第5話
「はい、どうぞー」
ソルマが扉に向かって声をかけると、一呼吸置いて扉が開く音が耳に飛来するなり、部屋に1人の司祭が入ってきた。
「ネイジーク殿…聖女様より伝令を言付かって参りました」
聖女と聞いてソルマの表情が一瞬険しいものへ変わる。
「何…聖女から? 一体どんな内容だ?」
「詳細は教えて下さらなかったのですが…これから応接室にいらして欲しいとの事です。事情は追って聖女様の方よりご説明なさるそうで。聖女様も今そちらにいらしております」
「応接室に…? あぁ、そういえば来客があるとか何とか言ってたな…」
思い当たる節があるのか、口元に手を当てながら先程のミトネとの会話を思い浮かべるソルマ。
彼女じきじきのご指名となれば、一介の騎士が拒否する権限も無いであろう。
やれやれ、と小さく息を吐いてから改めて司祭に向き直ると、
「分かった。今直ぐ向かう」
漸く一休み出来ると思っていたのに、このタイミングの悪さは一体何なのだろう…。ソルマは自分の運の悪さを内心呪いつつ、表面上は平静を装おう。
すると、司祭は深々と一礼してから役目は終わったと部屋を立ち去った。
「はぁ…しょうがない、行ってくるか。…あ、くれぐれも俺がいない間、女性連れ込むなよ?」
「わーってるって。オレがそんな軽い男に見えるか~?」
「見えるから何度も念を押して言ってるんだろ」
「うわぁ即答かよ。マジつれぇ超つれぇ」
わざとらしく恨みがましい眼差しを送るシグニスであるが、そもそも普段の行いが信用するに値しないのだから自業自得であろう。
ソルマは気を取り直すと、言付けに従い応接室へ向かうべく自室を後にした。
◆◇◆
「護衛…か?」
「うむ。聖女殿たっての希望だ。これから、我が街と交流のあるフェルナント国から来客がある事は知っておろう? その際、そなたに聖女殿の護衛をして貰いたいのだ」
言付けに従って応接室へとやってきたソルマを出迎えたのは枢機卿、枢機卿の護衛を命ぜられた騎士団の精鋭、そして聖女──ミトネその人である。
そこで枢機卿から今回呼び出された詳細の説明を受けている所だ。
枢機卿の説明に、ソルマは先程ミトネから聞いた話を思い浮かべる。
「ああ…来客の話は聞いている。聖女の希望とあれば、俺が断る権限は無いだろうしな」
あくまで冷静な騎士を装いつつ、二つ返事で了承するソルマ。
もとより、テンプルナイトとはこの教会と教会に従事する者を守る事こそが使命であり、拒否という選択肢など存在しない。
すると、今までソファに腰掛けて会話を傍観していたミトネが徐に立ち上がると、ソルマへと視線をずらした。
「護衛と言っても、本当に危険が及ぶ事は恐らく無いと思いますわ。けれど、護衛をお願いするのでしたら気心知れた相手が良かったものですから」
ミトネとしても、幼馴染であるソルマに護衛を頼む方が精神的にも気楽なのだろう。
にっこりと微笑みを浮かべるミトネを横目で見やりながら、枢機卿が半ば呆れたような声色でポツリと呟く。
「全く…聖女殿の我が侭にも困ったものだ。そなたも、このような重大な任務に就ける事を光栄に思うが良い」
「……身に余る光栄だとは理解している」
内心ミトネの気紛れに振り回されて面倒な事この上ない、とぼやきつつも、表面上は一応当たり障りのない発言でお茶を濁す事にする。
すると、枢機卿の傍らに控えていた騎士の1人──恐らくは、騎士の中でもかなりの地位にいる相当な人物なのだろう──がソルマに冷ややかな眼差しをぶつけた。
「本来、駆け出しの下っ端風情が就ける任務では無いと心しておけ。聖女の幼馴染だか何だか知らんが、調子に乗らない事だ」
明らかに悪意のある、明確にソルマを攻撃するべく放たれた言葉。
流石のソルマもカチンと来たようで、負けじと鋭い視線を投げかける。
「別に調子になんか乗っていない。大体、今回の件だって俺にとっては寝耳に水だ」
「フン、どうだかな。それに随分と聖女に気に入られているようだが…貴様のその容姿に釣られただけだろうに。まんまと誑かされるとは聖女も所詮その辺の女と変わらんな」
「下衆な事を…! ミトはそんなんじゃ──」
騎士の下卑た挑発だという事は、ソルマも分かっていた。
けれど、騎士の言葉を耳にした瞬間、身体の奥底から怒りの炎が湧き上がり、一気に頭が沸騰してしまったソルマに冷静な判断が出来よう筈も無かった。
怒りに支配された表情で騎士に掴み掛ろうとした…その刹那。
不意に鈴の鳴るような可憐な声が辺りに響き渡った。
「あら…騎士様、貴方もとても素敵な殿方ですわ。こうして、教会や街の方々の為に身を呈して下さるのですもの、なかなか真似出来る事ではありませんわ」
一斉に声のするようへと視線をずらせば、其処にはふんわりと穏やかな微笑みを浮かべたミトネの姿。
彼女が尊敬の眼差しを騎士へと送れば、騎士はすっかり毒気を抜かれてしまったようで、
「いや…その、私などまだまだだ。全く、聖女は世辞が上手なようだな」
「お世辞なんて心外ですわ。わたくしは本当の事を申し上げただけですもの」
相変わらずにこにこと微笑みを浮かべながら騎士を誉めちぎるミトネの姿に、ソルマも呆気に取られてしまった様子。
完全に怒りの矛先を失ってしまい、宙ぶらりんになってしまったそれは空中で飛散する羽目となる。
…と、今までずっと黙って3人のやり取りを傍観していた枢機卿が突如会話に介入してきた。
「何を油を売っておるのだ、そろそろ客人がやってくる時刻だ。私が出迎える手筈となっておる故、聖女殿は此処で待機をお願いする。…そなたは私の護衛を頼んだぞ」
「はっ、畏まりました」
枢機卿はミトネと騎士の顔を交互に見遣りながら、淡々とこれからの流れを端的に説明する。
それを言い終わるや否や、枢機卿は騎士を伴って応接室を後にした。
残されたのは、ソルマとミトネの2人ばかり。
何となく会話が途切れてしまい暫く沈黙が辺りを支配していたが、それを打ち破ったのはミトネであった。