30 足音‐1
カミーユが「う~ん、う~ん、うん?…う~ん…」と首を傾けながら唸っている。立てている人差し指は頬に刺さり柔らかい頬がぐにぐにと形を変えている。きっと爪のあとが付いていることだろう。
これから各々の活動に移るところで、僕ももうそろそろ部屋を出ようかと思っているところだ。
何かあるのなら唸っていないで言ってほしい。
マリエルは様子を見守っているだけだし、ジルは聞き耳を立ててはいるが自分から何かそれについて振るつもりはないらしい。
最近、ジルはなんか疲れているのか、根の詰め過ぎなのか、僕と一緒に居てくれることが減った。
僕、マリエルみたいにうざくないと思うんだけど。そうでもなかったのかな。
僕的には、ジルとは恋人関係じゃないけど、誰かとそうならなくちゃいけないのならジルが好いと思うくらいにはジルのことが好きだ。そうじゃなくちゃ、こんなに一緒に居ない。
仕事をするのもいたずらをするのもジルと一緒が気分もいいしやりやすいし、結果も良好だ。
だから別行動が増えてきているのが少し寂しい。
それはさて置き。
僕が突っ込み役なの?僕って、そういう位置だったっけ。
「うんうん」五月蝿くてうざいから、もう声掛けちゃうからね。
「カミーユうんうん何?うざいんだけど。何かあるならはっきり言ってよね。何も無いなら、僕達出かけるよ?」
カミーユが驚いた顔をして、目をぱちぱちとさせた。ほら、やっぱり爪のあとが付いちゃっている。マリエルが消してあげるだろう。
「あ、ごめん。私、うんうん言ってた?」
「うん」
シャレじゃない。ないったらない。
ジルが冷めた目でこちらをチラリと見た。
マリエルが一瞬だけジト目になった。
僕の視線に気付いたカミーユが釣られてマリエルを見た時にはすまし顔に戻っている。『…腹黒め』という僕の心の声に『褒め言葉として受け取っておきましょう』とさらりと返された。
もう、いいから話を戻して。
「あ~、あのね。う~ん、なんて言ったらいいのかなぁ」
この間にマリエルがさらっとカミーユに寄り添っていた。素早い。
「あやふやな事、どんな些細な事でも言ってください」
まだ少しためらいがあるように見えるがぽつぽつと話し出した。
その表情は唸っていた時より浮かない。
早く教えてもらえて良かった。
僕達、まだ、全然分かっていなかった。
うん、始まるんだね。
集め足り無くて動かなかった歯車が動き出す。
誰も声には出さなかったし念話も使わなかったけどジルもマリエルも同じような事を思ったと思う。
◇◆◇
最初は気のせいだと思った。
外を歩いているとほんの僅か、絶対気付く筈がないほどの本当に僅かな何か。例えるなら冬服を着ていてその上にコートを着ているのに、背中をティッシュペーパー1枚でふわっと撫でられたような気がす
るくらいの僅かな、『絶対気付くはずがない』感覚。
気のせいって思うのも馬鹿馬鹿しいくらい有りえないこの感じ。だって、多分、本当に気のせいだから。
でも、妙に引っかかる。
「一応軽~くチェックしておこうか」
久しぶりに視てみる。
相変わらず、数体から10体の悪霊を憑けている人だらけだ。いつもの街並みである。
特に人にも建物にも異変はない。特徴的なものを憑けている人も居ない。
デビューイベントも近いから忙しい。
だから様子見でいいいかなと判断した。
マリエルは隠しているが、このイベントに掛かる金銭の工面だろうと思うがバイトに行って働いている上に私達と同じことをこなしている。
ジルには悪いが、商工会の人達の守護霊の相手を任せている。気付いているけど、それどころではない。
気のせいだと思っていたあの感覚が少しずつ強くなってきている様な気がするのだ。
ジルと歌ったあの日にも感じた。
その日、歌っている最中にそれまでより強く感じた。
ティッシュでふわっていう程度が羽ペンで撫でられたくらいになり、それが厚手のセーターの上から指をツツ~とされたくらいになり。けど、これくらいだってまだ気のせいかもで済ませられる程度だ。
それがあの日、あの時、突然、背中に1つ氷を落とされたくらいヒヤリときた。
その時は取り繕っていたが、その感覚をもたらしたものから離れたくて、ジルとは違う方へ走った。
しかし、その時を境にまたほんのりとしか感じなくなった。だから言う必要は無いと思った。
あの日はたまたまあの人垣の中に、何か紛れ込んでいたのだろう。次、同じ様な感覚がしたらその時に報告すればいい。
それからまた数日。今日はまだ部屋の中に居るのに、何か感じる。
ぼんやりだけど、それは「予感」といえばいいのだろうか。
あまりにぼんやり過ぎて言うに言えなかった。
言っていいのか、言ったら無駄にむやみに混乱させ神経をすり減らすのではないか、そんな風に考えたらどうしたらいいのか分からなくなった。
マリエルにはどんなに小さなことでもいいから勘に引っ掛かったら教えるように言われていたけれど。それでも今みたいに忙しい最中に言うほどの事でもないかな…なんて。
いや、違う。
夢が叶いそうな時に邪魔が入るのが嫌だった。
今が楽しいから、また悪魔と対峙しなければならない可能性を否定したかった。
充実し始めた現在から「特務課の仕事」という裏の顔に戻るのが嫌だったのだ。
この世界で繋がりが出来てきた。
やっと、カミーユという「人間」を認めてもらえてきた。
そして、生きているという実感を得始めていた。
「日常」といえるものが出来上がりそうになっていた。それを壊されるのが怖かった。
感じる何かについての話が半ば懺悔になっていた。
三人とも私を軽蔑しているかもしれない。怖くて誰の顔も見れずに話していた。話し終わった今も皆の顔を見ることができない。
私の中ではやっと手に入った幸せだ。
自滅に焦り。数々の失敗を重ねて漸く夢が掴めそうなところ。
それが、私が自分の幸せを優先したせいで壊れてしまうかもしれない。
たった四人しか居ない、本当に分かり合える仲間を失ってしまうかもしれない…怖い。
再び手に入れたものがこぼれていく幻影が見えた。




