負け犬は思う
「……尻いてぇ」
ブルクホルム王国王都と南辺境をさえぎる山の中腹、焚き火を前に疲れた顔で日誌を書く手を止め、つぶやきながら右手をズボンに差し込み硬くなった尻を揉みほぐす。
焚き火の先には、でかいイビキをかいて眠る汚いひげ面が二人。デカブツのゼスとやせっぽのコリン。俺たちは仲は良いし3人とも女はいない。が、尻が痛いのはもちろんそういう理由じゃない。10日程前にゼスに小脇に抱えられた俺は、こいつが全力疾走して疲れたところで放られてしこたま地面に尻を叩かれた。それ以来じんじんする痛みに耐えながら移動を続けている。
日誌を肩掛け鞄にしまいこんで横になり、ぼんやりと火を見ているとすぐに睡魔がやってきた。
――くぐもった間抜けな音がして、閉じかけたまぶたがぴくりと揺れる。ゼスの寝っ屁は毎晩だが幸い、臭いは届かない。ほんの少し勢いのよくなった気のする火を視界の隅に捉えて眠りにつく。
何かが焦げる臭いに鼻をしかめ、ぼんやりと目を開く。
「うおおおおっっ!!?」
いきなりの叫び声に覚醒する。寝転んだ体勢から左手で薄汚れた剣を掴み、横に転がる勢いで立ち上がる。右手でマチェーテを引き抜こうとして……視界に飛び込んできたのは、ぼさぼさのひげを焦げ付かせたゼスの姿だった。
「アハハっはっ、ごほっ、はは。 さすがはゼスだな!」
と腹を抱えて笑っているコリン。それに対してゼスが恨みがましい視線を送っている。
こいつら、緊張というものがないらしい。今の状況はなかなかに悪いはずなのに、何故笑っていられるんだか。まあそれに助けられてる部分は否定しないけどな。
「ったく、どんだけ寝相悪けりゃ焚き火に突っ込むんだか」
ゼスとコリンとはガキの頃からの付き合いで、いつも助けてもらってばかりだ。今までの人生、そのほとんどをこいつらと過ごしてきた。年上の二人の内、ゼスは子供の頃から体格がよく、物理的に俺を守ってくれていた。ゼスの隣を歩けば、あの汚い町をガキ2人で歩いていてもチンピラに絡まれることは無かった。
コリンの方は……まあ居れば場が盛り上がるとかそういったタイプだ。よくよく考えてみると特に助けてもらった記憶はなかったが、しょっちゅう一緒に馬鹿をやったのは覚えている。盗みを教えてくれたのはこいつだし、盗みがバレたらどうなるか身をもって教えてくれたのもこいつだ。
兄貴のように思って慕っていた二人だったが、山賊達を率いていた親父が急に引退して食堂を始めるなどと言い出し、俺が継ぐとなると二人は子分に。俺は親分になってしまった。
親父の引退宣言の後はひどいものだった。話を聞きつけた古参の賊達がこれを期に故郷に帰るなどと言い出して、団を抜ける者が続出。残ったのは比較的若いやつらばかり、たったの10人ほどにまで減ってしまったのだった。もっとも今は更に減って3人だけな訳だが。
ともかく、馬鹿二人のおかげで目は覚めた。焚き火は消えかかり、辺りはうっすらと明るくなりはじめている。山の寒さにはすっかり慣れてしまったが、水が無い状況なんてのはこの23年の人生で初めてだ。昨日は3人で小樽のビールを飲み干したが余計にのどの渇きは強くなった。コリンのやつ、数日歩くことになるから水を用意しろと言ったのに、開けてみれば樽の中身は薄めたビールだった。
さっさと川まで行って全身で水を味わいたいもんだな。
「遊んでねえで荷物を纏めろ! 10分で出発だ」
「あいよぉっ」
まだ口元に笑みを浮かべながらコリンが答える。
「おう」
ゼスはコリンを一睨みして荷をまとめていくが、焦げてしまったひげが気になるらしく、左手がちょくちょくあごに伸びてひげをしごいている。
かくいう俺もひげ面の土まみれだ。ほんの10日ばかし前まではひげ面は変わらないが、ここまで汚れてはいなかったというのに。
汚いのと男らしさの違いは紙一重なのかもしれない。今のゼスは汚い上に間抜けな焦げたヒゲ面だ。やはり山賊にとってヒゲは大事だ、と少し悲しげなゼスを見ながら考え込んでしまった。
「悪かったよ、そんな怒るなっての!」
コリンが荷物を背負い、ゼスの肩を叩いてこちらへ歩いてくる。この男は反省しているように見えない。
「なあゾルタン、これからどうするんだい? 山を降りるにしたって、ザンドラの町へは行けないだろう?」
その通りだ。そもそも、そのザンドラの町でやらかしてこんなとこまで逃げ込んだのだから、戻って捕まる訳には行かない。
「あぁ、当然だな。東に進んでパルゴの村を目指す」
パルゴの村はザンドラの町から北東へ徒歩で半日、いくつかの村を抜けた先の山のふもとにある小さな村だ。一応はザンドラ子爵領に入ってはいるものの、ここまで来る旅人も行商人も滅多にいないし、徴税官すら近づかない忘れられた村と化している。ついでに俺の祖父、アーベルも住んでいる。
焚き火の位置から東へ半日、マチェーテを振るって邪魔な枝やツルを払いながら進み続けて、ようやく水場に出た。この山には王国と南辺境をつなぐ街道があるが、それだって邪魔な木々を切り倒しただけのもので足元は悪く、荷馬車などでは恐ろしいほどゆっくりとしか進めないような悪路である。俺たちはそんな糞ったれの街道を横切るようにして、険しい山とでかい樹木、棘付きのツルをぶった斬って進んできた。おかげで服には無残に穴があき、腕にも顔にも無数の傷がついているし、体力の消耗も酷いものだった。
「今日はここまでだな。明日中に村まで行くから休んでおけよ」
「おうよ」
ゼスは荷を下ろしてあぐらをかく。彼には3人分の食料を運んでもらっていたから、一番疲れもたまっているだろう。いつもどおりの返事にも元気が無いように思う。
「う~っす。ゼス、飯よろしく!」
コリンは歩きながら脱いでいたらしく、既に裸で川に向かっている。昔から、たまにこういう変に器用なところがある男だった。
俺は川べりで荷物を降ろす。アジトから持ち出した僅かばかりの財産と毛布を置き、膝をついて顔を水面に突っ込むと冷えた水が熱くなった体に心地いい。そのまま口を開けば土ぼこりと固まったつばを洗い流してくれる。切り傷だらけの顔に痛みを感じるが、それも生きていればこそのものだ。
俺は濡らした布で体をこすりながらこれからのことを考えていた。ゼスも少し離れたところで川に入っていて、今はコリンがゼスと交代して火の番と飯の準備をしている。
この先にあるバルゴの村には幼い頃に数える程だが行ったことがある。数年前に親父から婆さんが死んだと聞かされたが、じいさんの方が死んだという話は聞いていない。
「最悪、屋根があるとこで休めりゃいいか。長居する訳にもいかねーし」
祖父は王国が南辺境の開拓に乗り出したのと同じ時期にこの辺りの盗賊、追いはぎ、町の厄介者達を従えて今の山賊団の基礎を築いた男だ。
引退してパルゴの村に居付いてからは、ザンドラの町の人間も行商人もびびって村を避けるようになった。元々が町や村を追い出された奴だったり、事情があって逃げてきたような奴らが100人ばかし集まってできた村だけあって、祖父の性にもあった土地だったのだろう。
その祖父が率いたかつては50人以上、末端まで含めれば数百人の規模だった盗賊団も、父の代には30人前後になり、去年に俺が継ぐやいなや10人となって、いまや3人のみ。このような惨状が祖父に知れれば烈火の如く怒りだすのではないかと思うと肩が震えた。
「……やっぱ死んでてくれた方がいいわな」
「お~い、飯食おうぜ今日は肉もサービスだ」
コリンに呼ばれて、俺とゼスは急いで水を落として焚き火に集まる。山の夜はかなり冷えるため暖かい食事を逃す訳にはいかない。今日の飯も熱々のスープにカチカチの黒パンだが、スープには塩っ辛い干し肉が入っていて、それだけで今日は贅沢な気分になれる。
「うめえな」
スープに黒パンをひたして口に運べば、塩と肉の旨みが広がる。わがままを言えば肉は串焼きにして食えるだけ食いたい所だが、ゼスの担いできた肉はそもそもこれからの冬に備えておいたものなのだから、いま食ってしまえば後で困ったことになるのは目に見えている。
スープのしみ込んだ黒パンを噛み締めながら、最近の日課となった日誌をつけることにする。
「まったく、俺ってやつは……とんだ間抜けだな」
とりあえずブックマークしておきましょう?