花畑は赤い花畑へと変わる。嘘!
私の動悸は激しくなった。
この花は.... ダリア!
私の唇は震えていた。汗が頬を伝う。私は空中に浮遊している右腕に向けて
「わ、渡。これってまさか」
腕はまたぱちんと鳴らす。
また紫の花畑に変わる。今度はマツムシソウだ。やっぱり、間違いない。
乾いた笑いが出る。馬鹿だ私。
「渡は私を恨んでいたんだね」
右腕は何も答えない。
マルバノホロシの花言葉は騙されないだ。そして次のダリアは裏切り、マツムシソウは私は全てを失った。
渡はこう言いたいのだ。私の言葉には騙されない。お前は俺を裏切った。お前のせいで全てを失ったんだと。
「ごめんね渡。ごめん。ごめんなさい!」
腕は何も答えない。変わりにぱちんと指を鳴らす。
ああ、今度は何だろう。憎しみ、悲しみの黒いバラだろうか。それとも復讐のクローバーか。
紫の花畑が緑一面に変わる。クローバーだった。私はそのクローバーをみて息を飲んだ。
「渡.... 何で」
右腕は何も答えない。ただ親指をぐっと立てた。
◆
固定電話の音に私は目を覚ました。ふらりと立ち上がる。
「結局死ねなかったんだ」
鳴っている電話を無視して、キッチンに向かう。蛇口を捻り、コップ一杯の水を飲み干して、自室へと戻る。
私はベットに倒れ、目をゆっくりと閉じた。
最後に見たクローバー。葉の枚数は七枚。意味は、
「無限の幸福」
何故、四つ葉ではなく七枚だったのだろうか?
そして最後の親指の意味.... まさか!
私は身を起こし、本棚を漁る。世界の「花言葉集」。あったこれだ。
目的のページを開く。先ずはマルバノホロシ。意味は騙されない。そしてもうひとつ、
「あなたを欺かない」
次にダリア。意味は裏切り。そしてもうひとつは
「華麗、感謝」
マツムシソウ。意味はわたしは全てを失った。そしてもうひとつは
「魅力、再起.... 」
本に滴が落ちる。
渡が本当に言いたかったこと。
あの言葉が、何時も私を励ましてくれた魔法の言葉が蘇る。
『大丈夫! 明日にはきっと何とかなるさ。本当だって。嘘じゃない』
渡。私....
電話はまだ鳴っている。私は走って受話器を取る。
「お電話ありがとうございます! フラワーショップクローバーです!」