第0回 亡霊が戯れる前
ゾンビとは仮想の世界の話。それが当たり前。死者が生き返るわけがない。
しかし、死んでいるように見えて、死んでいない場合はどうなるのであろうか。
山の高台に一軒の民家がある。なんの変てつもない民家だが、なぜかその周りには一軒たりとも民家がない。給水塔があるくらいだ。
その民家には地下があった。螺旋状の階段を下ると奥に部屋がある。その部屋の扉は鋼鉄で出来ており鍵穴も3つとかなり厳戒だ。
その扉(意外にも引き戸だ)を開けると、目の前に机と椅子があり、椅子の上には初老の若干禿げ上がっている男が座っている。
壁と一体化した机の上には波形や数値を写す画面や電子機器、ペンにノートと雑多だ。
その横にある扉もやはり鋼鉄製だが、そこをくぐるとガラスの向こう側だ。凹凸の壁で何も無いその部屋には唯一ベットが1床ある。その上には軍服を着た男性が横たわっていた。
椅子に腰をかけていた初老の男が首を捻りながらため息をつく。
さすがに3日連続の徹夜は辛い。眠い、というより体が重い。正直に言えばすべてを投げ出てベットに入りたい。その前にとっておきのブランデーをあおるのも悪くない。
が、最高指導者様からの命令だ。背けば良くて更迭の上強制労働、下手すると極刑だろう。それにこの研究が成功すれば褒美に確実な地位、なにより歴史に名が残る。
ふと机の脇にある画面を見ると、数値が上昇し始めているのが分かった。ここまではいつも通りだ。思えばこの研究を始めてかなりの年月が過ぎた。
「貴様がこの研究を行うのだ」
前最高指導者からこの命を受けたのは、彼...いやあの方が亡くなる半年ほど前だ。
あの方は私を最高指導者専用の部屋(とはいっても、その日によって部屋は変わる。複数の部屋を持つことにより暗殺を防ぐためだったらしい)に呼び出されこの言葉を受けた。
以前、あの方のご容態が悪化したとき、わざわざフランスからロシア経由で高価な薬を取り寄せてあの方に献上した。それをもとに研究し、我が国でも生産できるように改良を加えた上で、長期間服用できるように多くの薬を献上した。
結果、あの方から絶大な信頼を得た私は「ある研究」を任された。
そして、あの方が亡くなった後も研究を続け、成功させることが唯一の供養になると信じてきた。
失脚した政治家や軍人、国家反逆の罪で収監されていた農民や外国人、多くの人間....いや被験者を使った。その多くはこの金王朝に異を唱えるものばかりであった。その時点でこの国にとっては``非人間``だ。「それこそ``腐る``ほどいるから案ずるな」と、この実験の総責任者である武力偵察部の大尉は言っていた。
実験は5段階に別けられていたが、第2段階に行くまでに1,000体の死体を量産した。第2段階までなんて初歩の初歩だから説明は省く。
第3段階では死体の体内でウィルスが生き続ける実験をした。これ自体では、死体が出て当たり前だがそれでも300体量産した。
そして、第4段階。ここが一番難しい。いかに脳に侵食し、血液の流れを保たせるか。ここまで、長い歳月がかかった。それも今日結果が生まれれば...。
数値はそのまま100を越え、150に届いた。心電図を慌ててみると...止まっている。やった!!、成功だ。
異常はすぐだった。上昇が止まらないのだ。180を越え、200、210、230、250.....。死体がピクピクと動き出したと気づけば、あっという間に暴れだした。鉄製の拘束具をつけているから、この窓が破られることはないだろうが、それでも嫌な気分だ。
しかし、実験は成功した。しかも予想以上に。血圧は....310を示していた。心肺停止で血圧310。これは「異常」だが、私にとっては何より「成功」を示す証拠だ。あとは、このウィルスの遺伝子に人間、いや生物にある欲求行動....即ち「食べる」のみを脳が指令するよう植え付けるだけだ。
ただ、血圧が高いぶん、腐敗化も早いだろうが問題ない。1ヶ月持てばいいのだ。我らが親愛なる最高指導者様、貴方に報いるときが来たようです.....。
この国において、3代目の最高指導者は昨年、痛風を発症した挙げ句、重度の糖尿病となり入院していた。そのため、代理として3代目の妹が国家運営を行っていた。彼女は報告を聞くとただちに「万歳突撃作戦」の実行を命じた。
しかし、このウィルス製作に関わっていた者の1人がウィルスのサンプルを持って逃亡した。
ただちに、海軍による追跡が行われたが燃料不足でまともに追跡できない始末。
しかし、これらのウィルス作製並び、実験の総責任者たる男は「奴が行くところは決まっている」と言って、中国経由で日本へと旅だった。
不本意ながらもウィルスが国外へと流出した瞬間に「万歳突撃作戦」は実行へと移されていた。
俺はついている、そう男は思った。バックの中身を除くと自分が今まで実験要員として働いてきた「成果」が入った小瓶があった。これが世界に拡散すれば我が祖国の栄光どころか、待っているのは全人類の破滅だ。
1週間前、東海艦隊お膝元の元山〈ウォンサン〉側の漁港から漁船を盗んで逃げたときは我ながら馬鹿だと思った。案の定東海艦隊所属の魚雷艇が追尾してきたが、燃料不足のためか直ぐに引き返した。
しかし、自分が盗んだ漁船も案の定すぐに立ち往生。あとは、潮の流れにのって運と根気で耐えた。食料として持ってきた日本製の「カロリー」なんとか、という物をかじりながら。
そして、運は味方し俺は耐えた。どこかはわからないが日本国の東海(日本海)側沿岸部にたどり着いた。日本の海軍や海上警察に捕まらなかったのが奇跡だ。いや、いっそ捕まった方が良かったのかもしれない。
しかし、自分の目的地は韓国系アメリカ人の友人が働くアメリカ疾病予防管理センター(通称「CDC」)だ。そこなら身分も確実に保証されるだろう。
この国の言葉、特に「漢字」については読める自信がある。そして、日本の地理も。なんせ自分は元対日工作員だ。とりあえず太平洋側へ。
観光案内板と思しき看板に「山形県・鶴岡市」の文字があった。決まりだ、向かう先は宮城県、そこから船で向かうことにしよう。