第1章《箱庭戦争》(2)
そんな時だった。
目の前、数メートル先の茂みが揺れた。
考え事をしていたため、気付かなかったが、獣のような気配がある。
思わず腰を上げて身構え、息を潜めると同時に、茂みが割れた。
茂みから顔を出したのは、巨大な熊。
一見すればただの獣だが、はっきりと感じる殺気、何かを探している様子、そして契約が成立した時に感じた畏怖のような感覚が、その熊が、敵対する神の契約者であると告げていた。
辺りを嗅ぎまわり、見回す。
一歩一歩、着実に近付いてくる。
そして、熊と目があった。
「ーーーーーー!!!」
吠える。
吠えたける。
獣らしい咆哮が、夜の森を震わす。
同時に、晶へと突進する。
身構えていたおかげでなんとか動き、すんでのところで巨体をかわすと、鋭い爪が元いた場所の木々をえぐっていた。しかも、えぐれた木の断面は、空気に触れたところから、徐々に腐食している。
(木が溶けてる…?!)
その光景に、晶は明確な死を意識する。
振り返った熊の瞳は、ただただ狂気と殺意に満ちていた。思わず後退りするが、腐葉土に隠れた木の根に足を取られ、晶のバランスが崩れる。
「ヤバっ…!」
その隙を、敵対する熊が見逃す筈もなく。
「ーーーー!」
咆哮とともに飛び掛かる熊、全体重を載せた腕が、こけた晶へと降り下ろされる。
(あ、死んだ)
迫る毒の爪。
呆気なく、死ぬ。
なんの脈絡もなく、なんの意味もなく、ただ蹂躙される。
元の世界にはほど遠く、異世界で尽き果てる。
これが、命のやり取りか。
これが、戦争か。
その土台にすら立てず、理不尽に死に絶える。
死の感覚がもたらした、引き伸ばされる刹那。
死ぬ。
死ぬ。
死ぬ。
死ぬ。
死、ぬ。
…死、ぬ。
…死、んで、たまるか!
着火する。
燃え上がる。
加速した思考が、身体に埋め込まれた異物を呼び覚ます。
ーー名を呼べーー
人ならざる、声なき声に従い、晶の身体が音を紡ぐ。
「“歪なる骸の竜翼”ッ!」
世界に響く、言霊。
力ある音は、現実という事情を上書きして顕現する。
すなわち、迫りくる毒の爪を受け止める鎧として。
ガィン、と鈍く、鋼鉄の鳴く音。
熊が驚きの表情を見せる。
熊の体重を受け止めて沈む身体、その胸の奥で、白い炎が灯る。
めきめきと音を立て、虚空から土塊が集まり、骨の鎧を形作る。
熊の爪は、晶の掲げた剣に、受け止められていた。