The past story -third episode-2-
けど、目の前が真っ黒に染まったのは、俺が気を失ったからじゃなかった。
「紅、大丈夫?」
耳元で囁かれたのは、紛れもなく姉さんの声だった。俺は優香姉さんの上に倒れこむような格好になっていた。辺りが真っ暗なのは、また姉さんの出した黒い物に囲まれでいるかららしい。
ふと、姉さんの匂いが胸の中に広がった。すると突然、普段なら、絶対に言わないような言葉が出てきた。
「馬鹿野郎。姉さんの、馬鹿野郎」
本当はこんなこと言いたくないのに、とどめなく出てきてしまう。
「だから言ったんだよ。やめた方が良いってさ」
「こう……」
「いまさら言っても無駄だよ。姉さんも、もうじき死んじゃうんだよ」
「そんなこといわないの」
「言うよ。ばか!僕だって、姉さんのこと大好きなんだもん。兄さんも姉さんも、みんな大好きだったんだもん」
「やめるのよ」
「なのに、なのに。みんなすごかったのに、かっこよかったのに、一番ダメな、弟が、どうして生き残っちゃうんだよ!」
「こうはいい子よ。ダメな子なんかじゃない」
「僕も、姉さんみたいになりたかった。強くて、かっこいい、魔法師になりたかったんだよぉ……」
突然あふれでた涙が止まらなかった。でも、ねえさんは、しっかりと僕を抱いたまま、頭を撫でてくれた。
「いい、紅。私はもう持たない。これが最後のお願い。だから、ちゃんと聞くのよ?」
姉さんのその言葉に、闇の中で頷いた。
「私たちが生まれてきた理由は、『透明人間を作るため』なんていうちっぽけなものだけじゃない。私たち兄弟のカードがどこかに隠されている。それを探すの」
「探して、どうするの?」
「それは、その時わかる。けどこれだけは忘れないで。『私たちの魂は、死んでもなお受け継がれる』」
「わかった」
「それじゃあ、私を囮にしなさい」
「え?」
「私は、重罪を犯した。だからもう生きていけない。それに、紅はもう、自分の力に気がついた」
「力って?」
「今、違う世界が見えていること、誰にも言わないで。誰にも気がつかれないようにしなさい。ひたすら無能を装って、自由を勝ち取るの。そして、幸せに暮らして。私たちの代わりに」
「姉さん」
「紅、愛してるよ。これまでも、これからも」
俺もだよ、と。そう言いかけて暗闇の世界は終わりを告げた。
さっきと同じように、暗闇がボロボロと崩れていく。そして、そこには訓練室での
「まだ高密度の暗黒物質を重ねて維持する力が残っていたとはな。だが、もう魔力が尽きたんじゃないか?」
現代における魔力というものは、こちらの世界に漏れ出てきた幻子を魔素に精製する力。精製した魔素を貯めておく力。そして、魔素を再び仮想世界に送って魔法を発動する力。つまり、変換力、収容力、干渉力の三つをひっくるめた力の総称だ。そしてこれらは、魔術師であれば呼吸と同じくらい自然に行っていることだ。だから、「魔素が尽きる」ではなく「魔力が尽きる」と言うのは言葉的におかしい。だが、あえて言うなれば、それは「生命力が尽きる」ということになる。
「最期に言い残すことはないか?」
姉さんは、俺を抱きしめる手に、力を込めた。
「私は、あなたたちには負けない。兄弟を殺した罰を受けさせる」
「笑わせるな。そんな体で何ができる。地に這いつくばって死ね」
「待って!!」
俺は自分でも驚くような速さで姉さんの前にたって、両腕を広げた。
「やめて、姉さんを殺さないで!!」
「反逆者には死あるのみだ」
「ち、違う。姉さんは、反逆者なんかじゃない!!」
「違わない。研究を拒むばかりか俺に手を出した。これは明確な反逆行為だ。早くそこをどけ」
「い、いやだ。俺は、姉さんを殺さないっていうまでここをどかない」
「全てはお前のせいだというのに、生意気なやつだ」
「なにを……」
「お前は無能すぎる。私の理論は完ぺきなはずなのに、お前が無能であるがゆえに、優香は傷ついていくばかりだ。
言い返す言葉がなかった。俺は無能なのだから。
「それで、ついには優香も呆れ果ててしまったんだろう。お前が魔法を習得しないがために、自分の命が磨り減らされることに、気が付いて、嫌気がさしたんだろう。自ら死を選ぶというのは聊か性急だと思うがな」
俺は何も言えなかったけど、一つだけ、心に決めた。
「だったら」
自分が存在することで自分の大好きなものを守ることができないならば。
「どうしても姉さんが死ななくちゃいけないなら……」
自分の命に代えて大好きなものを守りたかった。
「おれを!! 俺を代わりに殺して!!」
そういうと、目から涙が零れ落ちた。それでも、俺は両手を広げたまんま、所長をにらみつけた。所長が何を思ったかはわからない。だけど、次の言葉が出てくるのにそれほどの時間はかからなかった。
「良いだろう。軟弱なお前の勇気に免じて、代わりにお前が死ね。ただし……」
所長が俺に向かって手をさしだした。ただし、その手には、細長い白い点の集合体が乗っていた。
「光の短剣だ。その辺の標準武装の剣よりも、楽に逝ける。一思いに、自分の首を掻っ切れ」
恐る恐るその短剣に触れた。そこに質量はなく、ただ触った固体の感触があるだけだった。
俺は、もらった短剣をゆっくりと逆手に持ち替えた。同じ死ぬにしても、言われた通りに首を掻っ切る気はなかった。死ぬなら自分の好きな形で死にたいと、そう思うだろう。
「紅!!」
一瞬だけ、茫然と見つめるモノクロの世界に兄弟の顔が見えた気がした。
「バカッ!!」
誰かが叫んだのが聞こえた。姉さんだろうか?
――サヨナラ、姉さん。僕はちょっと先にみんなのところに行くから。
そうして俺は、意を決して目を瞑り、逆手に持った短剣を自分の胸に向かって引いた。
その瞬間。暖かいものが全身を覆った。肉を抉る感触そして、そこからあふれ出る血の生暖かさが手を伝った。しかし、それは俺自身の体の感覚とは全く違っていた。
声にならない呻き声を上げて、姉さんが口から血を吐いた。それが、そのまま俺の右肩を真紅に染めた。
「何、やってんの?」
「あん…たが……死のうと、するから……」
俺が短剣を引く瞬間。俺の後ろでうずくまっていた姉さんが最期の力で起き上がり、俺の手から短剣を奪い取ろうとしたのだろう。けど、そのせいで短剣の軌道がズレ、姉さんの胸に突き刺さってしまったのだ。不幸なことに、所長の剣は良く切れる。ちょっとのちからでも、すぐに突き刺さってしまう。
「待って、姉さん。ダメ……死んじゃ……ダメ……」
短剣を手放して、姉さんを抱きかかえたはいいが、崩れていく優香姉さんの体重を支えきれずに、俺は地面に膝をついた。俺は姉さんに、短剣が刺さった部分に当たらないように、全体重を俺に預けさせた。
すぐに、涙が頬を伝った。声は出なかった。それどころじゃないのかもしれない。全てが壊れていくような気がした。愛する者の代わりに死のうとして、愛する人を殺してしまった衝撃は、尋常なものではなかったのだ。精神は硬直し、やがてどうしようもない混乱が襲ってきた。その激しさは、精神自体を壊してしまうほどに。そして、今ここで無意識下の中で押さえつけていた、抑えつけられていた力を覚醒してしまうほどに。
「こぅ……だ…め……」
その時、消え入るような姉さんの声が耳に入って、俺は正気を取り戻した。
「こぅ……これ…が……さい……ご」
本当に、虫の音のような声に俺は、全ての神経を集中させた。
「なに、姉さん」
「ちから…は……つかう…な。わた…は……っと……そば……に……」
姉さんの体の重みが増した気がした。
「優香姉さん……」
少しの間止まっていた涙が、滝のように流れ落ち始めた。
「姉さん!! 姉さん!! 姉さん!!」
近寄ってくる足音には気がつくことなく、俺の慟哭は続いた。