3男の生まれた日
2014年の2月上旬。
予定日まではおよそ一月、明日は保育園の発表会という日のことでした。
仕事は休暇に入ってガリガリ書くぞ!と思っていたのですが、検診に行ったら微弱な陣痛(本人自覚ないくらい微弱)きてるし早産にならないように安静のため入院命令が出ました。
「明日保育園の発表会なんで、その後じゃ駄目ですか?」
と尋ねるも、
「駄目。ていうか、今すぐこのまま入院。家族に荷物もってきてもらって」
バッサリでした。
まぁその日は入院したものの、何事もなく一晩が過ぎました。
夜中に2回くらい軽く腹痛がありましたかねぇ。
で。朝6時頃。
ナースステーションから、検査をするから来いと呼び出しを受けて歩いていきました。
ナースステーション横の検査室にて、陣痛とか胎児の心拍数とかをモニターする機械をつけられ、およそ30分…………
痛い。
10分おきくらいに痛い。
陣痛キタ―――!!
看護師さんに「これはもう生まれるかも。旦那さん呼んで!」と言われ、旦那に電話。ちびたちにご飯を食べさせて用意をしていた旦那は「できるだけ早く行く」とのんびりしたものでした。
まぁ、ちびたち発表会ですからね。最低限、ご飯食べさせて用意して連れて行かないといけないですから。
でも、電話した後しばらくするともう5分おきくらいに、いやもうほんと死ぬほど痛い陣痛がくるようになって。
諸々の事情で帝王切開じゃないといけなかったので、手術用意をしながら待ちます。
30分経過。
手術の用意はできた。
あとは家族に手術同意書にサインをもらえばすぐ始められる状態で、旦那待ち。
陣痛は最盛期で3分おきに死ぬほど痛い。
ここで、医者の決断。
「これ以上待ってると子宮破裂の危険があるから、同意書はあとで書いてもらうけどいいよね?」
本当は事前にもらわないといけない同意書なのですが、ふたつの命かかってますので決まりがどうのとか言ってられません。
痛みで意識朦朧としつつ手術室へGO!!
局部麻酔が効いてきて陣痛から解放された瞬間、「た……助かった……」と思いましたね。本当に命からがら逃げ延びた感じです。
「じゃ、はじめるよー」
と、医者がメスを持って言った時、看護師が駆け込んできます。
「旦那さん、到着しましたぁー!!」
「おー、ギリギリ間に合ってよかったよかった。じゃ、はじめるよー」
あぁ、ちなみに医者は本当にこんな緊張感のない人です。
こっちは死ぬほど陣痛に苦しみ、これからお腹切られるっていうのに、ムカつくほど慣れていらっしゃいます。
そんなこんなで無事に取り出された3人目が1週間後「そうた」の名前をもらったのでした。
ちなみに、旦那は無事に生まれたことを確認したのち、長男次男の発表会へ。
半分は逃してしまいましたが、半分はビデオに収め、病室で発表会を見ることとなりました。
しかしね、手術後で笑うと傷が痛いのに、次男の発表会のダンスの演目が「ヒゲダンス&バカボン」って……先生、私を殺す気ですか……?