第3話
さりげなく辺りに誰も居ない事を確認すれば、聖女の表情が一変する。
明らかに面倒臭そうにジト目になれば、
「なーんだ、ソルお前かよ。わざわざ猫被って損したぜ」
「何だとは何だよ。っていうか、俺だと分かった瞬間素になるの早すぎだろ…ミト」
つい先程までは嫋やかでお淑やかな態度を貫いていた聖女であったが、長髪の騎士を目の当たりにした瞬間、この変わり身の早さである。
一方、騎士団の訓練所では涼やかな顔つきであった長髪の騎士もまた、彼女を目にした途端呆れたような表情を浮かべる。
ちなみに、聖女の本名はミトネ、長髪の騎士の本名はソルマというのだが、互いにあだ名で呼び合っている辺り、それなりに親しい間柄なのだろう。
ミトネはソルマのツッコミにも動じる素振りは見せず、むしろフン、と鼻で笑って見せれば、
「ケッ、何でお前相手にいちいちお淑やかな聖女モードで話しなきゃなんねぇんだよ。大体疲れんだよ、聖女サマ演じるのはさ」
「いやいやいや、俺に対してだけ扱い酷くないか?」
「別に~? 普通だろこんなん」
腑に落ちない、と言った様子で口を尖らせるソルマを横目で見やると、ミトネはニヤリ、と悪戯っ子のような笑みを口元に浮かべてみせた。
「それを言うならソルだって似たようなもんだろ? お前なんだよあの出来損ないのクールキャラは、カッコつけちゃっておかしいったら無いぜ」
「違っ…別にそういうつもりじゃ…。というか、出来損ないとは何だ失礼な」
「出来損ないじゃなかったらなんちゃってクールキャラか? 大体ソルはへなちょこの方が似合ってるって」
「誰がへなちょこだよ!? 全く…ミトと話してるとどっと疲れる…」
ソルマは辟易とした様子で深々と溜息を零してみせる。
今の彼は、冷ややかで冷徹な騎士と云うよりも、ミトネの言葉にたじたじなヘタレツッコミキャラと言った方がしっくり来るだろうか。
そのどちらが彼の本性か…それは言わずもがな、といった所か。
これ以上この話題を続けていると精神力がゴリゴリ削られると思ったのか、ソルマは半ば無理矢理話題を切り出した。
「…そういえば、今日は結界の儀式したんだっけ? もう終わったのか?」
「おう、ついさっきな。これで当分はこの街も平気だろ」
「そうか…聖女の務めとは言え、大変だな」
労うような言葉を投げかけると、ミトネはやれやれ、と大袈裟に溜め息を零してみせた。
「しょうがねぇさ、そのお陰でアタシらもこうして平和に暮らしてる訳だし? それに、この力が無けりゃアタシもお前も──」
「…まぁ、それはそうだけど…」
2人の表情に、ふと陰りが見える。一瞬虚ろになった2人の双眸には、一体何が映し出されているのか──…。
だが、それも刹那の事、顔を上げたミトネの表情はいつもと何ら変わらぬもの。
「あ~あ、しょうがねぇっつっても、あの儀式やると魔力も体力もごっそり持ってかれんだよな~」
「まぁ、あれだけの事をやってのけたらな…。本当、大丈夫なのか?」
「多分大丈夫だろ。…やっぱ昨夜は大人しくしときゃ良かったな。ヤってなきゃもうちょい体力残ってたんだけど」
肩をポンポン叩きながらあっけらかんと言ってのけるミトネであるが、その発言はお淑やかで気品溢れる聖女が決して口にしてはいけないような内容で。
一瞬耳を疑いたくなるような発言であるが、ソルマは別の意味で驚愕を覚えたのかその顔は僅かに紅潮していた。
「なっちょっ…!? 何でそういう大事な日の前日に夜遊びなんかするんだよ…ってか、年頃の女の発言じゃないだろ、ソレ!?」
「へ? 別にいーだろーが、これがアタシなりのストレス解消法なんだよ。毎日こんなクソ陰気臭ぇ所に閉じ込められたら腐っちまうぜ。たまにイケメンと触れ合って色々保養しねぇと。…つーかお前、たかがこの程度で何顔赤くしてんだよ、お前は純粋乙女か。大体、そんなんだからお前は何時まで経っても童貞なんだよ」
「……っ!!? なっ…ななな何でそれ知って…っ!?」
「女の勘ってか、お前の言動見てりゃ誰でも分かんだろーが」
最初は『たまにどころかほぼ毎日夜聖堂を抜け出してるじゃないか』とツッコミをしようと思っていたものの、後半のミトネの発言にそういった事は全て吹っ飛んでしまったらしい。
湯気が出るほど顔を真っ赤にして慌てふためくソルマを、冷ややかなジト目で見遣るミトネ。
「と、兎に角っ、俺の事はどうでもいいんだよ。ミトネも、あんまり羽目外してるとバレた時大変だぞ?」
「平気だって、そんなヘマしねぇよ。そんじゃま、そろそろアタシ部屋戻るわ。あーでも、大して休めねぇんだよなぁ…この後用事あるし」
「用事? 何かあるのか?」
「えーっと何だっけ…? 何かさ、昔から交流のある国のお偉いさんが会見に来るんだってさ。それにアタシも来いとかぬかしやがって、あのジジイ本当人遣い荒すぎなんだよ」
ちなみに、ミトネが口にする“あのジジイ”とは恐らく枢機卿の事であろう。
教会で最高の権力を持つ人物をジジイ呼ばわりとは、ある意味怖いもの知らずと言えなくもない。
「あのなぁ…ジジイ言うなよ。まぁ、そういうのも街の象徴である聖女の役目の一つって事だな」
「ったく、アタシは客寄せパンダじゃねぇっつーの。じゃあな」
心底面倒臭そうに苦虫を噛み潰したような不機嫌な表情を浮かべつつも、一応聖女としての責務を全うしようとする心構えは持ち合わせているらしい。
ミトネはソルマにひらひらと手を振れば、そのまま自室へと向かった。
一方、ミトネの背中を見送ってから、ソルマも自室へ戻るべく歩を進めたのだった。